坊さん。 57番札所24歳住職7転8起の日々。 |
第57回 坊さんのお葬式。 ほぼにちは。 密成です。 だんだん、汗をかく季節になってきましたね。 坊さんの使う法衣も、定期的に クリーニング屋さんに出します。 でも、ヘンにたたまれると、 折り癖が違う所についてしまうので、 「たたまずに、“そのまま”の状態で返してね!」 と言うそうです。 僕はまだ、出したことないんですが。 僕は、今日お葬式に行って来ました。 栄福寺の檀家さんが亡くなった訳ではないんですが、 近くのお寺の檀家さんが亡くなったので 助法僧として行ってきました。 栄福寺は檀家さんが少ないので、 ほとんどが助法です。 僕が以前書いたような 「自宅」でする葬儀ではなく 「葬儀場」での葬儀でした。 今は、僕が住む地方でも 葬儀場でする場合のほうが多いです。 もちろん、 自宅は、自宅のよさ、があるんだけど、 かといって、 「絶対、自宅でやるべきっ!」 とは、僕は、言い切れません。 自宅でする葬儀は、 とにかく忙しくて、 誰に何を頼むとか、 お坊さんのお茶は、誰が出すとか、 慣れないことで、 バタバタしてしまい、 とても“死”と静かに向かい合う 気分になれないことも、 多いみたいです。 でも その“忙しさ”が 「しっかりしなきゃ、私が!」 という感じに救いになる場合もあるし、 不慣れでも自分たちの手で、 送ってあげたい。 という感情は、 すばらしいものだと思います。 一概には言えません。 個人的には、自宅でする場合の “葬列”には、特別な思いがあります。 “風景”として、好きです。 特別な葬儀といえば、 やはり 「坊さんの葬式」 は、普通とは違います。 まず、坊さんの人数が 半端ではありません。 僕は高野山で慣れていましたが、 父や兄は、それに圧倒されたようです。 じいちゃんの葬式の朝は、 あまりのお坊さんの多さに、 お遍路さんから、 「今日は、なんの、お祭りですか?」 と聞かれました。 そして、たくさんの、 お坊さんの来寺に備えて、 傷んでいた、廊下が抜けないように、 全部、張り替えました。 それから坊さんの履いている草履は ほとんど同じデザインだよね。 この草履をみんなが玄関で脱いだら、 帰る時は、パニックになってしまいます。 だから、 受付でマジックとビニール袋を渡して 自分のお寺の名前を袋に書いて、 中に持って入ってもらいました。 じいちゃんの略歴や葬儀の進行を書いた プログラムも印刷屋さんに 依頼して制作します。 特殊な字がとにかく多いので、 何度も何度も校正し直したものを、 印刷屋さんにFAXし、 見本を、また校正します。 参列して頂いた僧侶には (たっしん) (スタッフ註:口へんに、達、口へんに、親、で2文字です。) というお布施を、お渡しします。 これを、お渡しする場所 (受付、お堂から出てきた所、 葬儀が終わった後の集会所・・・。)や 金額なども、決めなければなりません。 でも、葬儀が始まってしまえば、 遺弟(ゆいてい)や法嗣(ほうし、ほっし)と呼ばれる “跡取り”は実はあまり、役目はありません。 でも この時、付ける法衣は “ぜーんぶ、まっ白” です。 これは、一生に一度しか付けません。 “じゅず”は水晶念珠で「無色」が徹底しています。 それから 「坊さんらしいなぁ」と思ったのは、 弔辞などをお頼みする時は、 どんなに遠くても、 直接、お寺に足を運んで依頼します。 これは、なんだか、気持ちがいい、 習慣だと思いました。 葬儀の方法、マナーは 地方、宗派によって ぜんぜん違う部分も多いです。 だから 葬儀の前の話し合いでは、 じいちゃんが生まれた、実家の徳島の坊さんと 地元の結衆寺院の坊さんで、 意見が合わず、言葉が激しくなることもありました。 これには、相当ヒヤヒヤしました。 葬儀が終わった後、お酒の席で 「あの時は、正直、 どうなるかと思いましたよぉー。」 と、うちあけると、 「えっ、俺達、大学の同級生で しかも、おんなじトコに、住んでたの! ミッセイさん、知らんかったの? ひゃははは!」 ということでした。 こういう“世間の狭さ”も 坊さんの世界の特徴です。 ミッセイ |
2002-05-26-SUN
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