坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第36回 サンゴの念珠(ねんじゅ)

ほぼにちは

密成です。

だんだん四国も
あったかくなってきて
お遍路さんも増えてきましたよ。

今日5歳ぐらいの双子の女の子を
連れた家族がお参りに来られました。

お母さんに

「お坊さんに、こんにちはって、言いなさい。」

って言われて

「こんにちはぁ。やさしくね!」

「やさしくね!」

と二人でかわいく言ってくれました。

お父さんも意味が解らなかったみたいで

「なに、それ?」

って聞いてましたが
唐突に“やさしくね!”って言われて
なんだかハッピーになりましたので
みなさんにも、おすそわけします。

かわいいなぁ。

親孝行学の権威である
みうらじゅん氏はその著作において
「子供の“こどもらしさ”の大半は“演技”である。」
という事を度々述べられ学会からも
注目されているようです。
CNNでの氏のインタビューは全米を混乱に陥れました。

って後半ジョーク。(学会以下)

僕もはっきり言って、そう思いますが
今日のは天然だったと思います。

演技だったら
坊さん、だまされました。
ナイス演技!!

というわけで
遍路シーズン間近でございます。

巡拝用品の業者さん
なんかもお寺のほうに
よく来られるようになりました。

普通に新発売の“超短い”ロウソク
(かさばらない、エコロジカル)なんかの
話をした後

「これ、倉庫に何年も眠ってたんですが
 もう、ぜったいこの価格では出ません。
 今だけです。」

という、なんだか、あやしい事を言ってこられました。

「海唐松」(うみからまつ)という
サンゴの骨格でできた黒っぽい
坊さん用の念珠(ねんじ、“じゅず”のこと)用の玉です。

僕達が修法をする時に散念珠(さんねんじゅ)といって
真言を念珠で数を数えながら
たくさん唱える部分があります。

そこは、言いにくいんですが
集中するのが時として
難しい場合があります。僕は。

その集中を助けるために
海のものを使った念珠を使うのは
いいかもしれない、と思いました。

僕が「海」という言葉から
連想するのは
“生命”とか“体の組成”といった
イメージです。

アンダーワールドというテクノグループ
をフジロックで観た時
その光と音の洪水の中で
感じたのも似たようなイメージでした。

通った道筋は全然違うんだけど、終着点が。

そういうわけで
この念珠作ってもらうことにしました。

“魔よけサンゴ”っていう別称もぴったりだしね。

僕は珍しい素材を使った仏具というのは
元々、ほとんど興味がありません。

高価なモノをありがたがるのが
個人的に趣味じゃないというのもありますが

「お大師さんや、
 釈尊(しゃくそん、いわゆる“おシャカさん”)
 の時代には、なかったじゃん!」

という根本的ツッコミが僕の中にありました。

でも考えてみたら
自分が新しいモノを観て
今回みたいに自分的にOKが出せるのなら
いいかもしれないよね。

弘法大師が現代の人であったなら

電気を使った「光」だって
なにか宗教的なイメージを含んだ存在として
捉えていただろうと想像するし

インターネットなんかのネットワークも
絶対何らかの形で、応用して使用したんじゃない?
って思います。

触れるべきでないもの。

触れると、もっとよくなるもの。

の慎重な“選択”はホント大切だよね。どっちとも。

そういえば
今日は広島の業者さんも来られて

「奥さん!このじゅずは“ひがしで”も
 使ってます。ヒガシデが。」

と唐突に母親に言っていました。

しかし一般的な主婦は広島カープの
東出輝裕選手(血液型A)
を知らないと思うんですが
みなさん、どうでしょうか?

情報お待ちしています。

ミッセイ

2002-03-04-MON

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