坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第115回 たとえ話

ほぼにちは。

ミッセイです。

僕が、たぶん、
高校生の頃に考えた、

『ネコを投げる』

という
絵本のストーリーの冒頭で、出てくる言葉で、
今でも、自分で、よく思い出す言葉があります。

「僕が今から話すのは、たとえ話だ。

 明るい話がいい。

 楽しい話がいい。

 だって、それは、たとえ話なのだから。」


という言葉です。
今、ノートを引っぱり出してきました。

最近、特に、よく思い出すんです。
この“たとえ話”という言葉。

僕は、この「坊さん」の連載の中で、
「宗教」や「人生」なんかを、
“物語”って、呼んだことが、
何度かあったと思うけれど、

この“たとえ話”というのも、
なんか、すっと、
ある種の“真実性”みたいなものを含んで、
僕達の体に入ってくる言葉だな、と思いました。

今日、
ダライ・ラマ猊下(げいか)の書いた本を、
読んでいたら、

「あらゆるものは、
 なんらかの存在の上に“仮”に設定されたものである。」

という感じの“仮設”(けせつ、と読みます。)
という言葉、考え方がでてきて、

また、“たとえ話”ということ、
について思いをめぐらせました。


おおいなる、たとえ話の中で、
僕は、僕で、あることを浮遊して、

あなたは、あなたであることを、飛び跳ねて、

いろんなものになりながら、
いろんな所に、還ってゆく。

名前を教えて!

あいさつを教えて!

僕に、望みを言えるなら。

明るい話がいい。

たのしい話がいい。

だって、それは、たとえ話なんだから。


ミッセイ

2003-06-17-TUE

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