第112回 めでたき春に、死んでゆく。
ほぼにちは。
ミッセイです。
今、僕が通っている
「京都広告塾」で、
初課題が出ましたよー。
学生の頃以来、
本当に、おひさしぶりの、
宿題です。
「あなたが、喫茶店をすることになりました。
どんなお店にしますか?
その店のポスターを作ってきてください。」
みたいな感じです。
僕は、2つ思いついて、
栄福寺の畑を全部、カモミール畑にして、
自分で摘んで、お茶を入れるという、
“季節限定のセルフ喫茶店”
と、
80年代の野球とか、ワールドカップとか、
オリンピックをダラダラと、
無作為っぽく放送する、
ちょっと、懐かしめの、
“スポーツ喫茶”
(ちなみに「スタジアム」という店名です。)
を、考えました。
プレゼンは「スタジアム」でしたのですが、
学生を中心とする生徒さん達には、
ポスターで使った、
元ロッテの張本選手が、(野球選手です。)
誰なのか、わかんなかったみたいです。
でも、たのしかったなー。
考えるのも、プレゼンも。
僕は、ある意味で、もう、
“社会人”なので、
現実の社会の中での、
“プレイヤー”としての、
楽しさを、少し、知っています。
だから、“空想”というか、
“現実化を、前提としない話。”
に対して、冷めた視線が、
正直、すこし、あったのですが、
空想で、鍛えられることは、
たくさんあるって、思いました。
空想しないと、実現しないもんね。
他の人達の、発表を聞くのも、
おもしろくて、
初日から、なんとなく、
隣の席に座って、
すこし話していた人は、
現代版の「ゲーム喫茶」のような、
コンセプトでした。
後から、聞くと
この人は、
僕と同い年の任天堂の社員で、
携帯電話の待ち受け画面は、
「どせいさん」
でした。
実は、坊さんの仕事と、
重なる事が多くて、
休みがち
だったりもするんですが、
これからも、かなり、おもしろそうです。
僕が、この前、
行った法事は、じいちゃんが、
最後につけた戒名の人の、
三回忌でした。
僕が、はじめて行った、
お葬式の人でもあるんです。
戒名を僕が、付けた人には、
必ず、使った言葉や文字の説明を、
詳しく家族に、話すことにしています。
でも、はじめてのお葬式の時は、
精神的な余裕もなく、
かなりバタバタしていたので、
家族の方に説明することが、できませんでした。
「今なら、じいちゃんが授けた戒名を、
自分なりに、家族に説明できるかもしれない。」
と思いました。
“瑞春”(ずいしゅん)
という言葉が、使われていました。
この“瑞”には、
“めでたい”
という意味があります。
「めでたき春に、死んでゆく。」
思わず、僕は、口にしてしまいました。
“死”というのは、
とても、悲しみに、満ちた存在だけど、
成仏を信じて引導を渡す、
僕達、坊さんや、
動物としての条理から見れば、
それは、
「めでたき春でも、あるんだよ。」
というじいちゃんの、
優しい声が、聞こえてくるみたいでした。
その戒名は、
亡くなった方だけへの、
メッセージだけではなくて、
これから1人でたくさんの人に、
引導を渡す僕や、
死んでゆく“自分”への、
僧侶としての、
“最後の言葉”
でも、あるのかな。
と思いました。
「“なにを、そんなに、メソメソしてるんだ?
人は死ぬよ。
でも、それは、
めでたき春じゃないか。“
って先代は、言いたかったんだと思います。」
と、家族の人に話しました。
その戒名のトウバを書いていて、
すごく、体に染み込んでくる、文字がありました。
“晄”(こう)
です。
これは、そのまま、
“太陽の光”という意味ですよね。
糸井さんのダーリンコラムの、
「向日性」(「明るいだけで、基礎点40点」)
を読んで、
「ああ、こりゃあ、
僕のテーマソングにも、させていただこう。」
と、考えていた僕としては、
イトイさんの“思想”のようなものを、
じいちゃんの口を通して、
聞いたような気がして、
なんか、不思議な感覚でした。
真夜中の寺務所で、
木に書かれた“晄”という字を、
眺めていたら、
「これは、“赤ん坊”にも、
ぴったりの名前だなぁー。」
と、ひとり思いつき、
なんだか、すごく元気になりました。
実はと言うと、泣き出しそうなぐらい。
死が生を生んだから、かね?
よくわかんないです。
妊婦さんの読者や、ファーザー予定の読者の方、
おられましたら、
密幢(みつどう、じいちゃん)、密成の、
「栄福寺コンビ」
喜んで、「名付け親」に、なりまっせ。
25歳、
独身の「名付け親」ってのも、
なんだか妙なんだけどね。
女の子でも、かわいい名前だと思うな。
ミッセイ |