坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第69回 高野山、安居会にて。


ほぼにちは。

ミッセイです。

高野山に安居会(あんごえ)という
勉強会に参加してきました。

安居というのは雨期に仏教集団が、
外出を避けて修行に専念すると意味があります。

高野山の安居では、
声明(しょうみょう)という
宗教音楽の正統継承者のお坊さんとか
空海の研究をしている東大の大学院の教授とか、
バラエティー豊かな講師の先生が、
100人近いお坊さんを前にして講義します。

今回の“通しテーマ”は、
『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)
という弘法大師の著作について、です。

この著作は、

「生生生生暗生始 死死死死冥死終」

「生まれ生まれ生まれ生まれて
 生の始めに暗く

 死に死に死に死んで
 死の終わりに冥らし(くらし)」
(書き下し文)


という言葉があまりにも有名です。

僕も檀家さんの前で引用してお話する事も多いです。
特にお葬式とか法事の時に。

僕自身もすごく勇気づけられた言葉です。
素敵な言葉でしょ?
すごいポジティブな言葉だと思うんだけど。
どう思う?

立花隆さんも、
なにかの本の序文で
この言葉を引用されていたと、
記憶しています。

でも正直に告白すると、

「久しぶりに高野山に行きたい。」

っていう気持ちが強かったんです。
もう一度、なにかを、見つめ直したい。
そういう時、
ちょっと“状況”を意識的に
特別な場所に置きたくなります。

今回の高野山は、
「ほぼ日読者」の坊さんにいっぱい出会った旅でした。

南海高野線に乗って、
だんだん深い山に入っていきます。

「想えば、遠くに来たものよ・・・。」

と哀愁たっぷりに、風景を眺めていたら、
近くのお寺のお坊さんを発見。
坊さんの世間は狭い。

「きのう、大阪で会議があって、
 今日も高野山で会議なんだよ。
 こちら九州の御詠歌の大先生ですよ。」

とお坊さんを紹介される。
跡取り息子さん、イラストレーターの娘さん、
御本人とも「坊さん」を読んでくださっているらしい。
娘さんからメールを頂いたのを憶えている。

「簡単に書くっていうのは、
 よっぽど理解してないと書けないからね。
 応援してるよ。」

ありがとうございますっ。

1日目が終わって、
今回、泊まらせてもらっている
持明院さんで精進料理を頂く。

このお寺の若院家さんは24歳で、
この人もほぼ日を通じて知り合った、
女の子に紹介してもらいました。

お風呂に入ってしまうと、
やることがないので、困ってしまう。

パワーブックは栄福寺に置いてきた。

そこで、もうほとんど真っ暗だけど、
「奥の院」の「御廟」(ごびょう)を
訪れることにする。

ここは弘法大師が入定されている場所で?
たくさんの巨木に囲まれた場所です。

奥の院の入り口には、
外国人バックパッカーカップルが、
僕をじーーーーっとみて、
こそこそ、しゃべっている。

「みろよ、ジェッシー、
 本物の坊さんだぜ。」

「マイク!あんまり見ちゃダメよ。
 呪われるわ。」

てなことを、言ってるんだろうか。

御廟までの道は、
戦国武将達の無数のお墓が並んでいる。

たくさんの“死”に囲まれ、
なんとなく“生きること”を想う。

時間の感覚を失って、
無心で歩き続けて御廟の前にひとり立つ。

着く前は、

「すいません。」

って言いたいような、
懺悔な気持ちが、なぜか大きかったんだけど、

手を合わせてみると、じいちゃんの菩提を想う。

「お願いします。」

2日目の夜は、
修行仲間の友達が高野山で
勤めていたので、
食事に誘う。

今回の事務的な
コーディネーターを務めた、
本山のお坊さんも一緒に来てくださった。

「ミッセイ君、いや、みっちゃん。
 読んでるよ。うれしいよ。」

と、箸の持ち方を指導されつつ、
これからの坊さん像、
“僕達になにができるか”
“僕達が何を求めているか?”
について、真剣に話す。

「いやっ、ミッセイ君、今の、全部、言ってないでしょ。
 今日は全部言ってよ!」

会話の中で、少し、言葉を飲み込むと
すぐにばれる。

それは、僕が、ほぼ日で正直に書いてるからだ。
それは、とてもいいことだと思う。

西塔という場所に行ってみると、
会場で見かけた、おばちゃんのお坊さんが、
中を必死で覗き込んでいる。

「何か見えるんですか?」

「私の彼氏がいるの。」

僕も覗き込むと、大日如来が、
うっすらと姿をみせている。

「あなただけに、写真もみせてあげるわ。ホラッ。」

サイフの定期入れに、大日如来の写真を入れてある。

信仰には色々なスタイルがある。
僕はそれを、否定しない。

帰りの駅で、以前高野山で知り合った
大阪の同じ境遇のお坊さん
(母方祖父の跡取り、祖父逝去、若い住職)

の奥さんと偶然、出会う。
彼女も僧侶でほぼ日読者だ。
大阪までの電車の中で、楽しく話す。

大学卒業後、南米に渡って、
通訳を務めるレベルまで
スペイン語をマスターし
ペルー、メキシコに
日本語教師として数年間滞在した。

帰国後、
さらに専門的に国際協力を学ぶため、
入学した大学院で、
江戸文学を学んでいた御主人に再会した。
(小学校からの幼なじみだったらしい。)

そして、今、
大阪の外にもなかなか出られないの状況の中で、
とても、楽しそうに、ポジティブに、

「お寺でなにか、できるかも。」

と心から考えている。

結局、僕を元気にしたのは、
高野山という“場所”だけではなくて、

“人”と話すことだった。

いつかチームを組んで、一緒に笑いたい

と色んな人に思いました。

人ってすごいよね。

ミッセイ

2002-08-05-SUN

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