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糸井 |
若いころに背伸びをして失敗したとしても、
きっとその背伸びには2種類あると思うんですよ。
純粋に、背伸びをしてみたいときと、
汚く、背伸びをしてしまうときと。 |
大貫 |
ほかの欲というか、変な色気が入ると、
汚くなってしまうんですよね。 |
糸井 |
そうそうそう。
やっぱり、背伸びしてよかったなって、
あるときになって思えることだってあるんだよね。
純粋に高い場所を見て背伸びをするときは
きっと失敗しても汚くはならないんです。
でも、タレント商売というか、
クリエイティブ商売というか、
いわゆる「自分を売っていく商売」というのは、
どうしても不純物が混じりやすいから。
とくに若いときっていうのは、
自分ならではの営業品目をつくりたくて、
余計な動きをしてしまうんだよね。 |
大貫 |
たぶん。その点、私には
そういう気持ちがまったくなかったの。
その、自分の営業品目を増やすという気持ちが。 |
糸井 |
だからこそ、
大貫さんの言う「若いころの失敗」が、
他人には失敗に映らないんでしょう。 |
大貫 |
そうかもしれません。でも、自分には耐え難い。
自分のつくったものに
自分がぶら下がっているように思えてしまう。 |
糸井 |
その経験がいまの自分をつくってるって思えるのって
ずいぶんあとになってからだしね。 |
大貫 |
そう(笑)。 |
糸井 |
失敗の数って無限にあるからね(笑)。
それは時間かかるんだよね。 |
大貫 |
かかりますね。 |
糸井 |
身の丈以上のものをつくってしまったとしても、
自分の背丈がだんだん大きくなっているから、
失敗したと思っていたけどいつのまにか
それなりの場所に立てていることもある。 |
大貫 |
うん、そうですね。 |
糸井 |
それはやっぱりぼくも同じで、
「あいつのやっていることはオレでもできるよ」
って言われるのが、いまはうれしいくらいなんです。
でも、昔はそう言われるのがイヤだったからね。
「あんなコピーがなんなんだ」って、
まあ、ずうっと言われ続けてはきたけど、
昔は、そう言われないように
ときどき利口ぶったりもしてたと思う。
でも、いまはもう、ぜんぜん平気だからね。
「みんなが『自分にもできる』って
思えるようなものこそがいいんだよ」
「そういうものが受け入れられるものなんだよ」
って言えばいいんだから。
でも、そこがわかるまでには時間がかかるよね。 |
大貫 |
そうですね。
時間がかかるし、そういうくり返しを、
死ぬまでやっていくんだと思う。
どこかの洞窟にこもって暮らすのでもないかぎり、
ずっと続くことだと思うんですよね。 |
糸井 |
因果な商売だねえ(笑)。 |
大貫 |
でもね、そういうことをくり返しながら、
オリジナルアルバムだけで25枚もつくってくると、
なんだか、自分のやってきたことって、
こう、家の土台の部分だけを
延々とつくってきたような、
そんな気がするんですよ。 |
糸井 |
ああ、なるほどね(笑)。 |
大貫 |
なんていうのかな、
土台だけがものすごく頑丈になっている。
その上に建っているものは
たいしたものじゃないかもしれないけど、
土台だけはちょっとやそっとじゃ壊れない。
だから、いいほうに解釈すると、
「こんなんで平気かな?」
っていうくらいの家を乗っけても
あまりにも土台が頑丈だから、
まったく平気、みたいな(笑)。 |
糸井 |
それは、でも、最高じゃない? |
大貫 |
どうなんでしょうね(笑)。
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糸井 |
最高だよ。
ほんとうの建物の話になっちゃうけど、
奈良の平城京とかって、土を固めるのに
えーらい苦労したらしいんですよ。
当時はコンクリートなんて当然ないから、
「固めれば固められる場所」っていうのを
ものすごく真剣に選んだらしいんですね。
で、その土台を固めるっていうことを
きちんとやっておいたから、
いまでも奈良の都は残っているわけで。
古い建物を直している宮大工さんたちも、
「いつか建物が壊れたとしても、
この土台だけは自慢です」
っていう言い方をよくしますよね。 |
大貫 |
ああ、そうですか。
まあ‥‥奈良の都というのは
ちょっと言い過ぎですけど(笑)、
私は、自分の土台の上に、
ほんとうにいろんなものを
建てていると思うんですよ。
フランスでレコーディングしてみたり、
ブラジルに行ってみたり。
だけど、土台が共通しているから、
どこでなにをやっても、
けっきょく自分の音楽になるんですよ。 |
糸井 |
建て直しだってできるしね。 |
大貫 |
そうですよね。
たぶん、そういうことを、
ずっとやってきたんだろうなって
いまごろになって思うんですけど、
いまだに土台づくりを続けている自分もいて、
それもどうかなって、ときどき思う(笑)。 |
糸井 |
(笑)
(続きます)
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