ご近所のOLさんは、 先端に腰掛けていた。 |
vol.103 - Hotel Rwanda - ●2006年のはじまりは、 ---- 『ホテル・ルワンダ』 あけましておめでとうございます。 ことしもどうぞよろしくお願いします。 今年はのっけからスゴイ映画の公開があります。 噂の『ホテル・ルワンダ』がいよいよ、なのです。 こんなはじまり方をする年なんて、 きっと偉大なことがあるに違いない…、かな。 私もミズキ・ユータさんの主催する、 “『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会”に 署名をした一人です。 ミズキさんのエネルギーはやはりスゴイと思います。 インターネットの力もなかなか捨てたもんじゃないですね。 センタンもいいことしたかな(笑)。 そして署名したみなさん、待ってましたよね〜。 私ももちろん、待ちわびておりました。 そして、とうとう、この間、ひと足先に観ました。 期待と、きっと恐ろしい場面もあるだろうという不安と、 ドキドキしながら、何ごとも見逃すまいと、 ガッチリと構えて観ました。 見終わって涙でボロボロになって思ったのは、 「とにかく、一人でも多くの人に観てほしい」です。 それと「ポール・ルセサバギナってやるな〜」です。 なので、ちょっと書かせて下さい。 『ホテル・ルワンダ』はどんな映画かというと、 1994年、アフリカのルワンダで起きた大虐殺の中、 4つ星高級ホテル「ミル・コリン」の支配人 であるポール・ルセサバキナという男が、 ホテルに逃れてきた1268人の「難民」の命を 救ったという、ミラクルに近い実話にもとづいて 作られたものです。 まず、押さえるべき、恐ろしい事実は、 1994年3月から7月の間のたった約100日間に およそ100万人の人々が虐殺されたということ。 その間、誰も止められず、 止めようとしなかったということ。 なぜこういうことが起ったかはけっこう難しい。 まずツチ族とフツ族を理解しなくては。 「“〜族”という呼称は、差別を連想させるものとして、 公式の場で使用されていませんが」と今は御法度な用法、 とプレスパンフレットにお断りがあり、 そのこと自体、おー、そーなんだ〜、と思いながら、 そのパンフレットを穴があくほど、 何度も読み返して準備しました。 なにが難しいって、 ツチ族とフツ族の区別がなかなかつかない。 それもそのはず、実際のところ、 見かけの特徴をとらえただけの区別で、 現地の人だってパッと見ではわからない というものらしいのね。 鼻が高いヨーロピアンな顔は「ツチ族」 平たい鼻と厚い唇を持つ顔は「フツ族」 なんて言われても、そんな分け方ありえない! 日本で、縄文顔、弥生顔、とか分けるような感じ? もともとルワンダに「民族」の違いは 存在していたのだけど、 それをはっきりとIDカードまで作って区別したのは、 第1次世界大戦後。 国際連盟が「戦利品」としてベルギーにルワンダを 与えたのちに、支配しやすくするために 国を分裂させるために利用したのが、 容姿の差だったのだと。 もうこの根元の部分からして間違っていたとしか 言えないです、いまとなっては。 「戦利品」として分け与える!? 他人の国をなんだと思っていたんだろう、まったく。 まさに狂っていた帝国主義の時代。 でもアフリカの貧しい国が、大国に対抗し、 生き残るために逆に大国を利用してもいたのだろうか。 しかし、なにはともあれ、諸悪の根源は、 列強の思惑に始まっていたと言えるでしょう。 そしてもっと恐ろしいことは、内部告発。 どこの圧政も、この密告制度があるから 成功してしまうんですね。 ●ホテル・ルワンダの支配人は ----コミュニケーションの達人だった! いちばん、すごいな〜と思ったのは、 ドン・チードル演じるミル・コリンホテルの 支配人、ポール・ルセサバギナの、 恐るべきコミュニケーション能力です。 たしかにこの『ホテル・ルワンダ』を 悲惨な歴史の検証として「ひどすぎる!」と感じる のもひとつの見方ですが、一方で、 描かれているのは、現代に教え説くような、 「コミュニケーションとはこれだ!」という 彼の卓越したコミュニケーション術と、 瞬間瞬間の判断力の素晴らしさです。 原作の『ジェノサイドの丘』をどれだけ再現している かはわかりませんが、 監督兼脚本のテリー・ジョージは、みごとに、 このポールという人物を「普通なのにすごいやつ」 として描き、ドン・チードルは、ありあまる才能で 演じ、魅せてくれました。 ポールのポイントとしては、 1.ワイロの使い方 2.ウソのつき方 3.機転の効かせ方 が見どころです。 テリー・ジョージ監督はアイルランド人で、 なんと北アイルランド、ベルファスト生まれ。 IRAとの関与の疑いで拘留経験があるという、 民族紛争の渦中をくぐり抜けた強者です。 だからこそ、この映画をやりたいと思ったのですね。 さもありなん、です。 アイルランド人だからというのではないですが、 きっとこれだろうと思うのは、 イギリスで仕事をしていた私の経験からみると、 日本人にはどう転んでもできない技というか、 慣れていない習慣があって、 それは「チップ」を渡すさりげなさです。 「施す」ということが、 宗教的にもそれほど奇異なことではなくて、 貧しい人には分け与えよ、という教えがそのまま、 「チップ」につながっているのでしょうね。 イギリス人と一緒に仕事で南アフリカに行ったとき、 まるで路面から湧き出てくるような、 物乞いの人々をうまくかわせなくて 私がビクビクしていたら、 彼らは、ポケットから小銭を取り出して、 ホイホイと与え、スイスイと道を空けさせるわけです。 なんだか唖然としたのを憶えています。 で、この映画のポールですが、 ホテル学を大学で学び昇進を遂げた、 ルワンダ人では飛び抜けたエリート(フツ族)です。 (奥さんはツチ族、というところが複雑。) さほど迷いなく、政治的有力者などには、 「のちのち危機の時には助けてもらえる」という考えで、 高いスコッチを(ホテルのプロパティなのに) 支配人の権限で「流し」、見返りを期待します。 それが「コミュニケーション」と言うのは、 道徳的に許せないと思うのは、 日本人の美徳かもしれませんが、 (あるいはイリーガルな場合もありますが) 必要なときには必要なことをする、というポールの 現実的な処世術があらわれています。 ウソをつくことも、一瞬の判断を下すところも、 映画のスリルを味わうのと同時に、 彼の能力の高さが伝わるところです。 「電話を切る前に相手の手を握れ」と言うところなんか 人の気持ちを知り尽くしているホテルマン節、炸裂です。 …あまり内容を書くといけませんので、 これくらいにします。 最後に国連の役割についてちょっとだけ。 ニック・ノルティが、無力な国連の象徴みたいな大佐役で 名演技をしています。 もうどうしようもない国際社会を、 まざまざと見ることになるわけですが、 国連=大国がルワンダを助けようとしなかったわけを 検索でいろいろ調べてみました。 名目上、 「Peace Keeping ForceだからPeace Makingはできない」 だから手を出さないというふうに理由付けをするのですが、 果たしてどうだったんだろう。 こんなサイトがありました。 映画にもこのようなことが映像化されています。 「ルワンダ大虐殺と国連」 もう一つ、見ておきたい視点は、 ジャーナリズムです。 ものすごく胸に突き刺さったのは、 虐殺の映像を世界のテレビで放映したとしても 「なんて恐ろしい!と言いながら すぐにみんなディナーにもどるんだよ。」 というホアキン・フェニックスの言葉。 この映画を観た後に食事に行けない? 行っちゃうよね。哀しいことに。 でも知らないより知っているほうがいい。 申し訳ないと思って食べるほうがいい に決まってる、と思います。 他にはこちらも参考にしました。 地図やタイムラインがわかりやすいです。 http://www.hotelrwanda.com/ みなさんは、『ホテル・ルワンダ』をどう観ますか? (1月14日からロードショー) Special thanks to MediaSuits. |
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2006-01-04-WED
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