OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.101
- Curtain Call-


『カーテンコール』
---- プロデューサーの想い

こんにちは。
寒い季節には映画がいちばん!
そろそろ今年の1番はどれだろう?
と考えるころになりましたね〜。
今年いちばん心に残ってる映画はなんですか?
わたしのは…年末までもう少しとっておきまます。

さてさて、この作品も有力候補です。
すっかり冷えた心身が、奥のほうから、
じわじわじわ〜っと暖まるような、
この冬大必見の映画、
カーテンコール』はご覧になりましたか?

東京では、上野スタームービー(17日まで)と、
シネスイッチ銀座(22日まで)で公開中です。
続々とこれから全国公開されますので、
こちらでチェックしてください。

臼井プロデューサーに会いました。

『カーテンコール』のプロデューサーの
臼井正明さんにお会いできたので、
さっそくお話をうかがいました。


(臼井プロデューサー)

臼井さんは『チルソクの夏』も
プロデュースしている方です。
チルソクファンでもある私は、
「犬も歩けば棒にあたる」みたいに、
ある日、ミラクルに臼井さんに出逢ってしまい、
とてもうれしかったです。
(シネスイッチ銀座の流川陽さん、
どうもありがとうございました。)

『カーテンコール』は、
『チルソクの夏』『半落ち』『四日間の奇跡』
などを撮った佐々部清監督作品で、
監督の故郷の山口県下関市が舞台です。
下関のみなさんも全面協力で応援していて、
そういうあたたかさが伝わってきます。


©カーテンコール」製作委員会

現代の話ですが、昭和30〜40年代を回想します。
映画が最高の娯楽として賑わっていた時代、
街の小さな「みなと劇場」には、映画と映画の合間に、
形態模写や弾き語りをしてお客さんを楽しませる
「幕間芸人」と呼ばれる芸人さんがいました。

その安川修平(藤井隆)という芸人を探してほしい、
という一通の匿名ハガキを受けとった(現在の話)、
タウン誌記者の橋本香織(伊藤歩)は、
修平を探す中で、それまで触れることの無かった、
当時の在日への差別という問題にぶつかります。
テレビの登場で衰退していく映画と映画館の運命、
芸人の修平の辿った人生はどんなだったのかを
探しながら、そこに関わるすべての人が、
共通に抱く大切な「何か」を見つけていきます。

他にも、藤村志保、奥貫薫、夏八木勲、鶴田真由、
津田寛治という豪華なキャストに加え、
現在の修平(井上尭之!)の舞台の復活、
斬られ役の名優、福本清三の渋い撮影技師とか、
橋幸夫の「いつでも夢を」をバックに橋龍吾が
出るというニクい演出もあり、ツボがそこここに。
(もちろん、橋幸夫さんもご覧になったそうです)
そして、それぞれの昭和という時代をなぞりながら、
感動のクライマックスがやってくるのです。

奇しくも同じ時期の公開で、同じ昭和を映している
『ALWAYS 三丁目の夕日』は、
昭和の街並の見事なハイテク再現が楽しくて、
泣いたり笑ったり、大人も子どもも楽しめる
娯楽性が高いのに対して、
『カーテンコール』はどちらかというと大人向け。
昭和という時代が抱えていた問題を、もう一度、
現代のものとして考えてみるというテーマと、
そこに生きた人間の生き様と心を描いた、
落ち着いた、骨太な映画だなと思いました。

いまなぜ「昭和」?

いま「昭和」が題材の映画が多いですね。

「『ALWAYS 三丁目の夕日』の
山崎貴さんもそうですが、昭和30年代後半の生まれで、
自分の生きた昭和の「検証」をしているのかな、
って思います。

映画を作る人っていっても、普通の人で、
そんなに沢山の引き出しを持っているわけじゃなくて、
自分の原風景に残る「昭和」を描くというところが、
形として作りやすいから、多いのかもしれません。

でもいつの時代でも同じことがあって、
たとえば深作欣二監督も、
終戦の頃に18、9才で、空襲で死体を運び、
終戦を向えて世の中ガラリと変って、
ドヤ街の怪しげなところで小遣い稼ぎを
してた青年時代があって。
そのあと映画の世界に入り何をやるかというと、
『仁義なき戦い』の終戦のドサクサから
のし上がって行くヤクザの話を、
自分のオリジナルとして始めるわけですよね。

それは深作さんにとっての、
自分の少年〜青年時代というか、
昭和の検証を、作品を通してやっているわけです。

…ということは、(いまも)同じことを
やっているんだなあ、おもしろいなと思います。

そう考えると、いまの10〜20代の人が、
20年後に映画を作ったとすると、
「自分にとっての平成」の検証をするんでしょうね。

僕は『チルソクの夏』の脚本を読んで、
内容自体は佐々部監督とやりたいと思ったんです。
で、僕個人の製作をする意義として、
韓国に行ったときに感じたことがあって、
活かしたいと思ったんです。

それは何かというと、言葉です。
韓国人の敬語の使い方にハッとしたんですが、
韓国では、ごく普通の家庭で、
たとえば食事のときに、子どもが親に対して、
「これを召し上がりますか?」という
敬語を必ず使うんですね。
で、日本にも、少なくとも昭和には、
そういう親を敬うという心があったなーと
思ったんです。

いまメールとか携帯の絵文字や省略語が出てきて、
漢字が書けないとか、問題になりますよね。
あ、僕自身も漢字が書けなくなってますけど(笑)。
『チルソクの夏』のキャッチコピーは、
携帯もメールも無かった時代に、
僕たちは再会を約束した

というのですが、そういうことなんです。
正しい日本語を使う、
正しい文章を書く、っていうことに
すごくこだわりました。」


臼井さんと韓国の出逢い。

臼井さんの「こだわり」の中に出てきたように、
『チルソクの夏』も『カーテンコール』も
日常的な生活レベルにおいての、
日本と韓国との関係が描かれています。

なぜか。
それは臼井さんと韓国の「運命的な」
出逢いがあったから。それまで13年間、
映画製作会社でボロボロになって(臼井さん曰く)
映画を作ってきた臼井さんにとって、
映画製作の方向性を大きく変えるような、
大転換期になった、のだそうです。

(『チルソクの夏』では、
下関と、姉妹都市の釜山で行われた
親善陸上競技大会を舞台に、
かわいい恋物語がありましたよね。
「チルソク」とは「七夕」の意味です。)

臼井さんと韓国との出逢いは、
「韓流ブーム」より少し前の2001年、
日韓映画製作者協会が主催する、
交流研修会に参加したことでした。
韓国映画の勢いの源になるシステムのことなどを
勉強したあとに、韓国映画人と本音の部分で、
議論したり、両国の問題を超えたところで、
映画が果たすべきことを痛感して帰国。
そして帰るや、韓国語を習いはじめ、
韓国語の先生の話す韓国の日常や生活が
魅力的で、興味を抱くようになりました。
そんなときに出逢ったのが、
佐々部清監督と『チルソクの夏』の脚本。
「これをやらなければ
今後自分は映画を作る意味がない」
と思って、資金集めを開始し、
3年の製作期間で完成したのだそうです。
(視点●私と『チルソクの夏』ー『カーテンコール』
が目指すもの、より)

マシューTVを観て「あっ!」

ミラクルな出逢いと言えば、臼井さんが
藤井隆さんと出逢ったのも、なんだか運命的と言える
出逢いだったそうです。

「ある夜、『マシューTV』を観て、あっ!と思い、
続けて翌朝『まんてん』に出てた藤井さんを
偶然観たんですね。
そしたら『カーテンコール』の安川修平のイメージ
そのものだったんです。

舞台の上の修平さん(マシュー)と、
実生活の修平さんが(まんてん)見えたわけです。


©カーテンコール」製作委員会

で、それまでわりとのんびりしてたんですが(笑)、
それから俄然、やる気が出てきて、
製作のスピードが上がったわけです。
運命的な出逢いというんでしょうか。
そういうのってありますね。」


というわけで、
藤井隆さんのキャスティングが決まったそう。
もし『マシューTV』を臼井さんが観てなかったら、
この映画は無かったかも…!?

今後、臼井さんの野望は、
「韓国語をペラペラに話せるようになって、
韓国に乗り込み、いっそのこと韓国映画界で
映画を作ってしまおうかと思ってるんです。」

だとか。
私も韓国語を必死にやって一緒に韓国で映画作りたい!
(…なんて、夢です、夢。)

ちょうど韓国の『僕が9才だったころ』という
かわいい映画のユン・イノ監督にも
インタビューしてきたところです。
やっぱり臼井さんと同じ(私とも)年代で、
なんだか同級生に会ったような不思議な懐かしさに、
うれしくなりました。
その話はまた今度!

ぜひ、『カーテンコール』のご感想、
お待ちしてます。
Special thanks to producer Masaaki Usui (CineMove).

ご近所のOL・まーしゃさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「まーしゃさんへ」と書いて
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2005-12-14-WED

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