坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第46回 空を考えたり、ふすまを決めたり

ほぼにちは。

「担当編集者は知っている。」で
般若心経の本が紹介されてましたね。
僕も注文しようっと。

ちなみに、僕のおすすめの
“般若心経本”は
角川文庫の『般若心経講義』(高神覚昇著)
という本です。

戦前のラジオ放送を筆録したもので
“難しいコトを簡単なコトバで”
というトーンの、たぶん「ほぼ日」読者の
好きな感じなので、よかったら読んでみてね。

お経って、だいたいの意味を
理解して唱えても
なかなか、いいですよ。

例えば、般若心経の最初は

「観自在菩薩(が)、深般若波羅蜜多を行ずる時、
 五蘊(ごうん、一切の存在原理)は皆、空なりと
 照見して、一切の苦厄を度したもう。」

という風に書き下しにできます。
漢文だからね。

で、どんなことを書いているかというと
般若心経は、ほとんど「空」(くう)について
のお経である、というのが僕の理解です。

「空って、全部の存在を否定してるんでしょ?
 なんか、暗いよねぇー。」

って思うかもしれないんだけど
よく、「空には無限の“有”が含まれる。」
なんて言い方をします。
わけ、わかんない?

僕は、このアイデアを考える時
「ゼロの発見」を想います。
数字は「ゼロ」を発見したことで
「無」と「無限の有」を獲得したよね。
それに近いのかなと。

たぶんインド人って
そういうことを考えるのが
得意なんでしょうね、きっと。

他にも
「華厳(けごん)哲学の存在論的関係性」
という、なんだか、
凄そうなネーミングの思想によると
空によって、いろんな個別の要素は否定されるんだけど
「個」同士の「関係性」は保たれるので
その「関係性」自体が「個」の“特質”になる。
なんて考えもあります。

「“立ち位置”が“あなた”だ。」ってことですね。

なんで、「個」の要素が否定されても
「関係性」は保たれるのかな?
一回、フラットにして、見渡す、ってことかな?
なんだか糸井さんの『インターネット的』を想うな。
いつか、なんとなく、わかるのかなぁ。

話は変わって
栄福寺の話なんですが。

僕が住職になって数ヶ月か経つので
だいたいの「決定権」は誰が持つのか?
とういう役割分担は、かなり明確になってきました。

簡単に言うと
「お寺のことは密成、家のことは家族。」
みたいな感じです。
もちろん、お寺のことも“相談”しないと
わかんないことは、多いですよ。
でも原則的には僕が決定者です。
坊さんなので。

例えば
「本尊の修繕は密成、風呂の修理は母親。」

でも、この前
微妙な問題が発生しました。
お堂と庫裡
(くり、お寺の住居。本来はお寺の台所という意。)
のちょうど間に位置する
「納経所」のふすまの壁紙の色と材質についてです。

ここは「納経」という見方をすれば
100パーセント“信仰スペース”なんですが
「家族が多くの時間をすごす職場」
という見方をすれば、“家族のスペース”でもあります。

管轄が微妙ですよね。

しかも何百ものサンプルを検討した結果
母親と僕の意見が、真っ向から対立したんですね。

僕が提案したのは
「うすーい緑色の、鳥の子用紙」でした。

木によく合うし、緑は田舎寺の優しい感じが出てる。
鳥の子のいかにも“紙っぽい”感じも逆に新鮮。
という理由です。

しかし大工さんと母親は良しとしません。
「安っぽくなる。」らしいです。
狙ってるんですが、それを。

そして母親が熱望したのが
「金色」です。びっくり。
僕同様「シック好み」であったはずの
母親が何故!

彼女曰く
「あなたも、歳をとれば、わかる。」
らしいです。ホントかね。

何時間もの討論の結果
裏(寺務部屋)は
すべて和紙の濃紺(色は僕が決めた)
表(納経所側)は2枚が同じ濃紺で
2枚が白にすこーし金銀色を張り付ける。(散らす感じで)
という妥協案に決定しました。

まー、しっかり話し合ったんで
悔いはないけどねぇ、ブツブツ。

帰省した兄に
「どっちがいい?ねぇ、どっち!」
と詰め寄ると
「この(二人の)雰囲気では、言えない。」
と言われました。

父親には
「なぜ、そんなことで
 そこまで、こだわるのか
 よく解らない。
 とても、いい事だとは思うけど。」
と言われました。

考え方がお互い、はっきりしている事で
“妥協案”をひねり出すのって
難しいね。

でも、それが、ほとんどって気もするし
うまくいけば、よけい、うれしい事なんだろうね。

ミッセイ

2002-04-04-THU

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