坊さん。 57番札所24歳住職7転8起の日々。 |
第77回 坊さんの葬式で。 ほぼにちは。 少し前の話になりますが、 先輩のお坊さんの、 お父さんが亡くなられて、 “坊さんの葬式” に行ってきました。 普通の葬式とは、 やっぱり、少し違います。 この先輩は普段、 とてもお世話になっている方なので、 少し早めに行って、 お手伝いをして、 式でも「承仕」(じょうじ) という配役を務めました。 「承仕」というのは、 法会の途中でイロイロ発生する、 “雑事”を受け持つ仕事で、 たいがい若い人が務めます。 具体的には、坊さん達が 本堂に入る時に、 半鐘(はんしょう) という鐘(かね)を打って 合図をしたりするんですが、 他にも、 本山からの辞令伝達の時に、 マイクを設営したり、 焼香を回したりもします。 「そういうのって、 葬儀屋さんの仕事じゃないの?」 って思いましたか? もちろん、 お坊さんの葬式にも、 葬儀屋さんも来るんですが、 やっぱり、 坊さんの事って、 坊さんが一番わかるんです。 まぁ、言葉とかも特殊な世界だしね。 例えば、 「理趣経、百字の偈(ひゃくじのげ) で佛讃(ぶっさん)を 発音(ほっとん)します。 それを合図に上臈(じょうろう、位が高い) から焼香を、廻し焼香でしますから、 その時、焼香の準備をよろしくっ!」 と言われても、 坊さんだと、 すぐに理解できます。 (これは真言宗の場合ですが) ところで、 若い人達で葬儀の、 準備をしていた時に 経験の豊かなお坊さんから預かった、 準備物の中で、 どうしても、使い道がわからない 仏具がありました。 それは、木製の 五鈷杵(ごこしょ)という仏具です。 五鈷杵は通常、 金属製の場合が、ほとんどです。 「どうするんだろうね、コレ。」 「うーーーん。」 若い人、何人かで考えましたが 結局、わからなかったので、 その人の到着を待ちました。 「あー、この五鈷杵ね、 お棺(かんおけの事)の中に 入れて欲しかったんだよ。 手に握ってもらって。」 「荼毘に付す(火葬にする)時に、 ちゃんと燃えるように、 木製なんですか?」 「そー、そー、そういう事。」 「今、お棺どこ?」 「たっくさんの親戚、知人に囲まれて座敷です。」 「それじゃあ、ちょっと あけにくいね、お棺。」 「どうします?」 という会話が行われるのを、 最年少の僕は、 神妙な顔つきで聞いていました。 「そうだなぁ。 ミッセイだな。」 「そうだね。」 そうだねって、 どういう意味ですか? と聞く権利は当然、 僕にはなく、 うやうやしく、 五鈷杵を預かり、座敷に入りました。 でも、入った瞬間 やっぱり僕が一人であけられる、 雰囲気ではないと判断しました。 そこで、息子さんを捜してきて、 二人で棺をあけてしっかりと、 五鈷杵を握って頂きました。 他にも、 葬儀屋さんが、 棺の上に置いていた刀を (そういう風習がある。) のけて、そこに 袈裟(けさ)を巻き付けたりしました。 「最後の、最後で、袈裟、 剥ぎ取られてたまるか、なっ?」 という坊さんの言葉にしびれました。 用意した座布団の数と、 来られた僧侶の数が、 ぴったり同じだったりして、 (始まるまで、何人来られるか、 わからないので、 余裕を持って用意する。) ヒヤヒヤしたりもしましたが、 無事に、お葬式も終わりました。 最後の息子さんの挨拶では、 僕がマイクを持って 口元に添えましたが、 一年前の自分の姿と重なり、 マイクを持つ手が震えました。 亡くなった、 お坊さんは晩年に 地元の大学の大学院を、 修了されるなど、 「考えることを、やめない。」 タイプの人だったようです。 「僕も、がんばりますね。」 と、お会いしたかったけど、 お会いできなかった、 このお坊さんに、深く頭を下げて 栄福寺に帰りました。 ミッセイ |
2002-10-24-THU
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