OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.178
- Un Couple Parfait 1


男と女のものがたり‥‥
──『不完全なふたり』その4



全国にてロードショー

□男は優柔不断‥‥?

諏訪敦彦監督の最終回です。

離婚を決意した夫婦が、
友人の結婚式のためパリのホテルに滞在し、
気まずい時間を持てあましている。
そんななか、口論になり、
女友達に会い、朝帰りをする夫の心境、
寝ずに待っていた妻の心境、
離婚の決意をしたものの、心は一刻一刻揺れ動く。
男はどうして優柔不断なんだろう‥‥。
女にとって子供とはなんだろう‥‥。
フランス人の結婚観から坂口安吾へと
お話が進みました。
諏訪監督の映画への独特なアプローチは、
とても興味深いです。

── トデスキーニさんの発言がおもしろいんですが、
   「男というものはこういうもので(映画のよう)、
    決定的な行動をとるのではなく、
    事態を放ったらかしにしておく」と、
   インタビューで話していますね。


諏訪 朝帰りして「どこ行ってたの」って聞かれても、
   「女と会ってた」とは言わないでしょ。
   ブリュノは
   「ウソはついてないよ、言わないだけ」
   と言ってました(笑)。


── なんかリアルですね〜(笑)。

諏訪 でもおもしろかったですよ。
   ナタリー・プトゥフという女優さんが、
   すごく素敵だったけど、
   ニコラと朝まで飲んでいたシーンで、
   ニコラがどうするか。
   家まで彼女を送って行って、
   ちょっと上がっていくか、とかね。
   そのあとどうするだろうか、というのは
   けっこう話し合ったんです。


── 脚本には「上がっていく」と
   書いてあったそうですが‥‥。


諏訪 最初「上がっていく」と書いたんです。
   上がっていって、とか、いろいろほかにも
   ありましたけどね。
   それはナタリーとも話したんです。
   ナタリーとしては「もう一回会いたいな」と
   言ってて「次の日に会う約束するかな」とか、
   「ニコラのホテルに訪ねていくか」とかね。
   この辺はけっこう悩んだんです。


── ナタリーさん自身の役も、
   ニコラの友人で、
   仕事はうまくいってる人だけど、
   どこか所在の無さみたいなのがあって、
   夜、ひとり飲み歩いていたところを、
   ニコラに電話でつかまった、という
   好都合な状況でしたね。
   なんか“よるべない人”というか、
   不思議な感じで‥‥。


諏訪 ナタリーはヴァレリアと違う笑い方しますよね。
   彼女もよく笑うんだけど、
   笑い方がぜんぜん違う。


── このキャスティングは‥‥?

諏訪 ナタリーは僕の『M/OTHER』を観てくれて、
   ぜひ出たいからと、連絡してくれて。
   それでは、ということで。
   とてもよかったですね、彼女。


── あとは、『パリ・ジュテーム』のときにも
   お話していらしたジョアンナ・プレイスさんも
   出ていましたね。


諏訪 ジョアンナは『H Story』を観てくれて。
   けっこう向こうの俳優さんは、積極的です。


── いや、諏訪監督の人気ですね。

諏訪 「絶対こういうやり方はやりません」っていう
   俳優さんはいます。
   ま、最初に「僕のやり方はこうです」って言って、
   「いいですか」って聞くので。
   こちらがおもしろいなと思って会った俳優さんでも
   「それはできない」と言う人もいますから、
   まずそのことをはっきりさせないと。


── なるほど‥‥。
   それで、さっきの「男の優柔不断さ」の話に
   もどるんですけど‥‥(笑)。


諏訪 ハイ(笑)。

── 諏訪さんは、ブリュノとはなんとなく
   双子みたいって、ソウルツインかも、
   と感じたっておっしゃってましたね。
   やっぱり感覚的な共感はありますか。


諏訪 共感しますね(はっきり)。

── じゃあ、言わないと。外であったことは。

諏訪 そのことを、なんとか改善しようとか、
   努力はおたがいにしますけど。
   でも日本の男ばっかりではないんだなと。
   ブリュノ見てると、そういうふうに‥‥(笑)。
   だって「フランス人はいっぱいしゃべるじゃない」
   と言うと、「いや、あれは映画のなかだけで」って。


── 私の知り合いで、
   フランス人と結婚している日本人がいて‥‥。
   あ、でも2人でいるときって見られないから、
   わからないですけど。
   対外的には、すごくおしゃべりですよね。


諏訪 やっぱり言葉にして表現していくことに
   彼らはすごく慣れているから、
   会話もはずむんですけど、
   夫婦の間だと会話は少ないと思いますね。
   日本人ほどじゃないけど。
   日本だと、
   以心伝心みたいなところがあって
   言わなくてもわかるみたいな関係を
   強いているところはありますね。
   そうなってくると、そんなことでほんとに
   わかり合えるのか、というと、
   「言わなきゃわかんないだよ」というふうには
   思いますね。
   ただ感情をぜんぶ言葉に置き換えられるとは
   思わないし、とくに愛し合ってる関係というのは
   こういう映画のようなことは、
   当然起こるだろうとは思うんですね。
   ぜんぶ説明すればいいというものではないし。


── 朝帰りした夫をむかえる妻の、
   あのすごい心境って、ひじょうに修羅場なわけで、
   双方の居心地の悪さがひしひしと伝わって‥‥。
   そういう面でも入り込んでいく映画ですね。


諏訪 同じような夫婦の状況を、
   誇張して描けば完全に喜劇になるし、
   笑って観られるわけですよね。
   いろんな社会問題、家族問題とかを、
   たとえばテレビなんかで、
   再現ドラマをやったりするときは、
   かなり誇張するじゃないですか。
   嫁姑とかね。
   笑いながら「そうだよね」とか、
   いろいろ考えてみたりするけれども、
   それは自分のコトだと思わないんですね。


── あ〜、そうですね。他人事として‥‥。

諏訪 それは現実として見れないから、
   「そういうこともあるだろうね」
   みたいにわりと安心して見れちゃう。
   それをこういうやり方で「あるリアリティ」
   を持っていくことで、
   「これは自分かもしれない」というふうに
   はじめて当事者として、自分の問題として
   考えていくことができて、
   それを見ることができるっていう面が
   あると思うんです。
   「朝帰りして大変!」みたいに誇張して
   やることもできるし、
   それで夫婦の喜劇として笑って見る
   という話の方法ももちろんあるけど。


── 女性のほうが移入しやすいかもしれませんが、
   夫のほうに移入する男性も、
   「わかる、わかる」ってうなずく人も
   たくさんいるでしょうね。


   

□女性と母性

── 1つ、隠れテーマのように流れていた、
   “子供の存在”というのがありましたね。


諏訪 そうですよね。

── なにかにつけて、子供の話題が出るたびに、
   マリーの心がすごく揺れるっていう、
   そこが、彼らの15年の間に少しずつ溜まっていた
   シコリがあったのかなと思って。
   「なぜ子供がいないのか」というところは、
   映画のなかで追求していないのですが。


諏訪 そうですね。
   そこはいろいろ話をしたんだけど、
   結局、追求しきれなかったところがあって、
   決まらなかったんですね。
   いろんな想像はしたんだけど、
   「これが」というふうに決めなかったんです。

   でも大事なのは、なんらかの理由で
   そういう選択はしなかったと。
   思ったことももちろんあったでしょうけど、
   タイミングが合わなかったか、
   そのときなにかがあったかわからないけれども、
   とにかく逃してしまった。
   仕事も、マリーは自分の仕事をしていたけれど、
   ニコラと一緒に生きることを選んで、
   パリからリスボンへ移り住んでしまった。
   そのなかで仕事から遠のいてしまって、
   子供もいないし、自分がうちこめる仕事もない。
   じゃあこれからどうするんだろう、
   みたいな岐路にちょうど立ってる、
   ということを設定したんですね。

   それはヴァレリアとも話してて、
   ヴァレリアにもそういう瞬間があったと。
   なんか自分はもうゼロなんじゃないかとか、
   なにも無いんじゃないかと
   感じた瞬間があるという話をしてて。
   そういう感情みたいなところを
   ひとつのポイントとして置いてみたんです。


── おそらく、どんな道を選んだ女性にとっても、
   通過点であり、それも一瞬で終るわけではなくて、
   ずっと抱え続けながら生きていくので、
   それを(産むこと)を選択しなかったことの、
   その後の人生というのもまた生まれてくるし、
   そこらへんのリアルな感じがありますね。


諏訪 余談ですけど、この間、
   NHKハイビジョンの番組で、
   「子供が生まれたらどんなに大変か」
   という内容の番組をやってね。


── 監督なさったんですか。

諏訪 そうそう。
   ある専業主婦の子育ての日常を描いたんです。
   それがどれだけ孤独で、
   日本においてどんなに大変か。
   社会から隔絶して、孤立して、
   さびしい状況なのかということを
   撮ったんですけど。
   生まれたら生まれたで、大変なんですね。


── そうですね〜。そういう選択肢の中から、
   どっちにしろ、何かを選んでいくのですが。
   でもフランスは、ちょっと違うだろうなと思うのは、
   結婚という形態が日本と違ってて、
   結婚にそれほど拘らなくて一緒に暮らしているし、
   結婚の概念みたいなのが社会的に違いますよね。


諏訪 違いますね。
   この間、フランスの友だちにすごく単純に、
   「なんで日本人は結婚するの?」って訊かれて。


── (笑)

諏訪 「なんの意味があるの?」と、
   必要性を感じていないですよね。
   「どうして」と訊かれたら、
   なんて答えたらいいのか、
   けっこう難しいと思うんです。
   結局、結婚したほうがいいと思ってるから
   結婚してるんだと思うんですけど、
   なんでいいのか、うまくいえない。
   ひとつの家庭を作って、
   たとえば子育てをしていくかということも
   含めて、べつに結婚してなくてもいいわけで。
   結婚という制度を受け入れなくても
   一緒に生きていける。
   恐らく、そういうことを考えて、
   むしろ結婚してないほうが、
   「どうして一緒に生きていくのか」と
   おたがいに持続的に確認していかなきゃいけない
   というのがあると思うんですね。
   だからフランスは離婚率も高いんだけど。
   つねに選択し続けなければいけないんだけど、
   もしかしたらカップルにとっては、
   それは健全なのかもしれませんね。

   結婚すると、おたがいにおいて魅了していくとか、
   プレゼンテーションしていくとか、
   確認しあっていくことをしない
   ということになっていくから‥‥。


── 確立した個をそんなにアピールしなくても
   よくなったりしますよね。


諏訪 昔、坂口安吾が書いてましたよね。
   日本の家族制度は病巣のようだ、
   というか、まだ男女関係においては、
   キャバレーの女を口説いているほうが健全だと。
   自分の魅力というのは、つねに相手に対して、
   磨いていくもので、そのほうが男女関係において
   健康的だと‥‥。


── 一歩間違うと、口実に使われそう‥‥。

諏訪 安吾自身、私生活では純愛を貫いた人で、
   そういう放蕩の口実というわけでは
   ないんですけど。


── はい。

諏訪 たしかに家庭というのは、ひとつのシステム、
   つまり、男女のそれぞれの生き方を問うようなことを
   必要としなくなるようなシステムになって
   しまっている、ということは
   あるかもしれないですね。


── ヨーロッパのほうがそういう意味じゃ、
   キビシいことはキビシいですね。


諏訪 いつも関係を確認しあっていかないといけない。
   それに疲れちゃうところもあるでしょうし。


── 国際結婚組の友だちはちょっと疲れ気味かも‥‥。

諏訪 だから日本女性がモテるということろもあってね。
   フランス女性はコワイから‥‥(笑)。
   ま、どっちも恐いけど。


── そうですか‥‥(笑)。

   おわり。

坂口安吾と言えば、
やはり「堕落論」なのですけれど、
諏訪さんの描く男性像が、
しばしば「堕落しつづける」姿なのも、
堕落の境地にある何かを見つめているのでしょうか‥‥。
諏訪作品をまた何度も噛み締めたいと思います。

もうひとつ、坂口安吾と言えば、
囲碁の世界にも造詣が深くて、
この秋公開になる中国、田壮壮監督の
『呉清源 極みの棋譜』で描かれる
天才棋士のことを文章に残しています。
呉清源を演じた台湾の美男俳優、
チャン・チェン(張震)さんに
この間、お会いしたのですが、
呉清源の「心の宇宙」を静かに静かに
体現していてゾクゾクします。
素敵なチャン・チェンさんのインタビューも
どうぞお楽しみに。

『不完全なふたり』


Special thanks to director Nobuhiro Suwa
and Bitters End. All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)

ご近所のOL・まーしゃさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「まーしゃさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2007-09-23-SUN

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