vol.188
- Gumi Chocolate Pine
●人生とはなんとも‥‥、
──『グミ・チョコレート・パイン』
©2007「グミ・チョコレート・パイン」製作委員会
テアトル新宿にて公開中,テアトル梅田ほかにて新春全国順次ロードショー
□新春第1弾は、
ケラリーノ・サンドロヴィッチさんです。
大槻ケンヂさんの甘酸っぱい青春小説の映画化、
『グミ・チョコレート・パイン』(以下グミチョコ)
脚本・監督のケラリーノ・サンドロヴィッチさん。
かつてはニューウェーブバンド
「有頂天」のボーカリスト、
インディーズレコードレーベル、
「ナゴムレコード」のオーナー、
現在は、演劇ユニット
「ナイロン100℃」の主宰者であり、
今回の映画監督、脚本(3本目の映画です)。
多彩な才能をフル活用フル回転させ、
まさにスーパーな活躍をしている人。
おっと忘れちゃいけない、テレビドラマ
「時効警察」でも、脚本と監督をされてましたね〜。
つと考えると、
偶然にも「時効」の映画・演劇系の監督たち、
三木聡さん、園子温さん、岩松了さん、
そして今回のサンドロヴィッチさんと、
「ご近所のOLさん」に勢揃いです!
まさに2008年のスタートを豪華に飾る、
うれしいインタビューになりました。
□『グミ・チョコレート・パイン』
37歳、会社をクビにになった主人公賢三が
高校生のとき好きだった女の子、山口美甘子
から受けとった1通の手紙。そこには
「あなたのせいなのだから」とだけ書かれ、
その美甘子は1年前に自殺していた‥‥。
賢三は21年前(1986年)の高校時代を思い出し、
「オレたちはクラスの連中と違うはず」、
「オレたちには何かができるはずだ」と、
根拠のない妙な自信がありながら、
でもモンモンとしていた青春時代が蘇るのでした‥‥。
主演は、高校時代の賢三役のために
なんと12kgも体重を増やして挑んだ石田卓也さんと
キュートながら大人びたマドンナを演じた
黒川芽以さんが熱演しています。
大人の賢三には大森南朋さんです。
テアトル新宿で初日舞台挨拶のKERAさん、黒川さん、石田さん、大森さん
個人的にものすごいツボは
“隣のアパートに住むものすごい形相の男”です。
演じたみのすけさん!
憎たらしくもおもしろい人を演じたら天下一品!
(いや、もちろんそれだけじゃないですが)
そのみのすけさんにも友情出演で
ナイスなコメントをいただいてますよ〜。
ここに描かれる80年代(とくに86年)に
まさに青春を過ごした人(私も)にとっては、
懐かしい音楽流れる懐かしい時代です。
イカ天、観てたもんね〜。
でも演じているのは、
その時代をほとんど知らない若い役者さんたち。
そこで86年の、しかも東京の空気を
感じてもらうため、KERAさんは、
どんな演出をしたのでしょうか‥‥。
KERAさん自身も、
80年代は「まさに真っ只中で、渦中にいた」と、
映画の賢三くん顔負けの、
甘酸っぱい青春の大事な1ページを、
語ってくれたのですが、
切なくてホロっときてしまいました。
KERAさん、ロマンチストだなあ〜。
□「小林くん死ぬんじゃないか」って言われた‥‥
── じつは某筋から、KERAさんのダメポイントを
聞いてきちゃいました(笑)。
KERA 台本の遅れでしょ?
── ハハハ、あたりです!(笑)
KERA いつも決定稿が製本されて出来上がるのは、
撮影初日の朝なんです。
いままで3本ともそうなんです。
── ひぃ〜、スリルですね〜。
そんな綱渡りな感じがやがて快感に変わるとか‥‥?
KERA いやいやいや、できれば避けたいですよ。
ただ時間があると思うと、どうしても
もっとよくなるはず、よくなるはず、って
粘っちゃうんですよね。
── ラスト・ミニッツまで‥‥、
KERA そう。もちろんその日の撮影分だけは
前に渡してあるんですけどね。
── リハーサルもやっていらしたんですよね。
KERA しました。で、またリハで直したりして。
── はあ〜、大変ですよね。
役者さんも大変。
KERA 単純に、乱暴に言ってしまうと、
やっぱりキャリアの無い人はヘタクソだから、
若い連中は基本的に下手なんですよ。
だから、理屈じゃない部分を
うまく膨らませていってあげないと。
2週間のリハーサルで、
10年間芝居やってた連中と同じレベルにまで
上げるのは無理なんだけど、
そうは言っても、やっぱり現場でいきなり
演じてもらうのよりは、リハーサルをやって
はるかによかったですよね。
── 80年代のことを知らない若者を、
(映画のなかで)80年代を生きてる若者
にするために、何か工夫とかはされたんですか。
KERA うん、写真集を見せたりね。
ヤツらにとっては疑問だらけなんですよ。
「なんでこんなことしてんですか?」って。
そんなこと聞かれてもねえ。
「俺だってわかんねえよ」って。
当時の東京のかっこ良さとかダメさとか、
言葉では説明できないですよね。
象徴的なのが、
「スネークマンショー」が、
どうしてかっこよかったのか‥‥
うまく説明できないんですよね。
宮沢章夫さんもおっしゃってましたけど、
言葉にならないんですよ。
あのときの東京の空気。YMOがいて、
おそらく世界の中で東京だけが持ってた、
独特の空気というのがあった。
もちろん世界的に流れは
ニューウェーブ的なるものへと向っていたし、
消費こそが美徳、みたいな表層的な空気に
支配されていた。
どんどんパーソナルな方向へ時代が向っている
という、なんだろう‥‥
“予感”のようなものはあったんだけど。
それにしても70年代の終わりから、
80年代のごくごく初頭にかけての
東京の空気というのは、
なんとも言えない‥‥。
たとえば、全共闘の時代みたいに、
“熱で押す”というのでもないし。
キーワードがあまり無いんですよね。
ともかく写真集とかを見てもらうしかなくて。
1986年というのは、僕はもう真っ只中。
渦中にいたので、じつは
世の中を冷静に見ていなかった時代なんですね。
だから僕も、80年と86年じゃ、
こんなに違うんだなって感じたこともあったし、
キャストのみんなと一緒に、
いろいろと驚きもありましたね。
昔の雑誌に自分がまたよく出てくるんですよ。
恥ずかしくて「ここは見るな〜!」って。
── 照れますか(笑)。
KERA だって、生意気なこと言ってるもんね。
何様だよ、みたいな。
Tower Record渋谷の楽屋で、渋いKERAさん
── 賢三くんみたいに
「何かやってやろう」というような想いは、
KERAさんもありましたか?
KERA うん、あったけど、どっちかというと、
僕は、メインストリームの影に隠れて、
コソッと中央の人間に向って吹き矢を吹く、
みたいなスタンスが性に合ってる。
そいつらに取って代わってやろう
という気持ちはあまり無くて。
つねに「流行り」に向って毒を吐いてる
っていうことで一生を過ごすのが
楽しいなと思っていたんですけどね。
── そういうスタンスは中学、高校のときの
クラスの中でのポジショニングみたいなのから
始まってたりしてましたか。
KERA いえ、小・中学生のときは
すごく大人しかったです。
── 大人しいって、どういう感じの‥‥?
KERA コンプレックスがすごかったんです。
喘息で5歳まで寝たきりだったから、
体育が全然できなかった。特に球技が‥‥。
── サッカーとかやらない。
KERA 全然。もうルールがわかんないし。
ボールが来ないほうに、来ないほうに逃げてて。
そうすると俺が足手まといにになってきて、
人間関係が非常に引っ込み思案になって
しまったんですね、小・中学校では。
高校になると、あんまり関係なくなってきて。
何かがあれば一目おかれるみたいな感じが
あったから、高校でガラッと変わったんです。
── それは音楽がきっかけなんですか。
KERA バンド組んで、映画撮って、演劇やって。
── すでにバンドと映画は
同時にやってたんですか。
KERA 映画は、僕が小学生の時から、
コソコソ撮ってたんですけど、
高校からですね、大々的に役者募集みたいな
こととか、本格的に始めたのは、
‥‥本格的にって言ったって‥‥。
── 自主映画?
KERA 総予算が4万円とかくらいで。
一人前に車の上に乗っかって、
特に安全ベルトとかも何も付けずに、
撮ってたりして。
── 役者はどうやって集めたんですか。
KERA もう友達しかいないですけど。
── 映画を発表するのは?
KERA 文化祭で。
── そこで評判はどうだったんですか。
KERA いや、もう、すんごい動員数ですね(笑)。
── じゃあ、そこからコンプレックスは自信へと‥‥。
KERA あくまでも好きなことがやり続けられてれば
いいなというスタンスですね。
なにか有名になりたいとか、
すごく金持ちになりたいとか思わなくて。
そういう人見てると大変そうだなって
ことの方が大きかったから。
── もうすでに客観的に見えてたんですね。
KERA なんとなくね、なんとなく誰かを盾にして
行けたらいいなっていう感じで‥‥。
やり遂げた感は一切無かったですよ。
ナゴムレコードとかも。
インディーズレーベルのムーブメントの
中心にいたのは、キャプテンズとか
AAレコードとかいろいろあって、
ナゴムはあくまでも異端のつもりでやってたから。
それがいつのまにか世間の評価が
僕らを追い越してしまって。
明らかに過大評価だったと今も思うし。
よくわかんないけど、
僕らにはコントロールできない現象だったですね。
でもそういうことってすごくあるんです。
©2007「グミ・チョコレート・パイン」製作委員会
── ところで、原作で大槻ケンヂさんが書いた
“ゴールディ・ホーンみたいな山口美甘子”
のような対象の人は、KERAさんはいましたか。
KERA いましたよ。
僕は、高校生の時につきあってた
女の子と別れたときが、
もっとも周りの人に心配された経験なんです。
その後、あんなに人に心配されたことはない‥‥。
── お〜、それほどまでに。
KERA メシ食わなくなっちゃったし。
ほんとに景色もグルグル回って、
僕、名前が小林っていうんですけど、
「小林くん死ぬんじゃないか」、
「大丈夫か、小林!」って先生にまで言われて。
── 形相も変わってたんですね。
KERA それくらい入れ込んでたんですね。
好きだったし、過信してたっていうか。
もうすべてだと‥‥。
── 結婚も考えてました?
KERA うん、考えてた。
それ以降、つきあってて、2人が同時に
結婚を考えたことはないと思います。
どっちかが結婚っていうと、
「いや今はちょっと‥‥」とか言って。
── じゃあKERAさん、いまご結婚は‥‥?
KERA してないです。
タイミングがね、なんでだろう‥‥、
高校のときはバッチリだったんですけどね。
── 運命の人だったのか‥‥。
KERA 1年半で別れちゃった。
RCサクセションとかを屋根裏とかロフトとかに
一緒に見に行ってて。
1年後輩のちびっちゃい子でした。
「小さなバイキングビッケ」のビッケみたいで、
みんなに“ビッケ”って呼ばれてた。
で、20歳過ぎてから、
RCサクセションのチケットが1枚あまってたから、
もう恋愛感情とかは無かったんですけど、
電話したんですよ。
「1枚あまってるんだけど
何年かぶりに行かない?」とか言うと、
「あなた、まだRCとか観てんの?」って
すごく冷たい口調で言われて‥‥。
── うはーー、ツライ。
KERA ちょっと「懐かしいね」くらい
言ってくれりゃいいじゃんね。
── 女性はあっさりです(笑)。
KERA 残酷ですよね。
せっかくの思い出も、もったいない。
うちの女優たちも、やった芝居、やった芝居、
どんどん忘れていきますからね(笑)。
男はみんな憶えてるんだけど‥‥。
おわり。
KERAさんがコンプレックスを、
逆に自分の持ち味に変換していく技も、
いまもし道に迷っている小・中学生がいるとしたら、
参考になるかもしれないですね。
そして本日のスペシャルゲストみのすけさん。
“隣のアパートに住むものすごい形相の男”
を演じた感想を伺うと、
みのすけさんらしい、おもしろくて、
ちょっとシュールなコメントが
携帯に届きました。メルシーー!!
「撮影は真冬だったので、きつかったですね。
となりにあんな人が住んでたら怖いですねー
何年も恨みもたれて。
僕も先日夜中に部屋でギターを掻き鳴らして
唄っていたら通報があったらしく警察が来ました。
誰にどこで恨まれるかわからない世の中なので、
気を付けましょう(笑)。
本多劇場の舞台裏で全力ピースのみのすけさん
撮影は楽しかったです。
普段、車をボコボコにするとか
なかなか出来ない経験が出来て貴重でした。
グミチョコは僕の高校時代と
かなりシンクロしている物語です。
ずっとダメーな感じが今となれば素敵な事だったし、
意味があったのだとわかってきます。
その最中はそんな余裕は無いのが
青春時代なのですけどね。
是非ご覧ください!」
警察呼ばれたって、まさに役の男っぽい?
こうやって役作りするんでしょうか‥‥、
って、そんなに大きな音出したんですか?
気をつけてくださいよ〜。
ところで、本多劇場で現在公演中の
ナイロン100℃『わが闇』を観てきたところで、
まだ興奮覚めやらずですが、
長くなってしまったので、ひとつだけ、
みのすけさんが憎らしい!
それと客演の岡田義徳さん、いいです〜!(2つだ)
ぜひ観に行ってください。(東京公演は終了。
他の公演日程はHPをチェックしてください。)
では、
2008年もドキドキワクワクする映画と出逢い、
たくさんのクリエイターに会えるといいなと思います。
今年もどうぞよろしく。
次回は、かっこいい音楽ドキュンメンタリー、
『ジプシー・キャラバン』の
ジャスミン・デラル監督が登場します。
お楽しみに〜。
★『グミ・チョコレート・パイン』
★ナイロン100℃
Special thanks to director Keralino Sandorovich,
Minosuke(友情出演) and Tokyo Theatre.
All rights reserved.
Written and photo by(福嶋真砂代)
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