vol.171
- VEXILLE 1
●「希望よ、ひらけ。」
──『ベクシル-2077日本鎖国-』その1
©2007「べクシル」製作委員会
全国ロードショー
□経験値が足りない‥‥。
『ベクシル-2077日本鎖国-』の曽利文彦監督は、
ご存じ、大ヒット作『ピンポン』の監督です。
実写とCGの融合による奇想天外な映像化、
地味な卓球が一躍スターダムに登り詰めるという
社会現象‥‥おもしろかったですね〜。
曽利さんは、会社員でありながら映画監督、
という異色監督であり、技術者でもあり、
ハリウッドでは『タイタニック』に
CGアニメーターとして参加してたりと、
おもしろい経歴とポジションの持ち主。
以前“センタンOL”だったまーしゃにとって
ひさびさ強烈にセンタンの匂いがする、
懐かしい、そして新しいお話を、
めいっぱい聞くことができました。
***
さて、『ベクシル』の舞台は2077年。
70年後の日本。どうなっているんでしょう?
なんと、日本は鎖国しているというのです。
他国との交流を一切遮断し、ベールに隠れた闇の国。
情報が流れてこない国ほど不気味なものはない。
アメリカ特殊部隊の女性兵士、ベクシルが
日本潜入に成功し、謎を解明することになるのですが、
そこには驚くべき真実が隠されていた‥‥。
でもなぜ、日本は鎖国をすることになったのか。
バイオ、ロボット技術が高度に発達し、
それにともなう危険性が警戒されている世界で、
厳しい国連の規制が行なわれるのですが、
それに反発した日本はついに鎖国状態へと突入‥‥。
なんとなく前戦争を彷彿とさせて恐いです。
この奇想天外なストーリーを、
驚くほどリアルな質感の3Dアニメーションと、
ブンブンサテライツやポール・オークンフォールド、
プロディシーなどの最強のミュージシャンで盛り上げ、
未来社会を独創的に表現したのが『ベクシル』です。
それでは、曽利文彦監督の
CGアニメの最先端のお話になだれ込みます。
まずは、このコラムのタイトル
『‥‥先端に、腰掛けていた。』の由来に
関係する話からはじめてみました。
本日は、前編。「ひらけ。」
曽利文彦監督
── 以前「先端情報技術研究所」(以下、センタン)
というところに7年間ぐらいいて、
所長の身の回りの世話(まあ、秘書のようなこと)
をやっていたのですが、それが縁でこの
『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』
というタイトルで書くようになったんです。
曽利 そうなんですか。
── そのセンタンには前身があって、
「新世代コンピューター技術開発機構」という
13年間の国家プロジェクトをやっていた研究所で、
並列コンピューターを使って、
人工知能の研究をしたり、
並列言語、応用アプリケーションなどを開発
していたところだったんです。
私は門前の小僧で、すごい頭脳の人がいっぱい
周りにウロウロしていたので、かなり、
刺激的な環境だったんです。
その人たちの話を文章にしてみたのが、
コラムのスタートだったんです。
その研究所には、国内外の研究者が在籍していて、
日本の研究の遅れを海外研究者との交流によって
取り戻していたという時代を経て、
いま使われているようなインターネット、
コンピューターの基礎研究を、
メジャーなメーカーからの出向者とか、
大学の教授連などで進められていたと
記憶しているんです。
そこで、もちろん、
映像の先端技術の研究発表もよく聞いていて、
映画の裏側には、どんどん発達する技術が
しっかりあるんだと感動していたんですね。
それもあって映画に強烈に興味があるのですが。
センタンは2002年に解散しているので、
その後の映像技術の状況については
映画を見ることで確認したりしています。
今日はぜひ、映像における最先端の
お話を曽利監督に伺えればと思ってるんです。
曽利 じゃあ、むつかしい話を簡単にするということに
長けていらっしゃいますよね。
── いえいえ、全然(笑)‥‥。
『ベクシル』を観たときに、ここまで来たか
という感激がありましたし、
ますます進化のスピードは加速してますよね。
『アップルシード』からみても、それが、
質感になって表れてるように思います。
そういう技術まわりで、
いま日本のCG技術は世界のどこらへんにいて、
映画の世界ではどういう状況に
なっているのでしょうか。
曽利 じつは、あんまり日本は進んでいないんですね。
ちょっとそれは残念なんですけれども。
CG技術ってアメリカが進んでいるのは、
まず軍事用ですね。これは異常に進んでいます。
それは表にはなかなか出てこないものであって、
ただ、軍事用に進んでる部分は、
画像処理的な部分とか、もちろんCGも軍事応用
ですから、決して映像を作るということに
長けているわけではないんですけど。
画像解析みたいな技術に関しては、
軍事産業がひじょうに押し上げてます。
エンタテインメントの分野では、間違いなく、
ハリウッドが物量によってCG技術を
どんどん進めちゃってるので‥‥。
これは難しいんですけど、
技術的なことが進むためには、
国家プロジェクトと同様に、
やっぱり人、それから予算が絶対必要ですね。
ハリウッドの場合は、物量がとにかくある。
それに大作映画がどんどん作られるので、
技術を進めることも必要なんですけど、
ノウハウの蓄積! これが大きいですね。
── なるほど。
曽利 けっこう映画作りってアナログ的なことも
多いんですよね。
最先端のデジタルだけですべてが賄える
というんだったら、逆に言うと楽なんです。
ではなくて、アナログ的な、知識とか、
職人芸的な部分が加わって始めて、
最先端のデジタル技術が生きるんですよね。
そのためには経験を積まないといけないし、
いろんな失敗を経て得られるものだと
思うんです。
日本の場合は、予算もそんなにかけてないし、
デジタル技術だけで押し進めるほどの
大きな作品があるわけではないので、
経験値が浅い。だから人が育たないですね。
たとえば『スターウォーズ』を経験する人間、
それもトップレベルというか、仕切る側で
経験する人間が何十人もいるようなアメリカ。
『スターウォーズ』クラスの映画は、
絶対日本では作れないわけですよね。
そうすると経験できる人間がいないわけです。
それによって格差はどんどん広がる一方で‥‥。
『スパイダーマン3』です、
『パイレーツ・オブ・カリビアン3』です、
って言って毎年、何本も大作が作られますから、
そこに積み重ねられるノウハウって
膨大なものになるんですよ。
追いつけないし、不可能ですよね。
── う〜む、ええ。
曽利 技術論だけじゃなくて、明らかな経験値の差。
問題は、日本人に能力が無いとか、
そういうことじゃないんです。
経験できない、ということです。
── 単純にチャンスが無い‥‥。
曽利 ええ、機会が無いから、無理なんですよね。
そう言っちゃうと身も蓋もないんですけど、
実際そうなんです。
個人のレベルでは日本人はひじょうに優秀だし、
能力も高いです。技術力もある意味あります。
だけど足りないのは、経験ですね。
── ピクサーとかでも、
日本人の方がいらっしゃいますけど、
日本に帰る気は無いみたいですよね。
そこで勉強するとかじゃなくて、
そこで活躍の場ができてる。だから帰っても‥‥、
曽利 仕事は無いですね。
日本に帰ってきても、
そのノウハウを生かす仕事は無い。
しかも、アメリカの場合、
大きな作品のなかで、やっぱり分業なんです。
分業の1つのパートをやっていても、
帰ってきて映画作れるかといっても、
また別の話なので。
── そうですね、部分ができても‥‥。
曽利 もしピクサーで映画をトップに立って撮った人が
日本に帰ってくるのであれば、
日本で映画が出来るかもしれないですけど、
それもちょっと厳しいとは思うんです。
ピクサーほどの布陣がいるわけではないので。
映画って1人では絶対できないです。
いくら能力の高い人がいても無理ですから。
デジタル時代でパーソナルに作れる時代に
入りましたけど、大作は作れないですね。
こじんまりしたものは作れますけど。
でも大きなものを作ろうと思ったら、
1人ではとてもとても‥‥。
── むつかしいですね。
曽利 そういうことを考えると、
なかなかアメリカにどうこうってまともに
考えてもしょうがないので、
我々には我々のやり方で、できる範疇で、
一生懸命やる、っていうのが正直なところです。
じゃあ、希望はないのか、っていうと、
それはまた違う話ですけど。
自分もハリウッドをちょっと齧った時期があったので
みなさんによく言うのは、
ハリウッドと日本の違いは何かというと、
「アメリカは多国籍軍で、アメリカじゃない」
ということです。
世界中から人が集まってますから、
ワールドチーム、ドリームチームなんですね。
── 才能のトップが集まってるんですね。
曽利 僕が『タイタニック』をやっているときも、
アジア系もいれば、ヨーロッパの人もいるし、
もちろんアメリカ人もいる。
もう連合軍なんですよね。
日本ではそれはあり得ないですから。
わりと日本人だけで集まってますよね。
── たまーに髪の色が違う人がいると目立ちますね。
曽利 ワールドチームと、日本の島国が戦おうという
発想そのものが貧困かもしれないですね。
グローバルな時代になって、
国際化をもし言うのであれば、
「邦画」とか言って日本だけで作ろうと
言ってること自体がおかしいのかもしれないと、
ちょっと思うようになってきてますね。
ほんとうにおもしろいものを作ろうとか、
世界中で観られるもののレベルと同じものを
もし作りたいのであれば「邦画」とか
言ってないで、「映画」ってことで、
映画を捉えたほうがいいんじゃないかなって
思いますね。
愛国心とか、日本文化に対する
リスペクトがあるからこそ、
日本人の良さを世界にアピールしたいのであれば、
日本人だけで固まっているよりは、
もっと違う形のフォーメーションがあるんじゃないか
と思いますけど。
── そういう意味では、もしかしたら
映画という面において「鎖国状態」なのかも
しれないですか。
曽利 「邦画」とか言って日本だけで興行をするのであれば
ちょっと守りに入っているところがありますね。
いま、邦画ビジネスも順調だし、
洋画よりも日本人は日本映画を観ましょう
というのは、僕はいいことだと思いつつも、
ちょっと複雑な思いもあって、
国際性とかさんざんうたわれてきたのに、
逆戻りかなという思いもちょっとありますね。
国の文化とモノを大切にするというのは
絶対必要だし、国を護っていこうというのは
ものすごく重要なことなんですけど、
内側に閉じちゃうのは、ちょっと危険かなと
思います。外に開いて、
さらに大切にしていけばいいと思うんです。
つづく。
『ベクシル』にこめられた熱い「希望」。
曽利さんがお話してくれたように、
外の世界を実際に見て感じてくると、より、
閉じている、あるいは閉じようとしている状態に
危機感を感じるのかもしれません。
それが『ベクシル』の「鎖国状態」の国の危険と
アホらしさみたいなところに表現されていて、
もっと「ひらけ!」と訴えている‥‥、
ような気がします。
次回は、高度情報化社会と『ベクシル』について
さらに興奮する話が展開します。
お楽しみに。
★『ベクシル』
Special thanks to director Fumihiko Sori,
Shochiku and alcine terran. All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)
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