坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第30回 “ハッピー

ほぼにちは

ミッセイです。

最近
「どうして、僕はこれを、選択するのか?」
とか
「正直、どうすればいいのか、わからん。」

ということが、たくさんあって
何となく、不機嫌な顔をして生活しております。
はい、すいません。

僧侶という仕事は
正直、僕にとってそういう袋小路
に陥りやすいです。

「えーっと、何故、今、僕は、
 サンスクリット語のお経を
 何時間も読んでるんだろう?
 ムムムムムム・・・」

宗教のこと以外でも、最近
「ムムム」が多い。
考えてみたら、本屋の時だって同じだったんだけどね。

でも、さっき近くのお寺さんで借りてきた
「絶版本・超高価本山盛り」を3時間かけて
必要なところをコピーしながら、思いついた!

「これから僕は“ハッピー”に結びつくか?
 ていうことを大原則にして行動する!」

“幸福”だと、なんか違うし“ハピネス”でもない。
(100パーセント語感の話です。)

どうでしょうか?これ!
オレ、やってみます。

今、トイレ建設の話が進んでいない。
業者さんに催促電話をしなければ。

何故しなかったの?

“わからない”におびえてたのさ。
“素人”ってバカにされるのがイヤだったのさ。

「ハッピー?」

うんにゃ、ハッピーじゃないっす!

実は
ありきたりのトイレじゃなくって
アイデアがちょっとでも入った
親愛なる便所が欲しい!
でも、フォーマット通りの方が
誰も傷つかないし、すぐできそうだ。

「ハッピー?」

いいや。全然。
よし、動くぞ。

無理なら、無理で、今の僕の
“サイズ”が見える。

「ここはみんなと、合わせていた方が楽だ」

「やっと終わった。無事終わってよかったね。
 とりあえず。」

ハッピー?

おいおい、
僕の人生
全然、ダメじゃん。

でも、この「ハッピー?」
結構使えるんじゃないかな?

「なぜ、サンスクリットの経を読むのか?」

「坊さんだからだ。」

「ハッピー?」

「それだけじゃ、ハッピーじゃない。」

「じゃあ聴かせてよ。」

「ムムム、えーっと、ちょっと、長くなるかも。

 僕が大好きな予感がしてる
 密教の感じ方ではね。
 “言葉の響き”“言葉そのもの”ってのを
 大切にしてるんだ。

“ア”なんて言葉も相当、大事にしてて
 ずーっと「あー」って発し続けたり
 (阿息観、あそくかん)
 “ア”ていう文字をイメージする修法
 (阿字観、あじかん)があったりする。

 だから、“言葉そのもの”を持ってきて
 サンスクリット使うのかな?
 なんかちょっと、すごいよね。」

「なんで?」

「だって、ふつう、思いつかないもん。そういうこと。」

「じゃあ、お経、読むの、ハッピー?」

「あっ、ハッピーかもしれない。うん。」

よし、ハッピーだ。
これでがんばってみるぞ。

みんなも、よかったら、試してみて下さい。
うまくいった人がいれば、教えてね。
(ダメだったけどトライした人も)

でも、「よし、思いついた!」
って時、だいたい全部すぐに忘れちゃうんだよなぁ、僕。

ふふふ。

ハッピー!!

ミッセイ

2002-02-17-SUN

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