糸井重里
・かなり最晩年というくらいの時期の吉本隆明さんが、
「このごろは、なんでもかんでも、
コミュニケーションだって言ってるからさ。
おれは、そのコミュニケーションの真ん中に、
でかい石をどーんと置いて、
邪魔をしてやろうかと思ってるんですよ」
ちょっと強い口調で、そういうことを言っていた。
とても真剣だったから、とにかくそうかと受け止めた。
受け止めたものの、よくわかってなかった。
コミュニケーションというのは「交通」だから
とりあえず「道」みたいなものを想像した。
情報が行き交う「道路」の真ん中に、
吉本老人が汗まみれになってよっこらしょと、
巨大な石を置いて通行のじゃまをしている。
そんなアニメみたいなものが心に浮かんだ。
それだけで、もう、おもしろいのだけれど、
どうして吉本さんが、そうしてやれと思っているのか、
ただのへそ曲がりというだけじゃないはずだけれど、
それを聞いていたその場では、ただおもしろいだけだった。
だけど、なんだかとても印象深いことばだったので、
「コミュニケーションの真ん中にでかい石を置く」
というイメージは、ずっと忘れないでいた。
そういうポスターが、頭のなかにずっと貼ってある感じ。
ところが、最近、それがうまくは言えないままなのだけど、
もっとわかるような気がしてきているのだ。
「コミュニケーション」が大事にされすぎていると、
よく伝わる効率、うまく伝えるための整理、
たくさん伝えるための方法などが発達していくわけだ。
いまになってみたら、ほんとにそういう時代が来たよね。
「言語化」とかが流行しているっていうのも、それだし、
「AI」が発達して、どんどんそうなっているよ。
ことばの贅肉やらシミやらシワやらが落とされていく。
顔や身体が美容整形されていくように、
ことばも「通じやすい理想」のほうに向かっていくわけだ。
そういう交通量の激しい道路に吉本さんがでかい石を置く。
そのでかい石は、たとえば「詩など」でもあるよね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくが言ってることも、うまく伝わらないかもしれませんが。