坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第146回 人生みたいな1日と体に伝えられた記憶

ほぼにちは。

ミッセイです。

まずはニュース。
栄福寺に犬が来ました。

黒いラブラドールのさくらです。



最初、柴犬を飼おうと思っていたんですが、
いろんな人から、

「“はしかい”よ。」

と言われました。
僕も知らない方言(だと思う。)
だったんですが、“短気”みたいな意味のようです。

お遍路さんを噛んでも、イヤなので、
温厚な性格らしい、
ラブラドールにしました。

まぁ、大きな声では言えませんが、
僕を含めて家族が結構、
気が長い方ではないので、

「見習いたい。あわよくば、影響されたい。」

みたいな野望もあります。

柴犬を飼ったら、
セコム犬(番犬)にしよう思っていて、
栄福寺の警備係長とかの
役職を考えていたんですが、
ラブラドールって、
番犬には絶対、向かないらしいね。

宗教法人栄福寺では、
さくらの役職及び任務を募集しますので、
ぜひ、みなさんメールください。

まぁ、とにかく、
歳の近いチームメイトができて、うれしいです。

すごい、僕に噛む同僚ですが。


かなり前の話ですが、
女の子の友達から、

「ほぼ日、たまに読んでるよ。
 アユム(ミッセイのことです。)
 は、退屈な仕事をよくがんばってるねー。」

と、言われたことがあります。
あーすごい勘のいい人だな。
と思いました。

「坊さん」は、
僕が特に心が動いた時だとか、
ちょっとした特別な場面を、
書くことが多いので、

僕が結構ドラマチックな、
生活を送っていると思われる人も、
もしかしたら多いかもしれませんが、
(わからないけれど。)
僕の仕事って、
客観的に眺めたら、
けっこう退屈とか単調とも言える部分が、
かなり多いんです。

特に集中力を保つのが大変なのが、
お遍路さんの納経帳に、
自分の寺の本尊名を筆で書くという仕事です。

365日、毎日、お遍路さんは必ず来られます。
(少なくても、ばあちゃんがウン十年前に、
 お嫁に来て以来は。)

もちろん僕も休みをもらっていますが、
これは、捉えようによっては、
すごくシンプルな仕事です。

数少ない、
お遍路さんとの直接の接点だし、
大切な収入の主要項目なんだけど、
やはりシンプルです。

これまで、
なんとか集中を保とうと、
いろんな方法を考えてきました。

僕はたまに写真を撮ったりするので、
お遍路さんのポートレイトを撮る気分で、
書いてみたりもしました。

それから、

「とても、いい方法を思いついた!」

と思ったのが、

「今までで、一番、綺麗な字を書こうとする。」

という一見、単純な方法です。
これも、なかなか、いい方法だと思います。

それで、最近よく使っていたのは、
仏教や密教でもかなり、
重要な事柄として取り上げられる、

「すごく小さなことに、全ての要素が宿る。」

という感覚です。

「全て」というと、
なんか大きすぎるので、
僕は「大きなもの」と、
この時は、言い換えていました。

例えば、ひとつの納経帳を預かって、
書き上げるまでの行為を、

「人生みたいですか?」

と問うんですね。
ギャグみたいですが。

そして、よく考えると、

「うん、人生みたいだ。」

と、答えてしまえるんです。僕は。

この方法も、結構すぐ飽きてしまって、
納経では使わなくなってしまったんですが、
いろんな場面で、時々、思い出します。

例えば、1日も、人生みたいです。

人と待ち合わせをした駐車場で、
夜、
黒い空を眺めていると、

「明日があることを、
 僕が今、知らないとしたら、
 夜って晩年っぽいなぁ。」

って考えると結構、
なんか、そんな気がしてきました。

これって、たとえ話みたいだけど、
ところどころ、本当の話だよね。

ちゃんと1日は、
1日が終わるたびに、
死んでるんだよね。

僕達が、眠るたびに、
悲しみの嗚咽をあげないとしたら、
僕達は、
眠るように死ねるのかもしれないね。

あるいはそういう部分があるかもしれない。


何年か前に、坊さんの勉強会で、
インド人の医師が招かれた時、
最後の質問の部分で、僕は手を挙げました。

「先生は、お話の中で、
 何度も“輪廻”(りんね、生死を繰り返すこと)
 という言葉を当然のように使われました。
 
 どうして、先生は、
 なんの迷いもなく、
 そういうものが存在すると
 認識されているのですか?」 

という意味のことを質問した、
と記憶しています。

(ミッセイ註・後からチェックしてみたら
 このエピソードは、以前書いていました。
 「第59回 アーユルヴェーダの勉強会」

今でも、たまに考えますが、
よくわかりません。 

犬のサクラを毎日みていたら、
“教えていないこと”
を、あまりにたくさんするのに、驚きます。

水が染み込むところでおしっこを、
することだったり、
動物のおしりの匂いを嗅ごうとしたり。

これは、とても少ない“経験”を、
元に行動している部分もあるんだろうけど、
“動物として、元々、知っていた。”
と思えて仕方ありません。

宗教というものは、
人間が便宜上、設定した、

「あとづけ」

のものだと、考えられることが多いし、
現代に生きるたくさんの人が、
“理性的”にそう、信じていると思います。

でも、もしかしたら、

「人間が動物として、伝えられた、
 身体が知っている記憶」

のようなものが
宗教には、
物語のような形で、
詰め込まれている部分があるのかもしれません。

「輪廻って、ぜったい、あるぜー。」

って話ではなくてね。

まぁ、あるかもしれないんだけど。


ミッセイ



告知させて下さいね。

以前「第142回 栄福寺、秘仏本尊の撮影をしてもらいました。」 
で紹介した栄福寺の本尊、阿弥陀如来の写真が収録されている
写真集が出版されています。
栄福寺のページには僕の写真も載っていますよ。

三好和義『巡る楽園 四国88ヶ所から高野山へ』(小学館)

銀座の和光ホールで12月27日(土)まで、
写真展もしてるようなので、
こちらもお近くの人は、ぜひ感想を僕にも教えて下さい。
三好和義さんの公式ホームページ

撮影して下さった三好さんの、
ちょっとしたエピソードが
ダーリンコラム
でも一度、登場しています。


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2003-12-28-SUN

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