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さて、再び『MOTHER1+2』について
おうかがいします。
『MOTHER』と『MOTHER2』。
いま振り返ってみて、どうですか? |
糸井 |
うーん、とにかく、いろんなものを込めました。
『MOTHER』も『MOTHER2』も、
「つくり足りない」と思えないくらい、
作れましたよ。我慢しなかったです。
「もっと時間があれば本当は……」
なんていう気持ちは、ないですよ。
なにかをつくり終えて、
そんなふうに感じることって
なかなかないですよね。
十分、作りました。 |
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ゲームをつくっている人が、
そんなふうに言うのをはじめて聞きました。 |
糸井 |
料理と同じじゃないかな。
「時間があればもっと美味しくできる」って、
料理人は言わないですよね。 |
── |
あああ、なるほど。 |
糸井 |
まあ、ちょびっとくらいはあるんだけどね。
「パセリ、もっと新鮮なのがあったんだよな」
っていうくらいはありますけど(笑)。
でも、少なくとも、思いの丈は
ここにぜんぶ入っているっていう自信がある。 |
── |
たとえば『MOTHER』は14年前の作品です。
昔の自分を振り返るような気分はありますか。 |
糸井 |
いや、特別にはないです。
あの、野田秀樹が30歳になるまえに作った脚本を、
最近になって再演したりするときに
こう言ったことがあるんです。
「脚本としてはあのころしか書けないものだ。
だけど、演出はあのころより
いまのおれはずっとうまい」って。
そういう気分に近いですよね。
なんていうんだろ、いい初々しさがまだ残ってる。
まあ、若さを感じる部分もありますけどね。
たとえば『MOTHER』で、
雪の町を歩く場面がありますよね。
急に雪が降って、白い景色になって、
あの音楽が鳴る。そこで初めて、
いっしょに歩く女の子がいるわけですよね。
なんかこう、若さを感じるよね、自分の(笑)。
ああいう女の子を設定しているところに。
でも、うーん、実際にはそんなのねえよ(笑)!
白い世界で出会った少女だもんねぇ・・・。
ないよ、そんなのはねえ(笑)。
でも、登場させるんだ、やっぱし。 |
── |
当時の糸井さんといまの糸井さんを
会わせてみたいですね(笑)。
そういった当時の作品が、
最新のゲームに混じって発売されるわけですが、
いまプレイされることということに対しては? |
糸井 |
あのころよりも、いまのほうが、
みんなの知性が深いと思うんですよ。
いわゆる学校の勉強的な教養じゃなくって、
考えの豊かさというか、そういうものが。
だから、あの時代よりも、
もっとわかってもらえるんじゃないだろうか
っていう予感と、喜びがある。
いまだからこそ、
新しさとして感じてもらえる部分も
あるんじゃないかな。
だからこそ、ゲームボーイアドバンスの、
ちっちゃい箱でやってもらえるっていうのは、
かえっていいんじゃないかな。 |
── |
ゲームをはじめてやる人、
RPGはじめてやる人なんかも
多いんじゃないでしょうかね。 |
糸井 |
それは最高にうれしいですね。
それで思い出したんですけど、
爆笑問題の太田くんが、初めてやったゲームが
『MOTHER』だったそうなんです。
彼と会ったときに、『MOTHER』をプレイして、
ゲームが作りたくてしょうがなくなったって
言ってましたね。相方の田中君に、
「おまえなんかにあのよさはわかんないんだよ!」
って言ってましたから(笑)。
「おまえの言ってる感動と
オレの言ってる感動は違うんだ!」って(笑)。
そういうの聞くと、うれしいですよね。 |
── |
いま一線で活躍する人のなかにも
『MOTHER』ファンって多いのかもしれません。 |
糸井 |
川上弘美さん(芥川賞作家)も
『MOTHER2』を褒めてくださいました。
あの人の文章って、ぼくは本当に好きなんです。
田中小実昌の子どもは川上弘美だと
ぼくは解釈しているんですよ。
それくらい、ある種、憧れに近いくらい
尊敬してる川上弘美さんが、
とある座談会で初めて会ったときに、
「30回くらいやったんです」
みたいなことを言ってくださって、
あれもうれしかったねえ。
なんというか、あれだけの作家が、
あのゲームをそんなにやってくれたっていうことで、
ぼくは彼女の住む町にいることができるんだという
喜びを感じることができたんですよ。 |
── |
『MOTHER』の子どもたちが、
これからもどんどん世に出ていくのかもしれません。 |
糸井 |
そうなると、うれしいですねえ。
『トトロ』を何十回も観ましたっていう人が
いるのとおんなじように、
『MOTHER』で育ったっていう人が
いてくれるっていうことは。
それはべつに有名人に限らなくて、
昔やってくれた人がお母さんになって
自分の子どもにやらせたとか。
そういう話はもう、とんでもなくうれしいよねえ。 |
── |
『MOTHER1+2』が発売されれば、
さらにたくさんの種がまかれることになります。 |
糸井 |
たくさん売れたら、ものすごくうれしいですね。
これが多くの人に渡るということがすごくうれしい。
だって、いままでしゃべってきたような話を
わかってもらえるっていうことじゃないですか。
それはやっぱり、作り手冥利につきますよね。
あとは、なんていうんだろ、
こうやってしゃべりながら痛感するんですけど、
根っこに、「つくること」に対する
喜びとか憧れとか尊敬とか、
そういうものがなかったら、
ブレてしまっていたんだろうなって、
いまさらながら、つくづく思いますね。 |
── |
『MOTHER』の根っこにそれがあるからこそ、
いまの時代に出ても揺るがない強さがある。 |
糸井 |
うん。いまでも、ぼくは、
つくることから離れてはいないんですが。
もう少し広いフィールドにいるようになって。
野球場で選手をしている時もあるけれど、
実はその野球場をつくっているというような、ね。
大きな意味でのクリエイティブをたくさん抱えて
ずっと走っているような日々なんです。
たとえば「ほぼ日」の会議に出て、
「もっとアイデアを出せ!」って
ぼくは平気で言うわけです。
場にアイデアがないときは、いらだちさえするわけです。
それはやっぱり、
現場のつくり手としての気持ちが死んでないからなんです。
そういう気持ちがないと、プロデュースもできない。
やっぱり魂みたいなものを信じてるんです。
クローン人間やロボットを持ってきて、
「人間そっくりですよ」って言われても、
ぼくはつき合いたくないんですよ。
良くも悪くも、
人間ならばこそ、ということが好きなんですよ。
また、ちょっとわかりにくい話ですけど(笑)。
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── |
いえ(笑)。そろそろ時間です。
楽しみですね、『MOTHER1+2』。 |
糸井 |
そうですねえ。
これは、いわば、ぼくの盆栽なんで。
ゲイの子がいたり、泥棒がいたり、
怪しい宗教があったり、無垢な子がいたり。
自分の気になるものが、ぜんぶ入ってる。
手塩にかけた盆栽ですからね。
好きなものも、嫌いなものも、
気になるものをぜんぶ肯定して入れたかったんです。
かといって、「そういうものはすばらしいんだ!」
って簡単に結論づけたつもりはないんです。
おもしろいものは、おもしろい。
ばかみたいなものは、ばかみたい。
「ぽえ〜ん」って意味もなく言ってたり、
思わず笑っちゃったら、それでオッケーみたいなものも。
最終的に、愛してくれればそれがいちばんうれしい。
たとえば、あんまり詳しく言いませんけど、
『MOTHER2』で
トニーから手紙が来ますよね。
あれ、泣けるけど、笑えるんですよ。
でも無条件で、恋してるんですよ彼。
笑った人も、ちょっとマジになったりしてね。
ああいう気持ちもね、ぼくは書きたかったんです。 |
── |
はい(笑)。 |
糸井 |
……けっこうディープなインタビューになったねえ。
こんなになると思わなかったでしょ?
でも、それだけ詰め込んだものなんだっていうのを、
ぼくは思っていたんで。
ほぼ日の読者のひとには、
ぜんぶ伝えたいなって思ってた。
雑誌のインタビューでこんなこと言っても
書く場所ないものねー。
そのためにもほぼ日があってよかったですよ。
ぜんぶまるごと書けるじゃないですか。 |
── |
志ん朝さんと談志さんのことも、
『憲兵とバラバラ死美人』のことも(笑)。 |
糸井 |
そうそう(笑)。 |
── |
最後の質問です。
『MOTHER1+2』を
どんな人にやってほしいですか? |
糸井 |
「全員」。 |
── |
ありがとうございました(笑)。 |