糸井 あと、『MOTHER3』を
もう一度つくろうって思った理由として、
‥‥これはちょっと言い方がむつかしいんだけど。
『MOTHER』というゲームが
みんなの共有財産になった気持ちっていうのが
意外にぼくのなかにあるんですよ。
── 『MOTHER』シリーズ全体が。
糸井 うん。
ただ、ここが重要で、
ややこしいことなんだけど、
ファンにつぶされたくはないというか、
「『MOTHER』はみんなのものだね」って
簡単に言われたくないって気持ちはある。
あの、あるバンドが売れたときに、
ファンが「オレたちが育てた」とかっていう
発言をしているのを聞くと、
「それは違うだろう」と思っちゃうんです。
それはやっぱり、そのバンドががんばったわけだし、
『MOTHER』も『MOTHER2』も
つくった自分たちがやったんだ!
っていうふうには思う。
── けれども。
糸井 けれども(笑)。
それは、「ほぼ日」も同じなんだけど、
というか、『MOTHER』と
「ほぼ日」についてはとくにそうなんだけど、
自分たちの力だけっていうふうに
言い表せない部分があるんです。
つまり、メールが浸透して以後っていうのは
いいだの、悪いだの、泣いただの、うれしいだの、
そういうことばがダイレクトに聞こえてくる。
そのなかでぼくらは仕事してるんですね。
── はい。
糸井 とくに、3年前に
『MOTHER1+2』が出てからは、
誰かの息子がやってたとかさ、
仕事で会った俳優さんが
昔、ずっとやってましたとかさ、
会う人が直接語ってくれたり、
読んだだけで泣きそうになるような
メールが届いたりする。
すると、やっぱり、これは、
自分たちだけじゃないことがあるなっていう。
「うわー、これは重いなぁ」とも、
もちろん思うんだけど、それ以上にね、
うれしいんですよ、やっぱり。
── うん。
糸井 そういうなかでね、『MOTHER3』。
あの、中止の座談会をやりましたけど、
あのときは、自分がこう、どこか、
夢の中でしゃべった
みたいなところがあるんだけど‥‥
まあ、勝手な言いぶんになりますけど、
あれをやったから
自分の中できっちり終わったかというと
そうは思えていないんですね。
── あああ、なるほど。
糸井 だって、思い出が残ってるから。
『MOTHER3』は
つくりかけのままだったから。
手続きのような部分で
いくら決着をつけたとしても、
「そんな決着なんかつきません!」
って言ってる人のことは、
ぼくは忘れられないんですよ(笑)。
── はい。
糸井 すごかったですよ、ファンの人たちの声は。
開発中止のときも、あとから
『MOTHER1+2』が出たときも。
怒っている人も泣いてる人もいたけど、
でも、なんだろう、
それは『MOTHER』というゲームが
つくりだしたものだと思うけど、
明るいお客さんがすごくたくさんいて。
で、開発再開を言ったあと
「静かに待っていてくださいね」って言うと
ほんっとに静かにしててくれたりして。
こういうふうにネットが発達していると、
いつの間にか否定的な意見だけが
わーっと集まって、残って、
グレーゾーンみたいなものができて、
「グレーって、白じゃないよね?」
っていう感じで消えていく、
みたいなさびしさがあるものだけど、
そういうなかで、
ああいうお客さんの声っていうのは
ほんっとに助かりましたよね。
だから‥‥こう、自分の一生があったときに、
『MOTHER』シリーズっていうのは
きっと忘れられないものになるんだろうと。
そう、自然に、感じられるようになった。
そういう深い思いを持ってる人に対してね、
「ぼくはやっぱりできません」
って言うのは、ちょっとできなかった。
だから、自分のなかでの時間を、
吉本隆明さんの言う「25時からの仕事」として
割けばいいんだって思って、引き受けたんです。
まあ、長々とした話になりましたけど(笑)。
── いえいえ(笑)。
糸井 だからやっぱり、あんまり簡単に
「みなさんのおかげです」
って言いたくないんで長くなったんだけど、
話をまとめるとそうなっちゃうんだよね(笑)。
── はい。
糸井 つけ加えると、その「みなさん」の中に
自分が含まれてるという、そういう感じです。

(続きます)

2006-04-19-WED