糸井 |
ポーキーはね、ヤキモチ妬きなんです。 |
川上 |
そうですね。かわいそうな子ですよね。 |
糸井 |
ええ。で、実際、男の社会のなかには、
すごい分量のヤキモチがが含まれてるんです。
競争心っていうのも、じつは、
ベースにヤキモチがないとできないから。
で、それをどう昇華するかっていうのが、
男の子の課題だとぼくは思うんですよ。 |
川上 |
あー。それ、大人になっても
ずっとついて回りますよね。 |
糸井 |
そうです。だって、ヤキモチって、
おおもとは自負ですから。自負がないと、
「俺が生きている理由」ってなくなってしまう。
だから、ひじょうに根源的なものなんです。 |
川上 |
そうですね。 |
糸井 |
そういうヤキモチの気分を、
ポーキーというひとりの子どもに
押しつけて書いてるもんですから、
彼はかわいそうなんですよ(笑)。 |
川上 |
(笑) |
糸井 |
ポーキーは、どこかのところで
主人公に勝つ道みたいなものを
探すわけですよね。そうすると、
いわば社会的成功に近いもののほうに、
グーッとよっていくわけです。 |
川上 |
そうですね。ほんとそうですね。 |
糸井 |
あれはね、きっと、
あらゆる男のなかにブラブラしてる(笑)。 |
川上 |
そうですね。どっちの価値観を選ぶか、
っていうことですね。
ポーキー的な、社会的成功の価値観か、
死んじゃっても世界を救うような価値観か。
でも、それって、ほんとはひとりの人のなかに、
いっしょにあるものですよね。 |
糸井 |
はい。だから、やっぱり苦しむんですよ。
嫉妬と自分ということについては。
ぼく個人もそうだったんですけど、
ぼくはそれを自分でずーっと探っていって、
人よりも「モノ」や「コト」に
嫉妬してるってことがわかったんで、
すっかり楽になっちゃったんですが。
|
川上 |
「モノ」や「コト」っていうのは? |
糸井 |
たとえば川上さんっていう人を
どんなに好きでも、
川上さんの書いたものには
ヤキモチを妬けるんです。ちゃんと。
つまり、「すばらしいな」って思うことと、
「俺にはできない」って思うことって、
これはもうヤキモチなんですね。だけど、
その人に対してヤキモチ妬くんじゃなくて、
できちゃったものに妬けばいいんです。 |
川上 |
結果に対してってことですよね。
それはそうですよね。
赤ん坊はすごい可能性を持っているけど、
赤ん坊に対してはヤキモチは妬けませんもんね。 |
糸井 |
そうなんです。そこがスッキリすると、
人どうしががものすごく楽になるんです。 |
川上 |
そうか、そうか。なるほど。 |
糸井 |
まあ、恋愛におけるヤキモチっていうのは、
また別なんでしょうけど。 |
川上 |
そうですねー。恋愛の場合、
「コト」や「モノ」がなくても、
可能性にヤキモチを妬きますからね。 |
糸井 |
あーーー、そっか。 |
川上 |
恋愛になると、妄想的ヤキモチになる。 |
糸井 |
そうですね、うんうん。 |
川上 |
それは違う種類のヤキモチなんですよね。 |
糸井 |
川上さんの小説のなかでは、ヤキモチって、
「存在しない」みたいに扱われてますよね。 |
川上 |
そういう印象ありますか?
書いてるものからは、
排除しちゃうんですかね。 |
糸井 |
あんなに排除してるっていうことは、
お考えになってるってことですよねえ。 |
川上 |
そうそうそう(笑)、あるんですよ。
ヤキモチ、嫌いなんですね、きっと。
ほんとはヤキモチ妬いている自分が、
ヤキモチを嫌いなんですよ(笑)。
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糸井 |
嫌いなんですねえ(笑)。 |
川上 |
ヤキモチって、事を面倒にするでしょ?
だから、反対にいうと、
ぜんぶヤキモチのせいにできちゃうんですよ。
たとえば、お話を書いてるとすると、
男女の三角関係があったとしたら、
ヤキモチだけで話が進んでいけちゃうんです。
それはちょっとつまんない、
っていうところがあるんですよね。 |
糸井 |
あー、そっか。ヤキモチで進むと、
どの話も同じになっちゃうんですね。 |
川上 |
そうそうそうそうそう。
すごくわかりやすくなっちゃうから。
そこをあえて排除して、
そこからさらにヤキモチを書けたら
おもしろいんでしょうけど。
|
(続きます!)