坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第142回
栄福寺、秘仏本尊の撮影をしてもらいました。


ほぼにちは。

ミッセイです。

以前、
僕が栄福寺の秘仏を撮影しないという
スタンスを取っていることについて、
書きました。
第28回「秘仏について考え中」
そして、多くの読者の方から、

「ミッセイさんの姿勢に賛成です、共感します。」

という肯定的なメールを、
結構たくさん頂いたと記憶しています。

僕も、この文章を読み返すと、

「この坊さん、なかなか、
 いいこと言うじゃないか!」

と思ったりします。(ははは、冗談です。)

でもね、結論から言うと、
今回、写真の撮影をしてもらいました。

ある日、
栄福寺の僕に電話がかかってきて、

「四国札所の写真集を作るんです。
 以前の撮影の時のことは、
 よく理解しているんですが、
 もしよろしければ、もう一度、
 考えてみてくださいませんか?」

と、以前、
お寺の写真を撮ってくださった、
写真家の方から電話が入りました。

僕は、
この方の写真の雰囲気であるとか、
個人としての人柄に触れて、

「本尊を撮影して頂くとしたら、
 この方だな。
 するとしたら、
 こちらから、
 お願いするべきだな。」

となんとなく考えていました。

そこで、

「すこし、考えさせてください。」

と、電話を切りました。

実は、以前書いた

「仏教の持つ、 
 目に見える存在への、
 疑いの目。」

や、

「はっきりと視覚化される事への、危惧」

に関しては、ひとつのアイデアがあったんです。

栄福寺に本尊を入れる、
厨子を新調する計画があります。
(こちらも以前書きましたね。)

僕は栄福寺に、
本尊を入れる厨子を、
ふたつ持たせようと考えてるんです。

ひとつの厨子は、
当然、今の位置に閉まった状態で、
安置されます。

もうひとつは、
扉を大きく開けて、
なにも入れずに、
参拝するお遍路さんが、
「から」の厨子に対峙するような形で、
置きたいと考えています。
(あくまで、今の、僕のプランですが。)

その中には、
栄福寺の、そして僕達の、
もう一個の本尊の
“本質”
みたいなものが、座ってくれるはずです。

僕はそう思っています。

このアイデアが、自分の中で、固まってきた時、
ながい時間と
気が遠くなるぐらいの願いと
無数の合掌が詰まった、
栄福寺の本尊が、
信頼できる表現者の手によって、
たくさんの人の目にいったん触れるのは、

「いいこと」

を、たくさん含むかも。
と考えていました。

そして、実は、
僕が個人として、
写真集を買ったりする若い写真家の写真は、
なんというか、うまく言えないんですが、

「よく、こうも、そのまま、撮ったな。」
(撮れたな。)

という感じの写真だったりします。
すごく好きです。
その中に、特別な気分が宿るのが。

でも、住職として、
僕が担っている役わりは、
ほぼ日の言葉を借りるなら栄福寺に、
「BEST STANDARD」
みたいな、
最高のスタンダードを残すことだとも、
考えているんです。

また、これは、
この写真家の方にも
以前、直接伝えたのですが、
この写真家の写真が、

「美しいものから、目をそらしてない。」

って、感じたんです。
そのへんが、僕が僕なりに、
密教や空海の伝えたい事だと思っている、

「うわぁあ、世界も君も僕もすごい!
 溢れんばかりに、輝いちゃってるよ。」

みたいな感覚に似た雰囲気を感じたんです。
自分には、まだ、見えにくいものとして。


そんなことを、考える内に、
自分の中で、気持ちが固まってきたのですが、
僕は、文書でふたつのお願いをしました。

ひとつは、
今回の撮影を写真集のための撮影にとどまらず、
お寺側のプロジェクトとして、

「本尊がなにかしらの理由で、
 損傷した場合の仏師に手渡す、
 “根本資料づくり”」

という性格を持たせたいと、いうことです。

「単なる資料写真ではなくて、
 高いレベルの芸術家同士の
 “橋”のほうが、
 うまく言葉を交わせると考えたのです。」

とお伝えしました。
そこで御本尊の、
「四面の全体像」「御顔のポートレイト」
「(手に組んでいる)印」
の撮影をしてもらって、
その写真をお寺が購入したい。
と申し出ました。
「購入したい」
と伝えたのは、
「クリエイティブを安買いしたくない。」
という僕なりの、
おこがましくも、
不肖の弟子としての意思表示です。
当たり前のことでは、あるんですが。

もうひとつは、
その写真が、他の媒体に転載される場合は、
お寺の許可を必ず取るという提示を、
文書でして頂きたい。
出版社と写真家の連名で。

ということです。
はな垂れの青二才なので、
こういう事を伝えるのは、
冷や汗が出るのですが、
僕には住職として、
僕以上のものを背負わなければならない
責任があります。

ふたつのお願いに対して、
すぐに連絡が来て、
すべて了解で、
写真はぜひ寄進させてもらいたい。
という申し出を有り難く、受けました。

写真家の方が申し出た撮影日は、
二回目のじいちゃんの、命日でした。

「勝手に先代住職に、
 許してもらったことにします!」

笑顔で僕は、伝えました。

本尊を厨子から出す作業は、
1人では無理なので、
以前にも登場した(「仏師かく語りき」
仏師さんと息子さんに、
作業を手伝ってもらうことにしました。
一番ふさわしいと思ったので。

おじいさんの仏師さんは、
なんだか、ソワソワしています。

「高名な写真家が、
 どんな写真を撮ってくださるのか、
 楽しみですねー。」

僕が声をかけました。

「うぅん。
 その写真家が、
 どこまで、その、私の修復を見破るかなぁ。
 うぅぅん・・。」

なんか知らない間に、
対決も始まってるらしいことを、
込み上げてきた笑顔をかみ殺して、

「そうですねー。うぅん。」

と、しかめっ面と腕組みで応えました。

始まった撮影は、

「この場に、いさせてもらえる事が、
 僕にとって、すごい栄養だなぁ。」

と思わせてくださる、
すごい集中力での撮影でした。

仏師が時々床を揺らしてしまって、
撮影が中断したのは、
―彼の名誉のために言いますがー
単に彼が高齢だからです。
そうだと思う。
そうなんじゃないかなぁ。

いや、そうなんです。
なんてことを、おっしゃる。

しかし、撮影が終わって
ゆっくり、
お話しする間もなく、
僕はお葬式に向かい、
写真家は仕事に向かいました。


後日オリジナルプリントで
贈られてきた写真を見て、

「撮ってもらって、よかったなぁ。」

と心から僕は思うことができました。

木の箱を作ってもらって、
栄福寺の寺宝にしようと考えています。


ミッセイ


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2003-11-30-SUN

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