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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-12-22

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「ホームとアウェイ」という考え方があります。
 サッカーだとかスポーツの世界では、
 「ホーム」と「アウェイ」は同じくらいの回数です。
 「ホーム(こっち)」で半分くらい戦って、
 「アウェイ(あっち)」で同じくらい戦う。
 で、「ホーム」での試合は、すべてにわたって
 とても有利に戦えるということも知られています。
 「ホーム」では、のびのびできる安心感があります。
 そして「アウェイ」にはあなたを守ってくれる人は少ない。
 まぁ、ざっとこういう認識でいたのですが。

 昨夜ね、「MOROHA」の最後のコンサートが
 恵比寿であって、電車を乗り継いで帰宅したのですが、
 街はすっごい大賑わいなんです。
 で、そのたくさんの人たち、カップルとかは別として、
 みんなが他人同士として歩いたり立ち止まったりしてる。
 たがいに他の人はただの邪魔者だとばかりに、
 むりやり追い抜いたりぶつかったりしながら、
 不機嫌そうに急いでいる人もけっこういます。
 渋谷でちょっとお弁当やなんかの店に寄ったけど、
 そこでも、いかにも他人同士の人の群れがありました。
 いやいや、昨日にかぎらず、いつだってそうでしたね。
 街には、他人と他人と他人と他人と他人が集まって
 その結果として混雑しているのだから、
 いかにも他人同士なのはあたりまえなんです。
 わかってますとも、そこはぼくの「ホーム」じゃないし、
 そこにいるだれの「ホーム」でもないってことは。

 いまさら、思ったわけです、世界中のほとんどの場所が
 じぶんの「ホーム」なんかじゃないという事実について
 (それは、特に都会という環境の特徴なのかなぁ)。
 あらゆる場所は、「ほっときゃアウェイ」なんですよね。
 そのことを、あらためて思うと、なかなかきびしいです。
 じぶんの「ホーム」、のびのびと安心できる場所は、
 ほとんどないんだ、というのが現実なんですよね。
 だから、「推し」だとか「趣味」だとか「好物」だとか、
 いろんなテーマで「同じなにかを好き」な人たちが、
 集まりたいのかもしれませんね、ぼく自身もそうだし。
 そういう場面では、他人だった人たちが集って、
 安心できる仮の「ホーム」をつくれるんですものね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」も仮の「ホーム」として役に立てたらうれしいね。


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