第118回 ひとり、ひとりの歌が軸
ほぼにちは!
ミッセイです。
こんなに、
頻繁に京都に行くことなんて、
ほぼ間違いなく、
一生に一度しかないことなので、
いろんな所に行ってます。
東寺、竜安寺、醍醐寺、
西本願寺、東本願寺、平安神宮・・・。
やっぱり、
宗教的な場所に足を運んで、
信じること、仏教のこと、
自分の未来、栄福寺の未来について、
アイデアをひろったり、
考えたりしています。
結構、単純なことでも、
ボディーで体感できる事って、
ちゃんと自分の身体に馴染んで、
定着する感じが、するんですよ。
「ふるくて、デカイって、気持ちいいわぁー。」
とかね。
でも、
どこに行っても、
感じることは、
「四国(遍路)って、なんか、ある。
ここに、ないもんが。」
ってことなんです。
正直な気持ち。
最初、それは、
「緑とか、森だなぁ。」
って考えたり、
訪れるほとんどの人が、
お経をあげて、白衣を着て、
納経帳に朱印をして帰るっていう、
“かなり明確な信仰行為”
に、あるんじゃないか。
って考えたり、しました。
でも、
それだけじゃないみたいだと、
思いました。
先週、
大きな神社を参拝した後、
近くにある大きな美術館に、
行こうと思ったんだけど、
なにか、
「訪れるための場所に、訪れる。」
こと自体に、
はっきりとした、
疲れた感じを持ち始めました。
ま、飽きたんです。
で、標準的な
“観光コース”を外れて、
「とにかく歩こう。」
と思って、
二条通りから、橋を越えて、
学校のある五条烏丸(ごじょうからすま)まで、
てくてくと、歩き始めました。
どのぐらい歩いたかなぁ?
わかんないけど、
気持ちよかったです。
学校帰り、女の子に、
いたずらして追いかけられる、
小学生の男の子。
ペットボトルを、
持ってきたら、
飴湯を150円で入れてくれる、
和菓子屋さん。
誰かの悪口を言ってるとしか思えない、
至福の笑顔の、おばちゃん。
生活のある風景というのは、
ホントに気持ちがいいなぁ、
と思いながら、
心と体が、俄然、復活してきました。
途中、「大般若経」の鉄眼版(てつげんばん)
版元の会社兼作業所のような
所があったので、
大般若経の補修費用なんかを、
聞きながら、
色々な話を聞かせてもらいました。
「おたくさん、愛媛から?
ウチの紙は愛媛の宇和の和紙でっせ。
パーッン!パーーンッ!
(思いっきり紙をひっぱる。)
絶対、破れまへん。」
あー、おもしろかった。
でも、やっぱ、いい値段やなー。
とか、考えながら、
四国遍路に人が、
どんどん集まるのって、
コレかもしれないなぁ。
と、再び考えました。
つまり、遍路の
「中」、「途中」で、
“軸”が、いっぱいあるんです。
ダーリンコラムの、
「楕円はいいぞ」のことを、
なんとなく、思いました。
四国遍路のいろんな軸は、
「お寺」意外の要素も、
とっても多いと思うんだ。
お遍路さん、都市、森、畑、水。
民間信仰、死、温泉、路、村。
歩行すること、移動すること。
地元の人。
歓迎の心、恐怖心、好奇心。
それぞれの巡礼に対する思い、ポリシー。
それぞれが、時に、
ふくらんだり、しぼんだりしながら、
いろんな形の図形を描いている。
その、
“不完全なまま、いろんなものを抱えて
変形している”
感じが、
たくさんの人を呼んでいるのかなぁ、
と思いました。
思考停止してないんだよね。
移動停止も。
そして、
これって、伝統宗教や組織(チーム)を
考える時にも、
使えるんじゃないかって、考えました。
伝統宗教の世界は、
言い方によれば、
「日本的の典型」
のような社会でもあるので、
時に軸を1つに求め、固まります。
いろんな日本がありますが。
でも、その中で、
「正論は、こうだよね?」
って、言ってみたり、
それに対して、
「そうじゃないだろー。」
とか言って、
怒ってしまったりする人がいることが、
思いのほか、
組織を“健全”に守ってくれるんじゃない?
と、強く思いました。
小さくても、
ちょっと、わがままに聞こえても、
“自分の軸”を提供した、
ひとり、ひとりが、
実は、チームを強力にしている。
チームを去ったとしても。
残ったとしても。
やっぱり、
細心の注意の「自分の歌」を歌うことは、
他人と自分を救うはずだ。
その「自分の歌」が、
“死ぬ気で逃げる事”
だったとしたら、
本気で逃げればいいと思う。
それも軸だ。
「個人の中で、“軸”をふやすのって、
どんな方法が、あるだろう?」
って、考えました。
簡単じゃないよね。
その日の「先生」
日比野克彦さんが、
生徒に向かって最後に言った言葉を、
今、思い出しました。
「みんな、今までと違うことしようよ。
その方がいいんじゃない?」
こんなことも、言っておられたっけ。
「自分が“自分だけの部分”を見つけないと、
他人とコミュニケーション、
しにくいと思うよ。」
明日、僕はたぶん、
いつもと同じように、
お遍路さんに納経したり、
本堂でお経を唱えたりするんだけど、
その中にも、
「昨日と違う何か」
は、必ず、あるんだよね。
「新しいなにか」
「既存の何か」が、
加わるチャンスもね。
京都に行って、よかったな。
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