坊さん。 57番札所24歳住職7転8起の日々。 |
第12回 豆腐で笑う仏様 ほぼにちは。 ミッセイです。 今週は僧侶としての初体験がいくつかありました。 まずは「巳正月」(みしょうがつ)デビュー。 み正月って知ってます? 僕は僧侶になるまで知りませんでした。 でも、これを読んでる多くの人が 知らないのは当たり前で これって四国にしかない(たぶん)、風習なんです。 で、なんなの? って話ですが、ズバリ言うと 「新仏」(しんぼとけ、その年になくなった方)さん の「お正月」なんです。 これを四国では12月最初の 十二支の辰の日か巳の日に行うんです。 (僕の住んでる地方では辰の日) 「年」だけじゃなくて「日」にも 1日1日、「十二支」が振り分けられてるって知ってた? 今度仏壇屋さんかどっかで カレンダーを買ってみてください。 (クールなデザインではないでしょうが) 載ってると思いますよ。 たとえば「とり」の日には あんまし葬式をしません。 それは不幸が「重なり」ませんように。 (とりの羽みたく) ていう願いからなんだよね。 だから、ぶっちゃけた話 「友引」と「とり」の日が重なった日なんかは 坊さんにとってこの上ない 「レジャー日和」なんですね。 こんど、カレンダーをチェックして この日に「ディズニーシー」に行ってみてください。 坊さんだらけです。 で、なんで こんな風習があるの? と、あなたと同じように 弟子 密成も思ったので、いろーんなお坊さん に聞いてみましたよ。 一番多かったのは 瀬戸内海の海賊集団 (正確には村上一族の“海上勢力”?) 「村上水軍」のボスが亡くなった時に関係がある。 という説です。 だから亡骸が通った場所によって(深夜だったらしい) 「辰」の地方と「巳」にやる地方があるんだって。 (ちなみに、その境界線は 「大三島」という瀬戸内海の島です) ほんで ボスが死んだのが、対抗勢力にバレないように お墓に行っても一言も、しゃべってはいけません。 (これは、今もそう) ばあちゃんの話では 徳島あたりでは、「み正月」に来て欲しい人に 「おじゅう」に入れたモチを4個持っていって (み正月の“み”の字も口に出さず) 招待された人は「豆腐」を持って行くらしいです。 この豆腐をお供えする風習は 僕の地方にも残っていて 豆腐の上で新仏さんが踊りながら 「ニコッ」と笑うらしいです。 絵を想像しただけで 「ニコッ」じゃ済まないぐらい 可笑しいですが。 しかし 「といっても、 いろんな話がありすぎて、よーわからん!」 と多くの人が、言っておられました。 こんな風に言うお坊さんもいました。 「最初はそんなことも、あったかもしれんが よーするに、不幸があった家は、表だって お祝いすることができんから(年賀状とかね) 新仏さんが寂しがらんように、早めに お祝いしてあげることやと違う?」 おっ、密成、その“あったかい”説に一票! そんな訳で、今年亡くなった檀家さんの お宅に行ってお経をあげてきました。 みんな、「み正月」の“日にち” はよく知ってるんだけど なんで、そういうことをするのか? ってことは、知らなかったみたいです。 だから法話は、なかなか好評でしたよ! 「へ〜、じいさんも おう、そういうこと、じゃったんか! って言ってるわ〜。 それとも、おまえら、そんなことも 知らんかったのか! って言ってたりして!ヒヒヒヒヒ。」 「ヒヒヒヒヒ」 今年はウチも仏さんがいるので(じいちゃん) 家に帰ってもお経をあげて 供えているモチを外で焼いて 家族全員で引っ張り合って 自分が取った分を全部食べました。 (そういう風習もあるんです。) 四国以外にお住まいのみなさんも 「おっ、今日は四国の“み正月”の日じゃん。 死んだじいちゃん、“遍路ファン”だったから 外でモチでも焼いてみんなで食うか!」 なんて言うと「ばあちゃん」からの お年玉があるかもしれませんよ。 それにちょっと かっこいいかも。 僕はわりに、こういう風習が好きであります。 ほんじゃ。 ミッセイ |
2002-01-04-FRI
戻る |