OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.180
- Tenten 2


●散歩と小ネタ、そして‥‥。
──『転々』その2



©2007「転々」フィルムパートナーズ、渋谷アミューズCQN、
テアトル新宿他にて全国<和道(なごみち)>ロードショー


三木聡監督、第2回です。

不思議な遭遇運がなぜか強い三木さん。
『転々』ではいったい何が起きるのか‥‥。
すでに偶然の不思議な巡り合わせが
いろいろあったという話を聞いています。
巡り合わせのなんだか微妙な展開に、
幸運なのか、不幸なのか‥‥、
わからないけど聞き入ってしまいます。

ではさっそく行きましょう。

□“新宿戦争”とオダギリさん

三木 『転々』のなかで
   「東京タワーって壊されるの?」っていう
   セリフがあるんですが、
   あれもべつにオダギリさんが
   『東京タワー』(オカンとボクと、時々、オトン)
   っていう映画に出るなんて情報は、
   脚本を書いてるときは無かったんです。
   それは力説してるんです。


── 三木さん、予言者‥‥?

三木 なぜかっていうと、墨田区のほうに
   新東京タワーが造られるっていう話が頭にあって、
   「東京タワーって壊されるの?」
   っていうセリフになってると思うんだけど、
   見る人が見ると、なんとなく悪意に感じられて‥‥。
   べつに悪意は無いんですけど(笑)。


── それ、アクイというよりケイサン‥‥。

三木 そういうことがあるように思われるんだけど、
   あとで『東京タワー』の映画に気づいて、
   そんな意図にとられるよな‥‥って。
   『東京タワー』の公開が今年3月ですからね。
   脚本書いたのはずっと前なので、
   そういう意識は無かったんです。


── 撮影してるときは‥‥?

三木 まあ、もちろん(『東京タワー』は)
   撮り終ってるんですけど、
   松尾(スズキ)さんが脚本を書いたくらいしか
   知らないし、原作も読んでるわけないし(笑)。


── うふふ、そうですか〜。
   ところで、文哉のバックグラウンドは、
   オダギリさん自身のなかで置き換えてたのかな
   っていう気がしていたんです。
   オダギリさん自身のことに
   どこか転換していたというか‥‥。


三木 あ〜、たぶん、そうだと思いますね。
   役者が演じるときの手がかりって、
   テレビのトークとかで誰かが言ってましたけど、
   ある物語上の出来事を、
   自分のことにどういうふうに転換して、
   置き換えるかというのが、
   役者のなかには必要なこともあると。
   そういう意味では、オダギリさんのなかで、
   どういうふうに転換するかというのは、
   そういうことなんだと思うんですね。
   そうじゃないと手がかりが無いじゃない?


── はい。たしかに。

三木 『転々』ってある種、ドキュメンタリーな
   部分があるんです。
   新宿のシーンをご覧になっていただければ
   わかるように、ああいう要素は
   70年代の劇映画でよくやってたんですけど、
   最近はやらなくなったので、
   ここはひとつ、みたいなのあるじゃないですか。


── 21世紀には‥‥、

三木 どうなるかっていうことで、
   新宿にハンディカメラ突っ込んで、
   プロデューサーにはヒヤヒヤするって
   言われましたけど。


── 観ててもドキドキしましたね〜。

三木 そういう臨場感が、映画の中程に、
   違うテンションで欲しいというのがあったんです。
   『イン・ザ・プール』のプロデューサーが
   たまたま新宿を通りかかって、
   「どこかのバカな組がまた無謀なことをやってるな」
   ってだんだん近づいていったら「三木さんか〜」
   「やっぱり〜」みたいな‥‥(笑)。


── 「やっぱり〜」って(笑)。
   それもすごい偶然ですねえ。


三木 もっと言えば、
   『図鑑』の制作部がやっぱり通りかかって、
   「誰がやってるんだ、こんな無謀なロケやって」と。
   「そしたらやっぱり三木さんか〜」
   みたいなこと言ってて。


── そういう遭遇運っていうのも‥‥、

三木 ありますよね。
   「弁当もって帰れよ」みたいな。


── いいなあ(弁当も、遭遇も‥‥)。

三木 そこになんて言うか、
   一発勝負みたいなテンションを
   オダギリくんが持っていて、
   やっぱり「強い役者だな〜」と思いましたね。
   一発勝負をかけるわけですよ。
   近くまでロケバスに乗っけといて、
   「行くよ〜!」「ドーン!」っていうように。
   もちろん許可は取ってますけど、
   ほかの雑踏の人たちを含めての勝負で。


── エキストラ無しですか。

三木 無しです。
   まわりのリアクションが来ないうちに
   行かないといけないし。
   パニックになるといけないから。
   そこに彼がスッと街に溶けこんでいく勝負強さとか、
   車が来て、キーって止まる場面とかも、
   ほんとに車を見ないで、
   一発勝負でポーンと行ってるわけです。
   それをスタントの人が意気に感じて。
   だって100%信頼してくれてるってことですからね。


── そうですね〜。

三木 だから危なく見えるし、
   「危ないよ〜」って感じがでるんですね。
   アドレナリンが増えてるわけです。
   万が一のことを考えて。
   でもそこをやってくれたスタッフと俳優には、
   意気に感じましたね。


── いちばんアドレナリン値が上がったとこですね。

三木 そうですね。
   “新宿戦争”とスタッフの間では
   言われてたんですけど、おもしろかったですね。


□“疑似家族”と映画の関係

── 話は変わりますが、
   「疑似家族」が出てきましたが、
   原作にもありましたが、もっと膨らんでますね。
   吉高由里子さんがハイテンションで‥‥。


三木 そう。そういう意味で園子温さんの
   『紀子の食卓』っていう話にもなるし。
   カメラマンの谷川(創平)さんが一緒だから、
   というのもあるんでしょうけど。


── あ〜、そういうつながりがあったんですか。
   (吉高さんは『紀子の食卓』に出演)


三木 そういう意味で映画ってある種、
   疑似家族向きなんですよね。
   物語上は家族ってことでも、
   実際には疑似家族なわけです。
   お父さん役、娘役、お母さん役、息子役って、
   ドキュメンタリーか何らかの
   特殊な意図が無い限りは、
   映画の家族はすべからく疑似家族です。
   全て演じてる。
   小津さんの映画でも、寅さんでも、
   ゴッドファーザーでも。
   構造上、映画っていうメディアそのものが
   疑似家族にならざろう得ない。
   だからか?疑似家族の映画は多い。
   『テキサスの5人の仲間』しかり、
   『家族同盟』しかり。

   藤田さんがなぜ疑似家族というものに、
   あのころ、小説に書かれたのか‥‥。
   たぶんなんか事件があったんでしょうね、
   レンタル家族に関しての。
   ニュースとかから影響を受けて、
   疑似家族というモチーフが出てきて、
   オレはそれを膨らませるわけですけど、
   ひじょうに映画的ということも含めて。

   映画そのものが疑似家族的なんですね。
   だから疑似家族を描けばそれがリアルなわけで、
   だってリアルに疑似家族なんですから。

   小泉今日子さんが完成披露の舞台挨拶で、
   「おままごとをしていた気分」と奇しくも
   おっしゃってたんですけど、
   それはそういうことなんですね。
   おままごとは疑似家族のもっとも原始的な
   方法だから、そのことを映画にするのは、
   共通概念としてみんなどこかにあるもの
   なんだろうなとも思いました。


   
   ©2007「転々」フィルムパートナーズ

── それを敢えて、“疑似家族”として
   映画のなかで描き直すというのは、
   さらにちょっと皮肉るみたいなところもあって
   おもしろいなと思います。


三木 もしそうだとしたらそうですね。
   じゃあ実際の家族とは、
   いったい何なんだろうっていう‥‥。


── 文哉の場合、
   家族の感覚を持てない人でしたし。


三木 それがオダギリくんの凄さというか‥‥。
   そういえば松田優作さんが、
   ぜんぜん家族という感覚が無くて、
   自分がホームドラマで家族が演じられない、
   ということを何かの記事で語ってましたけど、
   森田芳光さんの『家族ゲーム』で、
   別な意味で家族を演じられるというのは、
   なんかあるんでしょうね。

   で、松田美由紀さんがすごい家族的な人で
   一緒に暮したことによって
   家族というものを見出したみたいな
   ことを何かで話してましたし。


── そういう意味では疑似家族というのは、
   なにか現代的な気分を映し出してるというか、
   新しい家族の形だったり‥‥。


三木 まあ生産性の問題とか。
   昔は農業社会だから、家族が生産性につながる
   という直接的な問題があったんだけど、
   その部分が希薄でもいまは産業として成り立つから
   その気分というのは、難しいこと言えば、
   あるのかなあと思いますよね。


── 難しいことを考える映画ではないけど‥‥。

三木 ‥‥にはならないです(笑)。
   そんなことを考えて作ってるわけじゃないですけど、
   福嶋さんにそう訊かれると
   あ〜、そういう部分ってなんかあるのかな、
   映画っていうのはたしかに疑似家族向きだなあ
   とは思いますよね。


── 三木さんにとっての「家族」って、
   どういう感覚なんですか。


三木 つっこむ材料でしたね。
   おふくろがソファーに寝てて、
   パッと起きて「さて寝るか」っていう人
   ですから。
   「いま寝てたじゃん!」って。


── (笑)

三木 本格的に布団で寝るっていう意味らしいですけど、
   オレと親父にしてみれば、目が点なわけですよ。


── 4コマ漫画のお母さんみたい。

三木 ですよね。

── お父さんもつっこんでたんですね。

三木 親父は出版社に勤めてたから、
   わりといまの私と仕事柄が似てるというか。


── 散歩しながらお父さんとは、
   いろんな話をしたんですか。


三木 してたと思います。

── 人生とは、みたいな‥‥?

三木 そんな話じゃなくて、
   この道は江戸時代からあまり変わってない
   みたいな現象的な話ですよ。
   うちはいい加減な一家だったから、
   人生の話は無かったです(笑)。


── でもお父さんの視点は感じてたでしょうかね。

三木 うん、記憶は無いんですけどね(笑)。
   そんなもんじゃないですか、記憶って。


── なにかエッセンスとして
   『転々』に流れてるのかなと思って。


三木 たぶん煎じ詰めると出てるかもしれない。
   あのいい加減な距離感。
   歩いている距離感、変じゃないですか?


   つづく。

おっと、いいところで「つづく」ですみません。
だんだん『転々』の真髄へと迫ってきました。
次回は、オダギリさんと三浦友和さんの演じる
文哉と福原の、歩く距離感。
そこがポイントです。

お楽しみに。

『転々』


Special thanks to director Satoshi Miki
and ELECTRO89. All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)

ご近所のOL・まーしゃさんへの激励や感想などは、
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2007-11-09-FRI

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