坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第140回 みたことのない街で葬式を。

ほぼにちは。

ミッセイです。

両国のダライラマ講演から、
2週間ほどたった頃、
千葉に住んでいる檀家さんから、
連絡があって、
90才のおばあさんのお葬式に行って来ました。

遠くで亡くなった檀家さんは、
これからの法事のことなどを考えて、
地元のお坊さんを、
お呼びすることも多いみたいです。

でも今回はじいちゃんの頃から、
家族との結びつきが深く、
ホテルをとってもらって、
僕が行くことになりました。

自分でびっくりしてしまったのが、
荷物の多さです。

お葬式用の「衲衣」(のうえ)
音を出すシンバルみたいな楽器の鉢(はち)、
いろんな法衣、洒水器(しゃすいき)・・・。

向こうに何があるかわからないので、
全部を入れてみると、
学生時代、
中国に3週間行った時に持っていった、
車輪の付いたでっかいリュックサックと、
じいちゃんが使っていた、
かなり大きいバックのふたつが、
パンパンになりました。

なんだか、

「滞在型バックパッカーの引っ越し」

みたいな雰囲気ですら、あります。

しかも片手には3本のトウバ。

でも、削る物もないので、
そのまま出発しました。

両国と同じ総武線の沿線だったので、

「また、すぐにここを通るとは、
 思いもしなかったなぁ。」

と国技館を見ながら、ぼんやり考えました。

到着した駅のある「八幡」とういう町は、
僕の住んでいる地域と同じ名前で、
タクシーの運転手さんに、聞いてみると、
やっぱりこの町にも、
「八幡神社」が存在するようです。

「八幡神社の神様が、
 呼んでくれたのかなぁ。」

なんてことも、
ひとりでいると、ふっと、
思いついたりします。

みんなでいると、
そういうテンションには、
なりにくいんだけどね。

ホテルに到着して、
不安になってきたのは、
今から始まるお通夜と
次の日のお葬式のだんどりです。

関東は、西に住む僕達から見れば、
お葬式全般のやり方が全然違うと、
話を聞いていたからです。

そこで、何人かのお坊さんに、
電話をして聞いてみたりしていたのですが、
近づくと、すこし、あせってきました。

そこで、ホテルマンのお兄さんに、
行ったことのある、
法事の話なんかを聞いて、
情報を収集しました。

「お坊さんが、法話することは、
 ほとんど、なかったですね。」

ふ〜ん。と思いながら、

「そーか。本屋に行けば、
 一応のスタンダードがあるぞ。」

と思いついて、
どんな本屋さんにも、
必ず置いてあるような、

『お葬式のしきたり〜今さらきけない〜』

みたいな本を、ほとんど初めて開きました。
もちろん地元での方法は、
じいちゃんやお坊さん達に教わったので。

本屋さんで「お葬式のマニュアル」を、
一心不乱に読みふける坊さん。
という姿は、

「どうみてもナマクサ」

と言うか、

「一夜漬けかいっ!」

と言うか、
サマにならない
この上ない感じだったのですが、
しょうがないよね。

「ふんふん。
 法話をすることもあるみたいだぞ。
 “神妙に聞きましょう”
 って。やらせかい。」

とくだらないことを、
考えながら、なかなか、
耳よりの話も書いてあって、
落ち着きを取り戻しました。

葬祭センターのような場所で、
行われる通夜へ移動する途中、
タクシーの運転手さんが、
いろんな話を聞かせてくれました。

「このあたりは、
 日蓮さんのお膝元だから、
 日蓮宗がほとんどだね。
 ここの近くの、中山寺では、
 百日行がはじまったばかりだよ。
 そこも日蓮宗。

 江戸川越えれば、
 真言宗も多いけどねー。」

とのことでした。

いろいろ考えて、
お通夜でも法話をすることにしました。

「行きの電車の中で、

 “僕になにができるだろう?”

 っていうことを、
 考えていたんですが、 

 おばあちゃんは、
 千葉の生活の中でも、
 また、病の床の中でも、
 瀬戸内海の海の匂いだとか、
 草や木の緑色、土の匂いとかを、
 よく思いだしただろうなぁ。
 と想像するんです。

 そんな匂いみたいなものを、
 体を通して、
 お経を読む口を通して、
 お届けできるのが、
 僕ができることだと思いました。

 僕が、伝えることのできる言葉は
 とても少ないです。

 “憶えていてあげてください”

  ということです。」

という話をしました。
普段、バカばっかり言っている、
僕のことを知っている
人達が聞けば、
僕からこんな言葉が発せられるのは、
想像しにくいことだと思うんだけど、
ちゃんとそう思ってるんだよ。

独特だと思ったのは、
お通夜に集まる人の多さですが、
これは現役で仕事の持つ人の多い都会で、
昼に行われる告別式よりも、
夕方にあるお通夜が出席しやすいからだと思います。

お通夜の前に、
葬儀社の担当の方と、
お葬式で司会をされる方と、
打ち合わせをしたんですが、
ホントに流れがぜんぜん違うのに、
驚きました。

でも、言ってしまえば、
僕の住む愛媛の中だって、
実は地方によって、
やり方が全然違うんだけどね。

地方ルールというのは、
なんでも、ホントに多彩だなぁ。

打ち合わせ通り、
次の日のお葬式も無事終わって、
お棺の中には、
葬列で使う「はた」である、
「四本幡」

「天蓋四本幡」
を書いて持っていっていたので、
家族がお花を入れている時に、
一緒に入れてあげました。

葬儀社のお姉さんも、

「はじめて、見ました・・・。」

と言っていました。


葬儀が終わり、
ホテルに帰って、
服を普通の(というのも変だけど)
服に着替えて、
すこし夜の町を歩いてみました。

「ここにいる人は、僕のことを誰も知らない。」

という感情や、
明らかにここ数年で、
建てられたとしか思えない
プラスチックなネオンの建物に囲まれて、
ふっと、言葉にできないような、
心地よさを感じました。

僕の場合、
「帰るもの」としての
気持ちよさですが、

それが、「ずっと」に近くなる人が、
ずいぶん多いことは、
かなり理解できることだと、
切なさ半分、
うれしさ半分みたいな気持ちになりました。

そういうのって、なんか、あるよなぁ。

ミッセイ


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2003-11-26-WED

BACK
戻る