坊さん。 57番札所24歳住職7転8起の日々。 |
第54回 個を見つめ、チームを組む ほぼにちは。 ミッセイです。 今日は本堂が新しく建立される予定の お寺に行って 解体される本堂での最後の記念法会に参加しました。 そのお寺の御住職は「解体作法」を修してました。 法会が済んで、 20人ぐらいの檀家さんの世話役を前にして、 御住職が挨拶をします。 「わたくし、新しい、本堂が建立されるという 喜びに、声が出ないほどの感激を・・・」 と、男泣きをグッと堪えられていました。 この不景気の中、新しいお堂を建てるのは 本当に、困難な事業です。 そこで、初老の男性の携帯が鳴りました。 着メロは、「ルパン3世」 あまりの事態に 御住職は「フージコちゃ〜ん」 と叫んだまま気を失いました。 というのは、冗談ですが 僕達も、注意しましょうね。 あれは、なかなか体験できない種類の“気まずさ”でした。 こんな風にお坊さんと会う日はまだ、いいんですが 僕のほとんどの毎日は、 同業の同僚が、回りにいないのが通常です。 「ひとりのほうが、気楽でいいでしょ。 うらやましい。」 と思う人もいるんでしょうね。 でも僕、実は苦手なんです。 「一人で、コツコツ。」 っていうのが。 これは性格でしょうね。 昔から、そうでした。 どうしてだろう? ちょっと考えてみよう。 「いいアイデアを思いついたら、 人に早く言いたい。 そして、話し合いたい。 あわよくば、褒められたい。」 「苦手な事が多いので、 それを、お任せして 得意なことをしたい。」 「人の話を聞くのが好き。 人に話すのが好き。」 という辺りが、思い当たります。 だから、集団の中でスピーディーにストレスなく こなせていたことが、 “よっこらしょ”という感じになって しかも、楽しくない、という事態が時々、発生します。 集中力不足は、僕みたいな環境の仕事では死活問題です。 僕は、二つの方法でやっていこうと、思ってます。 一つは、自分との会話が、いよいよ始まったんだなぁ。 ということです。 なんとなく、ラクで、たのしい人との会話が ほとんどの生活よりもちょっと怖くても 自分がなにを恐れていて、何を求めていて、 誰とコネクトしたいか、 向き合ってみようと、思います。 なんとか、波をつかめば “いいもの” に、すこし、さわれそうだ。 僕は、「個」に向き合ってなかったと思う。 それは、自分が「個」であることを 認めたくなかったのかな。 怖くて。がっかりしたくなくて。 これは、チャンスかもしれないね。 自分を覗くための。 「“本当の自分”なんていない。」 って、僕はよく言ってます。 特に、根拠もなく。 でも、自分のことを じーっと、もう少し感じてもいいかもしれない。 もう一つは、それでも、やっぱり 「チームが欲しい。」ってことです。 チームでの快感はやっぱり強力だし、 話し合うのは、やっぱり楽しい。 そして、「個」を見つめた後の 「チーム」は今までの「チーム」とは違うと思う。 冷静なのに、無茶苦茶、楽しいイメージ。 うれしいことに、坊さんの中にも 「この人とチームを組めれば、面白いかも。」 って人に何人か出会えた。 もっと会いたい。 読者の人達からの宗教やお寺への、 視点・共感・欲求・提案も 「みんなと大きなチームを、組めるかも」 っていう感じに、繋がっています。 僕の「生活の目的」ってなんだろう? 考えるべきじゃないのか?そんなこと。 まぁ、いいや、考えてみる。 おもいろいってなんだ? じゃましてるのはなんだ? みえないのはなんだ? うまく言えない。 ほんと、動いて、触ってみるしかないのかな。 たぶんそうだな。 空海以前の仏教の宗派っていうのは どっちかというと「学派的」だったらしいんだよね。 でも空海が東寺で初めて 「他宗雑住」を禁じたんだ。 つまり、真言宗の坊さんをズラッと 50人揃えて、他宗派を入れなかった。 このことは「密教」に対する空海の 自負の強さをあらわしている反面、 ミックスチャー的で包容力のあるはずの 密教の考えに反するんじゃないか? って論調も耳にします。 でも空海は既存宗派とケンカしなかった事も 大きな特徴なんだよね。 僕は、これは空海の“チーム論”かな、と思う。 「私は、“すべてをのみこむ”立場をとる人 としかチームを組みません。 でも、そうでない人は自由です。」 こんな風に、ズバッとは動けないけれど、 「個を、もっと見つめる。」 「チームを組む。」 という流れは、 これから僕にとってとっても重要な気がするんだよ。 ミッセイ |
2002-05-09-THU
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