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── |
最初の『MOTHER3』が中止になったあと、
ゲームボーイアドバンス用のソフトとして
開発が再開されてから
けっきょく丸3年かかりました。 |
糸井 |
そうですね。3年ですね。 |
── |
再開を決めた当時、
3年かかると思いましたか? |
糸井 |
んー、ぜんぜんわかんなかった。
だから、3年を長いとも思わないし、
すぐできてたとしても
それを短いとも思わなかっただろうね。 |
── |
ああ、なるほど。 |
糸井 |
ぼくは、できあがったものに対して
いいか悪いかっていうところは
厳しくジャッジしますけど、
時間の読みというのは
わからない人間ですからね。
ただ、やっぱり、
中止になった『MOTHER3』と同様、
軌道に乗るまでが長かったですね(笑)。 |
── |
そうですね。
この3年間はぼくも
現場に立ち合わせてもらったんですが、
とくに最初の1年間はほんとうに手さぐりで。
作業としては動いているだけど、
なかなかかたちにならないという。 |
糸井 |
そうでしたね。 |
── |
振り返ってみて、軌道に乗ったというか、
開発の転機になったところというと
どこになるんでしょうか。 |
糸井 |
開発の初期のところで、
いま思えば大きな決断だったなと思うのは、
映像の水準を「『MOTHER』で、いい」
って決めたことですね。 |
── |
ああ、なるほど。 |
糸井 |
つまり、新しいものを生み出すと
どうやっても「違う」ってことになる。
さんざん試して、それがわかって、
「絵のトーンは、
『MOTHER』シリーズを踏襲しましょう」
っていうことをはっきり言ってからは
あとは調整していけばいいんだ、
ってことになりましたから。
つまり、絵に関して、
ものさしがひとつできたんですよね。 |
── |
絵に限らず、最初の2年は
なにかにつけてものさしがないから
たいへんだったように思います。 |
糸井 |
その時点で基準にするとなると、
中止になった
『MOTHER3』しかないんですよ。
それで複雑なことになってしまう。 |
── |
その複雑な時期に糸井さんから聞いて
「なるほどな」と思ったことがあります。
つくりかけていた『MOTHER3』は、
『MOTHER2』の開発が終わった
すぐあとに企画されたこともあって、
「いままでの『MOTHER』ファンを
びっくりさせてやるぞ」
っていう部分がたくさんあったんですよね。
で、それは、すんなり発売されていれば
ファンを驚かせるものとして
機能したと思うんですけど、
中止で、あいだが空いたことによって、
たんに「『MOTHER』じゃないもの」
みたいなかたちで残ってしまっていて。 |
糸井 |
そうです、そうです。
それの調整がものすごくたいへんだった。
だから、たとえば、ミュージシャンが
大ヒットした曲と同じような曲を
つづけてリリースしたとしたら、
「今度もよかった」っていう人はいるだろうけど、
「またかよ」って思う人も出ますよね。
ぼくはそれを、ちょっと早めに思うタイプなので、
このままじゃ人は驚かないぞって考えてしまう。
だから、その意味でいえば、
『MOTHER』と『MOTHER2』だって
違うといえばぜんぜん違うんですよ。 |
── |
そうですね。 |
糸井 |
でも、ムードや、世界はいっしょだと。
で、『3』をつくるぞっていうときに、
つまり12年前のことですけど、
ぼくがなにを考えたかというと、
これまでの『MOTHER』が好きなファンに
一回バーンと冷や水をぶっかけて、
そこからなかよくなりたかったっていう、
すっごい図々しいことを思ってたんです。
その余韻が開発を再開したときにも残っていて、
とにかく始末に困ったんですよね。 |
── |
その問題は、最後の最後まで
テーマのひとつだったように思えました。 |
糸井 |
うん、最後まで残ったねぇ。
でも、結果的には、粘って粘って、
ぜんぜん残らないわけでもなく、
かといって悪く残ったわけでもない、
っていうところに
きちんと落ち着けたと断言できます。
うん。
でも‥‥苦しかったね(笑)。
いちばん、苦しかった部分だし、
終わってみれば、つくっていて、
おもしろかった部分だったかもしれない。
でも、そういう苦しみを
スタッフといっしょに超えたからこそ、
「ファンに向けただけのもの」じゃなくて
ほんとうの『MOTHER3』になったと
いまは思えますね。
(続きます)
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2006-04-24-MON |