ご近所のOLさんは、 先端に腰掛けていた。 |
vol.41 などなど、物理的社会と同様の活動が行われます。 もちろん、相手を「信用」できないとこういう活動は 成り立たないですよね。 でも会ったこともない相手を「信用」するのは、 なかなか難しいもの…。 このネットワーク社会における「信用」とは なんだろう?ふと考えてみたくなりました。 ここで簡単な質問です。 ちょっと考えてみてください。 これからあなたがオンラインで買い物をしようと します。 同じ品物を2つの店で、同じ値段で売っています。 A店は有名な大手デパートが経営し、 ショッピング手順がしっかりした感じの ビジネスライクなオンラインショップ。 B店は聞いたことのない小さい規模の でも、サービスが行き届いた感じの アットホームなオンラインショップ。 さて、どちらであなたは買い物をしますか? もし値段が違ったらどうでしょう? A店が高くてB店がとても安い。 どちらを「信用」しますか? 品物が届かないとか、不良品だったとか 何かトラブルがあった場合のことを考えると どうでしょうか? さらにそれが、会社対会社の(B to B) 億単位の取引きだったらどうでしょう? 何を「信用」の基準と考えますか? もうひとつ質問です。 あなたの子供に、コンピュータ好きな中学生の 男の子がいるとします。 彼はどうもインターネット上のポルノサイトを 覗きたくて仕方ない様子です。やれやれ…。 もし規制をするとしたら、どうやって規制をしますか? 規制をかけるプログラムがプラグインされた ソフトウエアを使いますか? そのソフトウエアの中での 「見てもいい、見てはいけない」 というような選別は「誰が」するのでしょうか? 親がそれをするのでしょうか? それとも、どこかの公の機関に任せますか? その選別の仕方を「信用」できますか? あるいはポルノサイトに限らず、規制をかける プログラムが知らないうちにブラウザソフトの裏側で 動いていたらどうでしょうか? バイオレンスや、違法のページを見えないように するようなプログラムは実際もう稼動しています。 それによって、無意識に言論が統制されているのでは ないかと、疑う必要があるかもしれません。 一体誰を何を「信用」すればいいのでしょうか? 20世紀の終りに、インターネットが普及し 生活が便利になりかけている今なのですが 新世紀に、考えるべき問題は山ほどあるようです。 特にネット上で意識しなくてはならないことは 簡単にいろいろな人や世界とつながれるだけに、 自分が話している相手方は、 「異なっている」存在なのだと 認識することだと思います。 先日、ある国際シンポジウムで 日本の学者が 「人は政府のような公の機関を信用し、 また、組織や会社が大きければ大きいほど 信用する傾向にある」 と発表したときのこと。 アメリカの学者がすっと手を挙げて 「アメリカじゃ 政府と大企業は信用しない。 組織は大きければ大きいほど信用できない」 と反論し、アメリカサイドから拍手が…。 まさに、さっきの質問の 大規模なA店と小規模なB店のどちらを選ぶか その選択のべースが、すでに日米で違う、という 「差異」が明らかになるわけです。 この場合、日本でも崩れてきている神話では あるのですが、ま、「これまでは…」という例を この学者は説明しようとしたわけです。 私には、この違いが浮き彫りになる、という ことだけでも、ネットワーク社会のおもしろい ところだと、ワクワクします。 それから、国際間のことに限らず、 もちろん個人と個人でも違うし、 あるいは「同じだ」という発見もありますね。 そういった「相違」を認識しないと 「信用」は築けないのではないか? そんな気がします。 ちょっとだけでしたが、 ネットワークと信用について考えてみました。 みなさんはどう考えますか? それにしても、自分自身でさえ、 ネット上の自分と物理的自分が 「違う」と思ったことありませんか? これはアイデンティティの問題ですね。 またこれも考えてみたいと思います。 では、残り少ない20世紀を楽しむとしましょう。 そうだ、そうだ! もうすぐセンタンにAIBOがやってきます。 こんど紹介しますね。 次回からAIBO日記になっちゃったりして…。 marsha illustration by chika |
2000-12-21-THU
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