糸井重里
・ともだちのおかあさんが亡くなって、
そのことについて書いている文章を読みました。
まだそれほど時間が経ってないところで書いたもので、
文にも体温が残っているようで、少し泣きました。
ぼくにとっては、他人なのかもしれませんが
母と子の間にある大事なものがそこにあって、
悲しいことなのかもしれませんが、
うらやましい気持ちにもなっていました。
その少し前の時間に、また別のともだちと会っていて、
いろんな「わるいこと」をした少年たちがいるけれど、
「たったひとりにでも愛された」という思い出のある子は、
立ち直りやすいということを聞きました。
それは、だいたい母親という場合が多いということです。
そういう話にも、ぼくはどうしても「いいなぁ」と、
ちょっとうらやましい気持ちになってしまいます。
大のおとなどころか、老人がおかしいかもしれませんが、
おかあさんと子どもが仲よくしているのを見るのが、
ぼくはなにより大好きなのです。
娘とその娘のことも、いいなぁと思って見ています。
家の上司とそのおかあさんのことも、
そんなふうにやや憧れて見ていました。
ぼく自身が、母親との関係がなかったので、
長いこと、その関係のなさに「平気」でいることを
練習してきてしまったせいだと思われます。
でも、ある歳を取ってきたら、素直になったのでしょうか、
「母がいて、無条件で愛されている」ということについて、
いいものだなぁと、正直に思えるようになりました。
母親にぎゅうっと抱かれて、わがままを言っている子ども。
そんなに幸せなものがあるでしょうか、とさえ思います。
ぼくは、そんな思い出は一生涯ひとつもないですから。
いやいや、かわいそうだと思われたいわけじゃなく、
ちょっと「よくがんばったね」とじぶんに言うだけです。
おれだけが言ってやれば、それ以上は要らないのです。
おかあさんたち、子どもたち、愛し愛される者たち。
それはもう、すばらしい「たからもの」だぞと言いたい。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なんか今日は、読み返さずに送信します。消しちゃうから。
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毎日11時になりました。
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