坊さん。 57番札所24歳住職7転8起の日々。 |
第75回 直島にて。 ほぼにちは。 密成です。 僕が、通っている 書道の先生が、 今、子供達に教えている字は 「いも」 です。 どうしても、一枚 欲しかったので、 一枚、失敗作を ゴミ箱から失敬してきました。 部屋に貼って、 時々、眺めてますが とてもいいですよ。 「まぁ、いいや。いも、いも。」 と、自分に言い聞かせたりします。 家訓にしようかな。 ちなみに、 僕が練習しているのは、 「君主子独立」 という字です。 こっちもいい言葉ですよね。 テキストには、 「君主は自主独立を尊いものとする。」 と、意味が書いてありますが、 練習していると、 「ONLY IS NOT LONELY」 みたいな気持ちにもなります。 ところで、僕は 「直島」(なおしま) という瀬戸内海の島に、 行ってきましたよ。 ここは、島の中に いろんな形態の “芸術”が点在してある、 とても不思議で素敵な島です。 美術館もありますが、 防波堤や砂浜にも、 デーンと 作品が置いてあったりします。 連載の最初のほうに書いた、 宮島達男さんの作品があるのも、 大きな動機の1つでした。 今回の旅行は 僕、個人にとっても、 坊さんや住職っていう仕事にとっても、 すごく感じることが、 たくさんありました。 「おぉぉぉ」 とか、 「うわー」 とか随分、言った気がする。 ただ単に、言葉を失ったり。 そして、僕が、 特に気に入ってしまったのは、 寺社や古い民家が集まる 集落(本村地区)に点在する 「家プロジェクト」 です。 古い家や 文化的に意味深い場所を、 改築、利用して “家”と内部の“芸術”が 丸ごと一個で、 1つの作品になっています。 すごく、強く感じたのは、 「やっぱり、 “古い”ものと、 “今”のものが、 うまく出会うと、 とんでもなく、いいなぁ。」 ってことです。 その“古いもの”が 歴史的に価値があったり 珍しいものでなくてもね。 それも、 ただ単に心が“なごむ”っていう レベルじゃなくて、 パーンって すごく大切な感情を提示する感じ。 “古いもの” に対しての、 “現在”のアプローチの仕方が、 慎重で、攻撃的。 そして、とっても、美しい。 僕は、その “溶け合った” 空間に囲まれて、 “生きる事への特別な感情” を、 とても、あいまいに、感じる。 強く。 これ、 まさに、僕が、 お寺で、みんなとやりたいこと。 ベネッセさん! 栄福寺に「出島」作りませんか? ははは。 今、思いついたけど 直島の作品と 強烈にリンクした存在を 「出島」っていう形で、 世界に点在さすと、 素敵じゃないですか? 栄福寺はともかく。 “隔離”の意味を受ける “出島”で繋がっていく。 うわっ。 ホント、 出島ってコンセプトよくない? 例えば、 栄福寺にも応用できる。 すごい小さな土地を (座布団、一枚ぐらい) 板橋と網走と佐渡島に借りて、 栄福寺となんらかの形で繋がる。 この“なんらか”ってのが、 難しいんだけどね。 あっ。 栄福寺、島じゃなかった・・・。 そんなわけで、 口をあんぐり、 あけつつ おいしいと 評判の 直島のうどん屋を訪ねる。 まだ、11時台なのに 既に、地元の人達が 席が空くのを待っている。 いわゆる、ひとつの “うまい、うどん屋” である。間違いない。 僕達は、空いたカウンターの すみっこに座って、 主人がうどんを、 ひたすら作っているのを眺める。 「かっこいいなぁ。」 「かっこいいねぇ。」 そして、考える。 たぶん、この人は、 このルーティンワークを、 退屈とか、刺激がないって 感じてないだろうな。 それは、 「俺が作る、うどんは、うまい。」 って腹の底から、考えてるからだろうな。 これもヒントだと思った。 次の日、 再び家プロジェクトの 本村地区に向かい、 もう一度、 宮島さんの作品をじっと眺める。 水に沈んだ発光する デジタルカウンター。 カウントを繰り返す、 無数の発光ダイオードを、 見ながら、 なんとなく『海馬』で出てきた、 「人間の感情は化学反応」 みたいな言葉が浮かんできて、 グッとくる。 いい作品だなぁ、って思った。 直島では、本当に いろんな事を考えたけど、 古い民家を利用した作品の 古い土壁や、 古い瓦と同じように、 “僕”という個人も お寺というメディアの 重要なパーツとして、 もっと敏感に 時間の積もった、伝統的なものを 継承したいなって思いました。 宗教音楽や、数多くの瞑想方法、 経典、著作・・・。 題材はいくらでもある。 栄福寺だけの、 “特別な感情”を 提示する為の、 自分の“役割”ってのに、 少し、気付いたかな。 楽しそうだね。 ミッセイ |
2002-09-17-TUE
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