vol.189
- Gypsy Caravan 1
●歌おう、踊ろう、そして生きよう!
──『ジプシー・キャラバン』その1
渋谷シネ・アミューズにて公開中, ほか全国順次公開
「そしてぼくは、生きるための
最強のツール(音楽)を手に入れた。」
そんな声が聞こえてくる気がした、
ジプシー/ロマ(注*)の音楽ドキュメンタリー映画、
『ジプシー・キャラバン』。
“最強のツール”、音楽。
どんなときも、音楽は、なんて力強く、
人間を奮い立たせるのでしょう!!
スペイン、ルーマニア、マケドニア、インド。
4つの国の5つのバンドの6週間に渡る
“北米ジプシー・キャラバン・ツアー”に密着。
彼らの音楽の多様さや芸術性の高さに迫り、
さらに個々のバンドの故郷へも出かけて行き、
その素顔、家族、生活を撮りつづけ、
200時間以上もの記録から選び抜いた映像の、
ユーモアと生命力、
そして熱い音楽の迫力に突き動かされます。
出演するバンドは、
タラフ・ドゥ・ハイドゥークス、
ファンファーラ・チョクルリーア、
アントニオ・エル・ピパ・フラメンコ・アンサンブル、
エスマ、
マハラジャと、
いずれも世界的に活躍する大人気ミュージシャン。
(YouTubeで検索するとけっこう聴けますね。)
私もかなり前、
タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの公演を、
Bunkamuraで観たことがあるのですが、
不思議な打弦楽器(ツィンバロム)の音色と
超絶な速さのリズムの迫力と
哀愁溢れるメロディに心奪われたのを
強烈に憶えています。
□住む場所はバラバラになっても、
彼らの心のルーツはひとつ。
北インドに起源を持ち、11世紀から
全世界に散らばった移動型民族「ロマ」。
(現代は定住している人も多いそうだ。)
行く先々で不当な差別と迫害にさらされ、
長く辛い歴史を背負ってきた。
そんな深い悲しみを、
踊りだしたくなるような楽しい音楽に
変換してしまう希有な才能と逞しさ!
この映画でそんな彼らを知ることができます。
(注*呼称について(『ジプシー・キャラバン』プレス資料より)
「“ジプシー”という呼称(他称)が差別的だとの理由で、
彼ら自身の言葉(ロマニ)で人間を意味する“ロマ”
を使用するという考え方がヨーロッパ中心に広がった。
しかしこの語は代表的な彼らの自称ではあるものの、
東欧のこの非差別民などに使われているのが現状である。
世界中の様々な自称を並べる訳にも行かず、この映画では
便宜的に「ジプシー/ロマ」として表記することにした」)
(ジャスミン・デラル監督@シネ・アミューズ)
先日、ジャスミン・デラル監督が来日し、
興味深いお話を伺うことができました。
デラル監督は、イギリス生まれ。
子供時代、祖父母の住む南インドで過ごし、
オックスフォード大学を経て、
U.C.バークリー時代に短編映画を作り、
ホームレス写真家のドキュメンタリーで
学生エミー賞を受賞。その後、
『AMERICAN GYPSY』というロマの映画
を撮ったほか、今回が4本目の映画です。
多様な文化の経験を持って、
ロマに深い興味と理解を寄せてきました。
日本が大好きということで、
日本人の友達がいて、合気道も習っていたり、
待望の「日本」を存分に楽しんでいるようでした。
とくに日本のトイレ、しかも「音姫」には
ものすごく感動して写真を撮ったそうです。
その興奮ぶりは、さすがドキュメンタリー監督!
なんとなく、監督というよりも、
女優さんを思わせる美貌と佇まいで、
撮影中のエピソードや、ロマの魅力など、
表現力豊かに、おもしろく語ってくれました。
では前編を、どうぞ。
□彼らは苦痛に耐えた分、私を守ってくれた
── いまはニューヨーク(NY)に
住んでいらっしゃるそうですが、
ロンドンと比べて仕事しやすいですか。
デラル ええ。でも映画を撮りはじめたのは、
アメリカに来てからだから、
ロンドンのことはわからないのですが、
私は大都市が好きなんですね。
サンフランシスコにも以前住んでましたけど、
あそこは都会じゃないですからね(笑)。
── ヨーロッパにもアメリカにも、
ロマの人たちが住んでますけど、
どちらかというと、ヨーロッパより、
アメリカのほうが彼らは自由を感じるのかなと
そんな空気を感じて、監督は移住したのかなと
私が勝手に想像しちゃったんですけど、
すいません。違ってますね‥‥。
デラル でも確かに、ロマにとっては、
アメリカは住みやすいでしょうね。
“ジプシー問題”っていうヤツで、
隣人には欲しくないけど、音楽は好き、
というような‥‥。
アメリカはジプシーの存在感が、
なんというか、現実味が無いというか、
隣にジプシーがいるという
はっきりした感覚が無いというか。
だからNYはもちろんなんですけど、
アメリカはジプシーには住みやすいかも
しれないですね。
── 日本にもそういう意味では、
ヨーロッパと同じような“ジプシー問題”が
あるような気がします。
デラル ジプシーに限らず、
「外国人」の問題って、どこの国でも、
日本人社会にもあるんでしょうね。
── デラル監督は、イギリスで生まれて、
インドでも育った、ということなのですが‥‥。
この映画の撮影の合間にもインドへ帰られたと。
デラル 南インドの小さな村ですが、
昔、イギリスからの移民が多かったんです。
母が4歳の頃に両親(祖父母)が移住して、
いまも母と祖父母はそこに住んでいます。
私も年に1回はインドに帰ってるんです。
で、今回も母のところに行く予定だったんですが、
その前にラジャスタンの砂漠で映画を撮ってて、
そこでインフルエンザにかかってしまいました。
持って行った抗生物質が合わなくて、
お腹をこわしてしまい、
しかも現地ではお客をヤギ料理でもてなす
という習慣があって、毎日ヤギを食べてて、
それでお腹が完璧にダメな状態で、
さらに頭を打って気を失ってとか、
さんざんな目に遭っていたんです。
だから、母のところに行ったときには、
水のグラスさえ持ち上げられない状態で(笑)。
── おお〜。
それでも、家では撮影してきたフィルムを見て
記録をつける作業があって、私は監督の目で、
照明とか、露出とかを確認して見てたのですが、
母は、一緒に映像を見ながら、
「あら、チャパティはこう作るとおいしいのね」
「ここにチャパティのコツがあるのか〜」と
砂漠でのチャパティ料理に
しきりに感心していたんですよ(笑)。
── お母さまにとっては、
お料理番組だったのですね(笑)。
なるほど‥‥、映画がユーモアと笑いと、
温かい空気に包まれていたのですが、
デラル監督のこのキャラクターですね!
デラル ユーモアというのは、
人々の周りに巡らしたバリアを取り払う
チカラがあって、
人が笑っている時は垣根を下ろしているので、
シリアスなメッセージも受け入れやすくなる、
‥‥というのを、私が尊敬する
アラン・ベルリナー(Alan Berliner)監督が
おっしゃっていたんです。
たとえば健康食品だからと言って、
いかにもっていうのは食べる気がしないですが、
ちょっとチョコレート味がしたり、
楽しくすると食べられるんですよね。
── 確かに。いくら正しいからといって、
ストレートにそればかりを謳われても、
なんだか逆に退いてしまいますね。
デラル ロマもそうなんです。
お説教じみたことも絶対言わないし、
何かにつけて自分たちの不幸な歴史とかに
結びつけることはしないで、
彼らは音楽にのせて、苦痛に耐える
ということをしてきたし、
自分たちが耐えた分、
私(デラル監督)を守ってくれたり、
気を遣ってくれたりするんです。
それで私は彼らとうまくやって来れたんです。
── ツアーの間、6週間を一緒に過ごされて、
監督にとってロマの魅力って、そこなんですね。
デラル いや、実は6年なんですよ、全部で。
ツアーそのものは6週間。
彼らの家を個々に訪問した時間を入れると6ヵ月。
さらに映画の準備に5年。
またサントラを作ったり、ポスプロに1年。
だからトータルで6年なんです。
音楽ビジネスのサントラの仕事って、
繰り返し同じ音楽を聴かないといけないから、
あまり好きじゃなかったのですが、
今回は、6年たった今でも、
実際にサントラを作るのには、
音の選択をするために、
何千回も聴いてるんですけど、
それだけ聴いてもいまだに、
私のPCの中には彼らの音楽は沢山入ってて、
いまも聴きたいと思うんです。
その音楽がどれだけいいかということだと
思うし、そんな音楽に出逢えたことが、
私はほんとにラッキーだと思います。
── 私は5年前くらいに、
タラフ・ドゥ・ハイドゥークスのライブを
そこ(Bunkamura)で観たのですが、
ほんとに鳥肌が立つほど感動したのを
映画を観ながら思い出してました。
デラル そのとき踊った?
── 座席では踊ったかな。
デラル きっと5人くらい踊りだすと、
みんな踊りだすのよね。
ライブの前にお酒と飲んでいくといいかも(笑)。
── やっぱり! そうですよね(笑)。
その時はニコラエおじいちゃんもお元気でしたから、
映画のお葬式のシーンは悲しかったです。
つづく。
ほんとにやさしく偉大なミュージシャン、
タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの
ニコラエ・ネアクシュさんが、
惜しまれて亡くなり、
彼の故郷のクレジャニ村でのお葬式で
メンバーたちが悲しみのなかで、
お別れの演奏をするシーンは圧巻です。
次回はそのシーンの秘話と、
ドキュメンタリーの魅力について、
ひきつづきデラル監督に伺います。
お楽しみに。
★『ジプシー・キャラバン』
Special thanks to director Jasmine Dellal and Uplink.
All rights reserved.
Written and photo by(福嶋真砂代)
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