第116回 手をふる人達
ほぼにちは。
ミッセイです。
広告塾に通っている関係で、
普段よりも、ずっと、
電車に乗る機会が、多いんです。
四国発の特急列車に乗っていて、
結構、驚くのが、
わりに多くの人が、
電車に向かって、大きく手を振っていることです。
先生に連れられた、
たくさんの幼稚園児達。
痴呆症らしき、老人。
一度、
白い日傘を差した普通のおばさんが、
犬の散歩をしながら、
手を振っていることもありました。
そして、その人達のことを、
眺めているのが、僕は、好きです。
手を振りかえすことは、ないんだけど。
そういう人は、
電車の中に1人もいません。
考えてみたら、
不思議な話かもしれないですね。
今回の移動は、
『木のいのち木のこころ(天)』(西岡常一)
を、読みながら行くことにしました。
授業前に、
奈良の法隆寺に行こうと、
急に思い立ったからです。
多くのほぼ日読者が、
すでに、ご存知のように、
西岡さんは1994年に亡くなられた、
法隆寺大工棟梁です。
法隆寺の参道途中にある
「法隆寺iセンター」では、
偶然、西岡さんの使っていた、
道具類が展示されている企画展が行われていました。
鋸(のこぎり)、鉋(かんな)、作務服・・
刃のまだ、生々しい輝きの中に、
なにかを感じ取りたくて、
じーっと、見続けました。
法隆寺では、
お堂の中や前で、
三回、「般若心経」を微音(びおん、小さな声)
でお唱えしました。
どうして、そうしたくなったのかは、
自分でも、よくわかりません。
法隆寺の近くにある法輪寺や法起寺を、
歩いてお参りすると途中、
西岡棟梁のお弟子さんの、
小川三夫棟梁が率いる、
「斑鳩工舎」の建物の前に立ってみました。
なにか、特別なものを感じたら、
言葉を交わすことがなくても、
その存在が、確かに、
存在することを、感じるために、
僕は時々、その前に、ただ、立ちます。
意味があるのかどうかは、
ちょっと、わからないけれど。
そばを食って、広告塾に着いて、
「カローラ」のCMを作った人の話を聞きました。
「普通の人が、変わらないと、社会は変わらないと思います。」
そうだなぁ、と思いました。
京都に行く、数日前、
僕はメールで友達のお父さんが亡くなったことを知りました。
高野山大学の同級生の女の子。
お寺の三人姉妹の長女で、
近くに住んでいて、ゼミも同じだったので、
仲がよかった。
時々、実家から送られてくれる、
天然のアユをくれた。
「アユム君にアユあげるのって、
なんか、オヤジギャグみたい。」
卒業してから、不幸なことに、
2人とも住職が、ガンに冒されて、
時々電話で、話した。
「アガリクスが、すっごいらしいよ。」
「ポロポリスって、どうよ?」
ガンの治療薬の、
話を彼女としていると、
なんだか、すこし、気が楽になった。
26歳で、女の子で、
住職をするのは、大変なこともあると思うけど、
あなただから、できることも、
本当に、たくさん、あると思います。
僕の、じいちゃんが、
不安な気持ちを抱えたまま、
亡くなってしまったように、
お父さんも、
正直に言って、
たまらなく不安で、心配だと思います。
でも、死んでいった人達が、
びっくりするぐらい、
「坊さん」、楽しみましょう。
お父さんにお会いしたことは、
ありませんが、
あなたと、一緒に、いてくれる、
お父さんの姿を、
僕は、本当に、リアルに感じることができます。
それは、坊さんとしてでは、たぶんなくて、
1人の人間として、
心から、そう、感じるのです。
合掌します。
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