KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。
【テロの翌日】


昼、外出先からバスで帰宅していると、
あるバス停で停まったっきり、動かなくなった。
開けっ放しのドア近くに立っていた男が運転手に
「おい、ドア閉めろよ!」と叫び、
周りから「しーっ!」と注意された。
「なんでだよ?」
「昨日の、だよ」
「……あぁ、そう、か、」

今日は正午から15分間、
企業や交通機関を含むスペイン中が
テロの犠牲者へ黙とうを捧げた。


……といっても、ほぼ満員だったバスの中は、
15分間ずっと静かだったわけではない。
私の隣に立っていたおじさんがまず口を開いた。

「俺んとこはさ、甥っ子が連絡つかなくてよ、
 だいぶ経ってから親元に電話あったんだけど、
 ほら、しばらく回線がダウンしてただろう?
 なんでもあの後の列車に乗ろうとしてて
 駅で足止めくらってたんだと。
 でもこっちはそれわからんからよ、
 もう生きた心地もせんかったよ、」

それを聞いていたおばさんが、

「うちはね、義姉とこの子どもがね、兄弟で、
 あの直前の、爆発の1分前に通り過ぎた列車に
 乗ってたのよ、本当に、ギリギリのところで」

そして「本当に、ひどいことだわ」と首を振った。
後ろでは、学生らしい若い女性が、
隣り合って座った老婦人に訊かれるままに

「えぇ、それで、
 IFEMA(遺体が収容されている展示会会場)に行って。
 ……あちこちに、精神的にひどいショックを
 受けてるひとがいて、しばらく手伝ってきたの」

と答えていた。
こうして低く囁きあう声を聞いていると、
誰もが身近に心配するひとがいて、
誰もが他人事じゃないと胸を痛めていたのだと
あらためて身に沁みた。


昨日の半日で、
輸血は当面必要な分だけ確保されたという。
夜には各地で、自然発生的に
抗議のマニフェスタシオン(デモ、集会などの表明)
が行われた。

事件発生直後には現場で、
それからは病院や、遺体を収容している会場で、
自らも被害者やその家族であるひとたちの多くが、
他の被害者を助けて活動してきたという話も伝わった。

これまで30年もETAによるテロを身近に感じてきた分、
怒りも、助け合いも、
市民それぞれが躊躇なく、ごく自然に、
行動に移した姿が、とても印象的だった。

今日は夜7時から、
政府主催のマニフェスタシオンが行われる。
これに市民が参加しやすいようにと、
午後4時から11時まで、
マドリードの公共交通機関は
どれも無料で利用できるようになっている。


一方で、犯人が誰かわからないということが
様々な憶測を呼んでいる。
ついさっきもツレアイから電話があって、

「これから外出する予定ある?
 いや、いま同僚のお姉さんから連絡があって、
 地下鉄のセラーノ駅に爆弾を仕掛けたって話が
 あるってラジオで言ってたらしいで。
 テレビとかで言ってないか、見てみ。
 またデマかもわからんし、
 そうであってほしいけど」

と言っていた。
デマ(であってほしい)「新たなテロ」の話が、
今日は一日中、あちこちで飛び交っていた。
その度にまさか、と思いつつも、
もし、と思うと、不安に駆られてしまう。
ちょっとした救急車のサイレンやヘリの音に、
みんな、本当に敏感に反応していた。


さっき、昨日から重態だった
ポーランド生まれの生後7ヶ月の赤ちゃんが亡くなり、
テロによる死者は199人となった。
50人以上の身元が、まだ確認されていない。

夕方から冷たい雨が降りはじめたが、
テレビでは、
マニフェスタシオンの出発地となるコロン広場に
市民が続々と詰め掛けている様子が映っている。


#たくさんのお見舞いのメール、
 本当にありがとうございました!


カナ

カナさんへの、激励や感想などは、
メールの表題に「カナさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2004-03-13-SAT

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