坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第111回 坊さん、京都広告塾の門を叩く。

ほぼにちは。

ミッセイです。

ある日、僕に、
「インターナショナルアカデミー」
という所から、
資料が郵送されてきた。

「そうだ。忘れてた。」

そうだ、「ほぼ日」の「コルクボード」で、
“京都広告塾”なるものを、知って、

「糸井さん、どんなことしてるのかな?」

と軽い気持で資料請求してみたんだった。

資料を読んでいる内に、
ふつふつと、ワクワクした気持ちが、
込み上げてくる。

講師の先生の多くは、
僕の知らない人達だけど、
「講師プロフィール」の、
仕事は、馴染み深いものばかりだ。

そして、思う。

「坊さん、住職っていう仕事って、
 “広告”というモンに、
 すごい近い部分も、
 あるんじゃないかな?」

仏教や密教というアイデアを受け取って、

「僕達の生活にも、
 関係ない話じゃないかもよ?」

と“伝える”のが、
重要な、そして主要な、
僕達の仕事のひとつだ。

そして、それには、
もちろん、技術が必要。

その「伝える」ことの、
“賢者”達が、
京都に集って、なにか、伝えようとしている。

彼らは、おそらく、
「伝える」ことで、
毎日のゴハンを食べている。

まるで、いにしえの僧が、
仏教という考えを、
シェアする行為への、
尊敬と感謝の意思表示として、
発生した、
“布施”(ふせ)でのみ、
生活していたように。

ちょっと、違うか。

いや、なんか、似てるぞ。

逆に言えば、

「離れるべき執着や欲望を、
 増幅させる“張本人”」

みたいな、いじわるな、
捉え方だってできるだけど、
僕はそう感じない。

「“キャンペーン”なんて言葉も、
 僕達の言葉にすると、
 “祭り”とか“行事”に近いのかな。
 
 おもしろそうだ。」

そんな風に、思う。

考えれば、考えるほど、
“宗教”は“広告”に、
近い要素を含んでいる。

「宗教は、広告だ!」

って、言ってんじゃないよ。

「これも、含むなー。」

と考えたのです。

弘法大師が日本にもたらした、
密教では、
梵字というサンスクリット語を、
そのままの形で表記し、
近い音で発音する場合が多い。



これは、文字の形、言葉の響き、
“そのもの”が真実を含んでいるから。

というのが、(たぶん)
一般的な説明だし、
それも、あるのだけれども、

見慣れない、
インドの言葉を、ばーんと出して、

「コレ、仏教のオリジナルの国の、
 最新の思想だよ!」

という広告という言葉に近い、
“作戦”という要素もゼロではないと思うんだよね。
(これは、密教を中国にもたらした人が、 
 主語になる話ですが。)

全然、ネガティブな意味ではなくて。

伝えるには、
“たくらみ”も、必要だし、
その、たくらみを、
考えるのは、
とても、楽しそうだ。

その根源に、

“ハッピー”

を、求めているとすれば。

「僕が、行ってもいいのかもしれない。
 僕だから、行くべきなのかもしれない。」

原則として、
僕は、週に一回、
木曜日に休みをもらっている。

もちろん、葬式とか、法事とか、
会議が入っている時は、
休めないのだけど、
基本的には、そうなっている。

京都広告塾は、
毎週、木曜日に開催される。

栄福寺の、わりに、近くにある港からは、
夜の10時30分に大阪行きの、
船が出ている。
授業が終わって、
また、船に乗って帰れば、
「1日仕事」で、事足りる。

スケジュールに無理があったら、
新幹線を使ってもいい。

「体、大丈夫かな?」

なんとなく、
トラックストアで、
全国をまわった、
「SKIP」のイズミさんの、
顔を思い浮かべる。

「あれに比べたら、遊びだな。」

自分の部屋に、戻って、
再び、迷う。

僕の机の前には、
ほぼ日から、
こんな言葉が貼られている。

「とにかく、はじめることだと思う。
 とにかくはじめて、
 失敗したり、認められなかったりして、
 それでも、どこがいけないか、どこがいいかを探して、
 次のステップに進む気になれたら、
 最初よりは、ましになっているわけだしね。

 向きだの不向きだの、考えてる場合じゃない。
 はじめるこった。
 恥をかいたり、無視されたりするためにも、
 まずは、はじめるこった。」

いよしっ!!

と、階段を駆け下りたのだけど、
納経所に辿り着く頃には、
また、迷っている。

とりあえず、
あまりにも
専門的、局地的な内容で、
教室自体に迷惑をかけてしまったら、
申し訳がないので、
電話をしてきいてみる。

「広告には直接、
 関係ない仕事をしてるのですが、
 行っていいものでしょうか?」

「いろんな仕事の方が、
 いらっしゃいますし、
 学生の方も多いですので、
 大丈夫ですよ。」

おー。

でも、決められない。

「木村さんがデリバリー版で、
 紹介していた本、
 僕も持ってたな。」

と、ふと思い、
ダラダラと読みながら、
引き込まれる。

“アマゾンで、
 買ってはみたけれど、
 ほとんど読んでいない。“

という数多くある本の中のひとつだ。

「20代」について、書いた言葉が、
その本の序の部分に書かれていた。

記憶だけど、

20代に出会えるものと、
出会っとかなければ、
ファイトできる40、50歳を迎えられない。

みたいな、言葉だった。

「よし。
 この言葉に背中を押されることにしよう。」

と、半ば強引に“決定”してしまって、

悩むのを止めて、
電話をかけることにする。

「愛媛からですが、お願いします。
 明日から、京都に行きます。」

「愛媛から?
 困ったら、なんでも、電話してください。」

どこまで続くか、
ちょっと想像できない部分も、
正直、あるけれども、

とにかく、密成、
京都広告塾の門を叩きました。

ミッセイ

2003-05-25-SUN

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