坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第13回 両親のこと

ほぼにちは。

密成です。

今日は僕の両親の事を書いてみようと思います。

結構、変わった人達なので。

まず両親も含めて、家族の人は
「坊さんになってくれ」
とか
「家業をつくべし」
なんて事は
ひとっことも、言わなかったですね。

その時点で結構、変わってるかもしれない。

ま、じいちゃんは
「ざい(兄)に診てもらって
 (ブラックジャックの大ファンだった)
 あゆむにお経あげてもらえば、サイコー!」

なんてことは、たまーに、言ってましたが。

父親の話から。

彼は家族の中で一番テレビ出演依頼の多い男です。

(そういえば父親とは関係ないけど
 さんまさんの「からくりテレビ」の
 「からくりビデオレター」に
 出ませんか?っていう電話がこの前
 かかってきた。
 ホントに来るんですね、ああいうの。
 出ません!)

なぜかというと
「ウルトラマン」
だからなんです。

ははは。

ランナーなんですね。(本職は化学の高校教諭)

最近はあまり長い距離は走らなくなりましたが
何年か前までは「萩往還250キロマラソン」
とかのいわゆる“ウルトラマラソン”に
よく参加していました。

しかも2年連続で大会新記録での優勝!

ギリシャのスパルタスロン(寛平ちゃんが走った)
にも出場しましたが
「気候が気持ちよすぎて」(本人談)
スイスイ走ってたら100キロぐらいで
ぶっ倒れてアテネまで救急車で運ばれました。

出張や帰省もよく走って行ってました。

というわけで
TBSから「スポーツ一番決定戦!(仮)」
の出演依頼があったり
つい最近もフジテレビから
「日本変人何とか」
という企画に出演しませんか?
という電話がありました。

「ウチの主人は変人ではございません。」

って言っといて。

と静かに母親に言ってました。

変人かもしれない。

僕と兄が小学生の時
「神戸に連れて行ってやる!」
と言われたので「ヤッター!!」
なんて言ってたら
「しかし、自転車でな。(ニヤリ)」
なんてこともありました。

兵庫県の明石市に一泊して
旅館のおばちゃんから
「お父さんには秘密にしといてあげるから」
と言われて
おにぎりとミカンをもらいました。

途中、家族3人で大笑いしながら食べましたが。

しかしいわゆるマッチョなタイプではなく

一度だけ
「自分の得意なことを
 生かした仕事に就きたかったなぁ」
って言ってたんで

「なにが得意なん?」
と(一応)聞いたら

「物理の抽象的概念とか!」

と言ってました。

15年以上前に富士通の「FM-7」
というパソコンを買ってました。
(CD-ROMもフロッピーもなく
記録メディアはカセットテープだった。)

でもいまだに
ビデオの録画が出来ないと思います。

興味があることしかしません。

50歳を越えてますが、腹は
6個に筋肉で分かれています。

母親は(僕に顔がそっくりらしい)
高校の時から美術部に夢中で

大学進学の時
そのまま油絵を学ぶか、服飾を学ぶか迷って

文化服装学院で教鞭を執っていたデザイナーの
「小池千枝」さんに手紙を書いたらしいです。

そんで
「文化にいらしゃい!」
ってことになって「文化女子大学」ってとこで
服飾を勉強したらしいです。

愛媛に帰ってきてからも
勤めていた私立の女子校の制服を
デザインしたりしました。

僕はいつも、どうでもいい格好をしてるので
よく母親にいやがられます。(父親も)

彼女はよく変なものを高野山に送ってきました。

カバの置物とかミニチュア木魚とか
冷凍させた石鯛(さかな)とか。

僕に荷物が来ると友達が見学しに来てたぐらいです。


どうやったらこの二人が出会うんでしょうね。

ライフ イズ マジック!!

実際は東京の「桜町高校」ってとこで
母が教育実習してる時に
知り合ったらしいです。
(父親は学費を自分で稼いでいたので、
 そこで実習助手をしていた)

そんな二人だけど以外と仲良く・・・ってこともなく

やっぱりよくケンカしてます。(深刻なのじゃないけど)

そりゃそうだ。

ミッセイ

2002-01-06-SUN

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