OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.177
- Un Couple Parfait 3


男と女のものがたり‥‥
──『不完全なふたり』その3



全国にてロードショー / 写真:諏訪監督提供

□カントクの視線の魔法

たいへんお待たせしてしまいましたが、
諏訪敦彦監督『不完全なふたり』
についてのお話、第3回になります。
vol-164のつづきになります。)


俳優がカメラの前で演じること。
そこには、想像以上の不安との闘いがあるものなのか。
スクリーンに映し出される彼、彼女らは、
微塵もそんなふうな不安など感じさせず、
ストーリーの中に生きている人間として
呼吸している、‥‥ように見える。

そんな彼らの前に必ず「カントクの視線」があり、
それこそが唯一、彼らが頼る、
いわば「命綱」なのかもしれない。

観る人、あるいは、観る時間によって、
まったく印象が違うかもしれない『不完全なふたり』。
その演出の魅力をたっぷり伺います。

(この先、ネタバレを含んでいます。
 すみませんが、未見のかたはご注意ください。)

── ブリュノ・トデスキーニと
   ヴァレリア・ブルーニ=テデスキという、
   なんとも双子のような名前のお2人ですが(笑)、
   実際、パトリス・シェローが芸術監督を務めている
   同じ学校で学んだ方々なんですね。


諏訪 そうですね。
   卒業試験のときにコンビを組まされたらしくて、
   名前を読み上げるときに、
   なんでこんなにそっくりな名前のヤツがいるんだ
   と思ったらしいです。


── 演劇の演出家でもあるパトリス・シェロー監督も、
   『ソン・フレール』とかを観ると、
   ドキュメンタリーに近いリアルを
   厳しく追求する人だと思うんですけど、
   そういう環境で育った2人は、
   諏訪さんの映画に合うだろうという先入観で
   観てしまったのですが。
   それでも2人はけっこう葛藤しているふうにも
   見えて、そこの葛藤がすごく厚みを与えていると
   感じました。
   ヴァレリアさんも(インタビューで)
   「挑戦だった」とおっしゃってますが、
   ということはやっぱり、新しい感覚で
   諏訪さんと仕事をされていたんですね。


諏訪 僕はそれほど不安ではなかったんですけど、
   ヴァレリアはあとで聞くと、思った以上に、
   不安だったみたいですね。


── そうですか。

諏訪 やっぱり僕が傍にいられないので。
   台本もないし、監督も、
   来たらすぐに帰っちゃうし、
   拠り所になるものが無いわけですから。


── え? 諏訪さん、すぐ帰るんですか。
   あ、日本からだから、そうですね。
   それは事前準備のときですね。


諏訪 そうそう。

── でも、いざ撮影に入って、
   諏訪さんの視線をヴァレリアさんは、
   ずっと感じてたとおっしゃってます。
   じっと、こう、見つめるんですか。


諏訪 それは前も、『H Story』のときに
   ベアトリス・ダルに言われたんだけどね。
   「じっと見てくれた」と。
   自分自身では意識しているわけではないですが、
   ただ僕は、演技をしている姿を見ているのって
   すごく好きで、その瞬間というのは、
   いくら続いても苦じゃない、というのがあります。

   やっぱり俳優というのはとても不安で、
   映画の俳優はとくに、
   誰に対して演技をしてるのかというのが、
   すごく難しいわけですね。
   舞台だとお客さんとのコラボレーション
   というのがあって、そこで演技しているんだという
   実感を持つのだろうけど。
   映画の場合は、自分がいくらいいと思っても、
   監督がNGと言ったらもう一度やるしかない。
   だから自分のどこを、なにを見ているのか、
   というのがすごく気になるわけですね。
   それに対して演技をしていくしかないから。

   「見ている」ということは、
   とても大事なことだと思うんですね。
   「ちゃんと見られているんだ」という安心感が
   あれば、俳優というのは自由になっていけると
   思うんだけど、「いったいどこ見てるの?」だと、
   やっぱり信頼関係が壊れていく気がしますね。

   そこでなにかをいちいち言わなくても
   いいんだけど、「ちゃんと見てるんだ」
   というふうに思って欲しいというか。

   僕が自主映画に(俳優として)出たりとかした
   ことがあって、
   (『帰郷』ではお医者さんの役ですね。)
   本当にそういう気持ちになりますね。


── はい。

   
   写真:諏訪監督提供

諏訪 小さな8ミリ映画でも、自分が演技していると、
   ちゃんと監督が見ていてくれないと、
   男同士でもすごくイヤなんですよ。


── (笑)。

諏訪 なんかこう、恋人同士みたいな感じですね。
   「なんで私を見てくれないの?」みたいな
   気持ちになりますね。
   それしかない。
   そこに向うしかないわけですから。


── 監督のシゴトですね。

諏訪 そう。何も言わなくてもいいし、
   そこに居ればいいと思うんですよ。
   でもそこでなにを見ているか、
   とても大事なんだと思います。


□ヴァレリアは、ファンタジスタ。

── その監督の想いにこたえる
   ヴァレリアさんの魅力ってどんなですか。


諏訪 ヴァレリアっていうのはおもしろい俳優ですね。
   サッカーで言うと「ファンタジスタ」みたいなね。


── お〜、ファンタジスタ!

諏訪 予測がつかないというか、なんていうか、
   すごく頭がいい人なんだけど、
   もちろん理論的に考える人ではないし、
   かといって感覚に任せきるような
   タイプでもないし。


── ふーん‥‥。

諏訪 知的なんだけど、
   予測不可能みたいなところがありますね。
   なんでこういう気持ちなのに、
   こんな演技になるの‥‥?って。

   たとえばこの映画のなかでも、
   ものすごく腹が立っているときに、
   笑うでしょ。笑っちゃうわけですよね。
   ああいう回路っていうのが、
   すごく創造的で楽しいですよね。


── そうでしたね、笑ってます、すごく素敵に。
   でもすごくわかりますね、その複雑な気持ち。
   そうやってこの映画の内容や気持ちについて
   話し始めると、何十時間も話していたいくらい、
   ここはどうなの、この人たちはどういう心境なの?
   と、異常なくらい移入していくところが、
   諏訪さんの映画の魔法だと思うんですが。

   エピソードを挙げるとキリがないのですが、
   たとえば、なぜ友だちに「僕たち離婚するんだ」
   って、ニコラが軽く言ってしまったのだろう、とか。
   あの時いったいどちらが、本当に離婚したいと
   思っていたのだろうか、とか。
   その言葉が出たことによって、
   引き金が引かれたのだろうか、とか。
   とにかく、いろんな些細な言動が、
   すべて心にひっかかってきます。

   そこの答えの見つからないおもしろさが
   本当にあって。
   ラストシーンにしてもそうだし、
   どっちにも転がれる状態なんだけれども、
   2人が選んだ選択があって‥‥。

   ラストシーンですが、
   すごい遠景で撮ってますね。
   あの乗客の人たちはエキストラですか?


諏訪 いやいや、あれはほんとの電車なので(笑)。

── 駅員さんが立っていて‥‥。

諏訪 そう。駅のホームを撮らしてもらったので、
   入ってくる人は、ほんとの乗客です。


── え〜! そうなんですか。
   で、そこで2人が話し合ってましたよね。


諏訪 「誰か迎えにくるの?」
   「いつ帰ってくるの?」
   という会話ですね。
   それもべつに決めてるわけじゃないので。


── ふーん。

諏訪 ブリュノがパッと聞いただけで。
   でもそういうちょっとしたところが、
   やっぱり全体に影響していきますね。


── あのシーンは何テイクか撮ったのですか。

諏訪 4回やって、いちばん最初のを使いました。

── ということは、違うパターンもあったのですか。

諏訪 ありますね。抱き合うパターンとか。

── 電車に乗るパターンは?

諏訪 乗るのは無かったです。

── それは決まっていたんですね。

諏訪 それはマリーの意志として。
   ヴァレリアは「2人はなにも変わらないけれど、
   周りの風景はぜんぶ変わってしまう」という、
   そういう場面を想像していたみたいです。
   「乗らない」という意志はほとんど無いのだけど、
   電車は行っちゃう、風景は変わってしまう、
   そういうイメージを持っていたみたいです。


── でも突然そうなったわけではなくて、
   4日間の滞在の間に2人の心境が揺れて、
   変っていくのですが、
   マリーが「ボルドーへ行く」と
   ニコラに告げた最後の夜が、やはり、
   決定的だったと‥‥。


諏訪 そうですね。でも決定的なシーンだろうとは、
   思ってないですね。
   ただ、最後の夜、そこをどういうふうに
   通過していくんだろうか、
   というところに向って、
   映画を撮っていたと思うんです。

   で、その次の日にどうなるのか、というのは、
   とりあえず決めないでおこうと。
   そこは最後のシーンになるけれど、
   どういうふうになるのかは、
   そこまで撮っていくなかで考えよう、
   というのにしてスタートしたんです。
   だから脚本には、そこは書いてなかったです。
   でも順番に撮っていけば見えてくるだろう
   というのもあったし、そこを最初から
   書いてしまうのも、
   自分としてはイヤだったんです。
   そこまで辿っていくと、最終的に
   自然にもう一歩、
   踏み出していけるのではないかと
   思ったんです。

   それを前もって書いてしまうと、
   規定されてそこから逆算されてしまうと。
   それは「どっちでもいい」と
   思ったんですね。
   そのことに向って映画を撮るわけじゃないので。
   そこは空白にして、みんなで考えよう、
   ということで、撮影をしました。


   つづく。

お話を聞きながら、
諏訪監督の「視線の魔法」を、
一瞬、ふと感じられた気がしました。
こうやって見つめられると、
きっと不思議な力が湧いてくるのだろうな。
そんな俳優たちの恍惚の時間が、
映像となり、私たちに伝わってくるのは、
かなりしあわせです。

次回、最終回は、
「男は優柔不断‥‥」という深いところへ。
じつは諏訪作品のレギュラーとも言える(?)
“どうしようもない男”の存在があるのですが、
その“真相”も‥‥。

お楽しみに。

『不完全なふたり』


Special thanks to director Nobuhiro Suwa
and Bitters End. All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)

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2007-09-21-FRI

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