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糸井 |
仮歌を入れたあとで話したときに、
「ロックが好きでロックをやりたかったけど、
私は声が綺麗すぎたのよ」
って言ってたでしょう? |
大貫 |
そうなんです。
だって私は、ジャニス(・ジョップリン)が好きで
ああいうふうに歌いたかったんだもの。 |
糸井 |
それは、いい話だよねえ(笑)。 |
大貫 |
でも、その道は選択できないんですよ。
だから、一時期は、自分の声が潰れないかなと思って、
お酒を飲んで「わーーーっ」て
叫んだりもしてたんだけど(笑)。
で、ちょっとガラガラ声になって
「よーし、この調子で!」
って思うんだけど、一週間くらいすると、
すぐに「ラーーー」って
綺麗な声になっちゃって(笑)。 |
糸井 |
(笑) |
大貫 |
そんなことをいろいろやっているうちに、
声ってやっぱり授かったもので、
ある意味では楽器の音色のようなものだから、
それをわざわざ壊すのは違うかなというふうに
だんだん感じはじめて。
いまあるこの声をいちばん活かせるように、
そういう音楽を、自分のスタイルにしていこうと。
変わっていきましたけれど。
ジャニス以外にも
選択できる道はあったわけですから。
でも、そういうことがよくわかっていないころは
たくさん失敗しましたね。 |
糸井 |
自分では失敗だと思っているような曲が
昔のアルバムには入っているっていうこと? |
大貫 |
はい。いっぱい失敗しました。
もう、穴に埋めたいくらい(笑)。 |
糸井 |
へええ、おもしろいもんだね。
自分でしか言えないね、それは。 |
大貫 |
そう。だから、昔のアルバムの、
いくつかの曲をかけられると、
耳をふさぎたくなることがあります。 |
糸井 |
それは、間違ったことをしてるっていう気持ち? |
大貫 |
歌については、間違ったことをしてるんです。
つまり「曲を書いている自分」がいて、
つぎに「サウンドを考えている自分」がいて、
最後には「歌う自分」がいるんですけど、
曲を書いているときに考えている声は、
自分のこの声じゃないんですよ。
たとえば、すごくソウルっぽい曲を書いたときに、
こういう曲になるんだっていう考えが、
書きながらどんどんふくらんじゃうのね。
で、サウンドまでその路線で考えて作っちゃう。
で、いざ自分で「ラーーー」と歌ってみたら、
もう、ぜんぜん乗っからないんです。
声だけ、浮いちゃって、浮いちゃって。
そういう失敗を何度もして、懲りればいいのに、
また同じようなことをして(笑)。 |
糸井 |
今度こそできると思うわけ? |
大貫 |
いや、忘れちゃうんです。
あと、自分の力量に合わないほどの、
2オクターブくらい振り幅のある
曲を書いてしまったりね。
つくってるときは歌えてるんですよ。
実際その声も出ないわけじゃないんだけど、
本当に歌うとなると‥‥歌えないんですよね。
そういう曲が、過去のアルバムには、
いくつかあるんですよ。 |
糸井 |
作曲するときと、歌うときが、
ほんとうに「違う人」なんだね。 |
大貫 |
そう。 |
糸井 |
コンポーザーと、アレンジャーと、シンガーと。 |
大貫 |
そう。それぞれ別の人間がいて、
3つがひとつ合わさったときに
「あー」って(笑)。 |
糸井 |
だれかが泣きを見るわけだ。 |
大貫 |
「歌う私」ですよね。
だから、そういう失敗を徐々に減らしながら、
どんなにやりたくても
自分には合わないものっていうのを見極めていって、
自分の声にいちばん合うサウンドづくりをして、
落ち着いてきたのは80年代になってからかな?
もちろん、初期のアルバムにも、
好きな曲はたくさんあるんですけど、
全編を通して聴くと、失敗したなっていうものも
入っている。2曲くらい(笑)。 |
糸井 |
でも、それは、
「100パーセントやらないほうがよかった」
というものじゃないわけでしょう? |
大貫 |
そうですね。
できないことをまったくやろうとしなかったら、
たぶん、もっともっと、ちっちゃいちゃっちゃい、
自分になってしまったのかもしれない。 |
糸井 |
うん。そういうことなんでしょうね。 |
大貫 |
昔は失敗を許してくれた時代だった
という言い方もできるけど‥‥。
でも、その失敗の山のなかから、
だんだん自分ができていったんだから、
何回かの失敗は、
させてあげてもいいんじゃないかな、
といまは思えますね。 |
糸井 |
ちなみに、ですけど、その失敗というのは
ほかの人にはぜんぜんわからないんでしょう? |
大貫 |
うん。
私が「この曲、かけないで」って言うと
「どうして?」ってみんな言う(笑)。 |
糸井 |
なるほどなあ(笑)。
おもしろいね。
(続きます)
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