OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.3
-light and shadow in Japan -

こんにちは。
(1999年しょっぱなの記事はちょっと長いです)

ではでは、お待ちかね「光と陰」。
お正月、温泉で考えてみました。
雪が舞う露天風呂で日本海を眺めて
「いいねぇ、日本は。ふひゃー」
なーんて言いながら。
聞こえはいい感じだけど、寒かった。
冴えるどころか、頭凍りそうで、
目の前チカチカ。 

そこに小学生のかわいい兄弟が入って来た。
お兄ちゃんの顔を見て、びっくり。
「あ、その耳は…・」と私は思わず言った。
なんと「イトイ新聞」各所で活躍する
「おさるちゃんキャラクタ」のお耳そのもの。
顔も似てる。
弟は? なーんだ普通の耳ね。
私は横目でお母さんがいることを確認して
急遽お兄ちゃんには
「いい耳だね」というにとどまった。
まさか「どうしたの、その耳」
って本人に聞くわけには・・・。
「さるだよ」と返されたら恐い。
それからその兄弟と仲良く浮きっこなどして
延々延々遊んでしまい、風邪をひいてしまったわけだけど。
上がるときお兄ちゃんに、
もしやしっぽがあるんじゃないか
と確認する私も私。
「光と陰」がおりなす幻だったかな。

ざぶーん。(効果音:一応、冬の日本海の波の音)

本題、本題。

おっと、その前に、(まだか)
「司令塔」って誰? っていう質問が
聞こえたような気がするのですが。
どうかそれだけはお代官さま。
「ご近所」の住人であることは事実です。
といって伏せ字にするのも妙なので
とりあえず、「司令塔」= Dr. X です。
あるときは中田選手のように華麗なキラーパスを出し、
またあるときは豪快にシュートを決める!
だから「司令塔」です。(よいしょー)

そうそう、その「司令塔」の
発言がまたとてもスポーツなのです。

例えば「日本もJリーグ方式で、
世界の優秀な研究者をどんどん日本の
中枢に呼んできて、
その影響でレベルアップするのはどうか。」
と言ったかと思えば、

「調査してみるとさー
『セカンドゴロ』ばっかり出てきて、
あれ、またおんなじところにゴロなの?
もう分かってることを調査してもねぇ、
っていうことばかり見つかるし、
どこかに『松坂くん』はいないの?、
日本の光明はどこかにないもんですかねー」
と野球評論家になったりする。
(実際「司令塔」はスポーツマンで
ゴルフの腕はすごいらしい。)

で、「司令塔」の言ってる「セカンドゴロ」っていうのは
実はお金<*1注>の使い道のコト。
どうもコレといった華麗な使われ方をしていない。
(ん? 陰っぽいぞ)
<*1>
ここでのお金とは政府からの
ソフトウエア研究支援のためのお金のことです。

 
vol.1 light and shadowの中でも触れたように
「お金をもらうとどっちゃり足かせがついてくる」
というのは、
自由自在に思う存分好きに使って研究してやるぞ
というお金ではないようです。
たとえば研究支援のための財源は

-継続性が保証されない
-増額による研究実施の仕組みや人的リソースの見直しがない

という性質がある場合が多く、
研究が不完全燃焼に終ってしまう
ことが多いようです。

とはいっても資金は必要なわけで、
例えば政府が支援する委託公募に応募して
資金をゲットしたとしても、
1、2年の研究ののちに成果報告やら会計報告やら
膨大な提出資料があったり、
研究以上に負担が大きいこともあるなど
いろいろ問題があるようですね。
もちろん、国のお金ですから「自由に使ってね」
っていうと間違った方向にどんどん使われちゃって、
あとの祭りになったら困るということから
「コトは厳重厳格たるべし」
と足かせがつくのも当然ですが。

でもね。
Mark AndreesenがNCSAで
Mosaicの研究を始めたときは、
「ぼくらは『自由に』研究ができた。」
と振り返っているのですが、
(http://www.dnai.com/~thomst/articles.html)
研究という分野においては、成果を上げようと思ったら
少しのんびりとした環境は必要不可欠な要素ではないかな
と私は思うのです。

がんじがらめの中で
「研究、研究」とあおりたてられてもひらめかないことが、
むしろ遊んでいたら思いついちゃった、
っていうことが多いですよね。

それからもう一つ問題となるのは
どの研究プロジェクトにお金を出すかを決める採用基準と
そのプロジェクトの成果はどうなのかを判断する
評価基準です。

アメリカの場合、プロジェクトの立案、採用から評価まで
一手に手掛ける若手の有能なプロを雇う場合が多く、
この人をプログラム・マネージャ(PM)と呼びます。

PMはすでに研究者として実績があり、
さらに管理能力に長けている人が選ばれ、
PMとして成果を上げ任期(1〜4年)を終えたあとは、
元の所属に戻ることができ
昇格の道が待っているという仕組みです。
それだけに競争は激しく
優れた人材が多いようです。

日本の場合は担当官庁あるいは機関が公募を管理し
査読者と呼ばれる研究を評価する人が大学などから
集まり、プロジェクトの評価を行ないます。
しかし、人材が少なく専任ではないので
トータルにプロジェクトの面倒を見るというのは
難しいようです。

こういうポジションは別に日本人であることに
こだわる必要はなく、それこそ「Jリーグ方式」で
多国籍になった方が活性化するのではというのは
「司令塔」の考えです。
実際アメリカの頭脳としてがんばっているのは、
各国から米国留学した
優秀な多国籍な人々だったりしますよね。

あららら、
他国との比較による「光と陰」になってきました。
日本が「陰」、アメリカが「光」っていうんじゃなくて
是が非でも日本の中に「光」を見い出さねば。
イトイさんも「ほめる」ことが大切
と語ってくれたばかりだというのに。

日本の「光」の部分は
逆にいえば競争が緩いということでしょうか。
根回しを行なうことによって
競争を避けてきたところがあり、
それは一面では弱者が完全な敗者となることを
食い止めてきたのかもしれません。
そのかわり勝者になれる確率は限りなく低いけれど。

しかし、競争原理を取り入れた上記のような
研究テーマ公募型のプロジェクトでは、
優れた研究を育成したいというということが
大前提であるべきです。

そうすると日本のこれまでの
“大きな力に守られた中での横並び”的なやり方を
見直す必要が出てきたのです。

情報のオープン化が進んでくると
誰が責任を持ち、どのような経過で結果が出たのか
ということを明らかにする機会(Accountability)
が増えてきて、ぼやけた部分を
なくさなければならなくなります。
それは私たちもとても知りたいことです。

vol.1でも「司令塔」が教えてくれたように
「ハイリスク・ハイリターン」の
「完全競争型」をとるのか、
それとも「ローリスク・ローリターン」の
「平等分配型もどき」をとるのか。
あるいはその中間に道はあるのか悩めるところです。

勤勉で和の精神を大切にするという
日本の良い部分を大事に活かしつつ、
オープン化を進める道を探っていくのが
得策なのでは、と私は思ったりします。

こうやってみてくると、日本の特徴は
陰の部分も光の部分もぼやけていて
陰だと思っていたことが実は光だったり、
同時に光だと思っていることが
陰に見えてきたりしてきます。(だから指摘は難しい)

みなさんは日本のどこに「光と陰」を見ていますか?
「いいねぇ、日本は。」
と言える日はこれからも続くでしょうか。

インターネットの世界も光もあれば陰もあり
いろんな事件が噴出してきましたね。
この陰の部分に対して日本は、というか人間は
どのような対応をしていくのかも
これから大いに注目していきたいと思います。

私も年の初めに風邪の猛攻撃を受けていたのですが、
そのときつくづく「基礎体力!!!」だと
思い知らされました。
日本の基礎体力はやはり技術力なのじゃないのかな。
とするとやっぱり改革を早くしないと
元気にはならないですね。
みなさんもお大事に。

それではまた。

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福嶋真砂代
先端なところにご興味のある方はこちらへ
http://www.icot.or.jp

1999-01-21-THU

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