坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第14回 “遊び場”としての遍路

ほぼにちは。

ミッセイです。

今日
納経をしていたら
(お遍路さんが持ってきた「納経帳」に
 「奉納 阿弥陀如来(本尊) 栄福寺」
 と書きます。本来は納経をしたという
 「サイン」とか「証明書」みたいなものだったので
 そう言います。)

歩いて回っている
お遍路さんが(歩き遍路さん)

納経帳に遍路道で摘んだ野花を
「押し花」にしていました。

納経帳を開けた途端
「プンッ」と
花のいい匂いがして
なかなか素敵でした。

「おっ、なかなか、グッド・アイデアですね」

「スケッチとか、描ければればいいんだけど
 私、絵とか苦手だから」

お寺さんによっては
指導が入るかもしれませんが
(お寺で老僧から怒られるのって
 なんかいいですよね。そうでもない?)

僕は好きでした。

密教って自然や自分や宇宙がひとつって
気づくことを
大きなテーマの一つにしてるんだ。

そういう意味では
このお遍路さんにとって
「遍路」がいいバランスの
「瞑想」になってるんじゃないかなって思います。

そんなことを考えてると
「お遍路」って
「大人の遊び場」って言えるかもしれないよね。

僕は
この前、依頼のあった愛媛新聞社の原稿で
(札所の住職による説法集)

「四国遍路のすごいのは毎年、かなりの数の
 “若い”人達が集まる場所であることです」

ってニュアンスのことを書きました。

この考え自体は今も変わってません。
(やっぱり信仰巡礼でこれだけ若い人が集まるのは 
 特殊であり発展性のあるポイントです)

でも、僕が学生時代、
長野にスノーボードをしに行った時、
大きな違和感を感じたことがあります。

「うわっ、ほっとんど、僕と同じ年齢層の人ばっかだ!」

これはスキー場に限らず
ほとんどの遊び場所で言える事だと思います。

「大人ってなにして遊んでるんだろう?

 ・・・もしかして遊んでないの?ヒエーッ!」

家族連れじゃなくて、
大人達“だけ”がいい顔して遊んでるのって

僕はほとんど、見たことがありません。

これって結構異常だし

異常だと気づくべきです。(そう思いません?)

その「遊び場」の一つとして

「四国遍路」って立候補できるんじゃないかな。

こういう風にいうと
「巡礼の観光化」と
お決まりのセリフが聞こえてきますが

ちょっと待ってね。


(特に)ある程度の年齢に達した人にとって

“死”とか“永遠”とか“空”とか“無”とか

“偶然”とか“長生き”とかについて

考えるのって

“レジャー”なんですね。

しかも、すっごく“宗教的”なレジャーです。

これについては、かなりの確信があります。

これって皮肉じゃないよ。

すごく自然な事です。

だから僕はその大切な感情を“レジャー”にする人達に
もっと特別な何かを
プレゼントできたらなって思います。

「今のまま、変わらないで、いてくれることが
 最高のプレゼントだよ。」

って言ってくださる人、多いでしょうね。

ありがとう。

でもね、そういう風に油断してて
ポテトチップスの食べ過ぎで
XLのスエットパンツも
きつくなってからでは
遅いような気がするんです。

「そこまで愛してくれてありがとう。
 でも、もっとすごいんだから!」

っていうキュートな部分は持ち続けなくちゃ。
と思います。

僕が中学生の頃
「最近、ウチのじじい
 大相撲中継をを昼頃から
 衛星放送で観ててさぁ。
 (“田中”とかある意味インパクトのある名前の、
  おすもうさんが登場します!)

 ムカついたから、今日、オレ
 衛星放送のケーブル、学校まで
 持ってきたもんね。ホラッ。」

という、すごい人がいました。

ねぇ“大人達”!

“遊び場”のアイデアを僕にくれませんか?

これって結構、深刻な問題だって思います。

「いつか行く」僕たちの世代の人達も
今からアイデアを出し合いましょうよ。

状況はケッコウ、リスキーだよ。

そうだよね?

ミッセイ

2002-01-09-WED

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