坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第148回 宗教の意外な気持ちのよさ。

ほぼにちは。

ミッセイです。

前にウチのばあちゃんと話していたら、
スイカの話になりました。

「お寺でも、作ってたのよ。」

「ふーん。結構、難しいんでしょ?」

「うん、
 種が発芽するまでね、
 じいちゃんとばあちゃんが、
 ハラマキに種を入れて、
 芽が出るまで、
 お腹に入れていたのよ。」

「すごいなっ、それ。なんか。」

「ほんで、
 いっつも、
 じいちゃんの種が、
 やっと芽が出始めた頃に、
 ばあちゃんの種は、
 もう、1センチぐらい伸びてたの。」

「それ、ばあちゃんの方が太ってたからかな?」

「どうかなぁ、わからないけど、温度が違うのかなぁ。」

という話をしました。

来年のほぼ日ハラマキは種付きの、
「育ハラマキ」だったら、シブイですね。


「ミッセイさん、
 よく、そんなに書くこと思いつくねぇ。
 ばあちゃん、感心してしまう。」

とばあちゃんに、一度言われたことがあります。
今でも、ばあちゃんは、
インターネットを続けて、ほぼ日を読んでいます。


僕が、書くことだけじゃなくて、
いろんなことを思いつくのは、
なぜか、夕方にお堂の施錠をして、
賽銭箱の賽銭を集めている時に、
(毎日集めます。)
よく、思いつきます。

なんでだろう?
わかんないです。

ちなみに、
今日は、こんなことを考えてました。


僕が高野山で仏教や密教を勉強していた時、

「これだけは、論文のテーマに選びたくないなぁ。」

と考えていたテーマがありました。

それは「戒律」についてです。

「なんか戒律って、
 “校則”っぽいし、
(いやぁ、正直すぎてすまん。)
 全部を守ってる坊さん、
 日本にほとんど、いないよなぁ。
 なんか、きゅうくつだよ。」

って思ってました。
ホントに思ってたんだから、
仕方がない。

ちょうどその時、

「密教というのは、すごく宇宙的なものなんだ!」

という考えに講義や本で触れ、

「えっ、なんか、おもしろそうじゃないか。」

と思い始めた時期でした。

でも、ふっと、今日、

「あっ、宗教の“今”の時代の、
 意外な風通しのよさとか、
 居心地の良さって、
 けっこう、こういう所から発生してるのかも。」

と思いました。
戒律だけでなく、
なんか、きゅうくつに思えるような、
“きまりごと”
“やっちゃいけないこと”
“独自の価値観”
とかの存在がね。

僕達の善悪って、
どうやって規定されてると思いますか?

それって、いくつかあるんだろうけど、
結構たくさんの部分を、
「法律」が占めているような気がします。

そうでもないよ!
と思うでしょ?
でも、たぶん、結構そうだと思うんです。
僕達、若い世代の人達は、
国家や政府が転覆した経験がないので、
特にそういう価値観を、
強く持っていると想像します。

「それを、やっちまったら、
 逮捕される可能性がある。」

というのが、
結構、以外とも思えるほど、
善悪に線を引いていると思うんです。
知らず知らずのうちに。

もちろん、それは、法治国家として、
安全に暮らすために、
すごく大切なことなんですが、

なんというか、
人間の持っている、
本質的な善悪の判断まで、
浸食し過ぎてしまうと、
なんだか、あまり、いい予感が、
しないような気がします。

言い過ぎぐらい、言ってしまえば、

「スポーツを楽しむためにルールを守る。」

ぐらいの気分を法律に対して、
持ってたら、
ちょうどいいような気さえします。

守ってるよ、たぶん。
気分です、気分。

で、それに対して、
国立大学に対する私立大学というか、
「私塾」みたいな感じで、
宗教の、
「倫理観」とか「価値観」みたいなものを、
いくつか、胸に置いておくのは、
少しばかり有効な話なんじゃないだろうか。
と思いました。

「どちらを必ず優先せせる。」

みたいな話ではなくて、
1人の人間の中に、
いろんな視座、視点を提供するための、
わりに便利な要素が宗教には、
けっこう、たくさん、
存在するんじゃないでしょうか?

そして、そういう“いくつかの視座”を、
意識的に持とうとし、
無意識に思考できることは、
宗教を使用するかどうかは問わなくても、
かなり重要な気がします。

そして、たぶん、本当は、
より居心地がよくて、
より気持ちのいい状態だと思います。

そういうものは、
宗教以外の何かにも、たくさんあると思います。

そう考えると近代の国家よりも、
(もちろん1人の個人よりも)
多くの宗教っていうのは、
たくさんの時間を超えて、
存在させてもらってるものなんだから、

「人のいい先輩」

ぐらいは、
デカイ顔した方がいいかもしれないね。

「人のいい先輩ぐらいはプライドを持つ」
って言おうかな。

当然、同じ理由で、
今の時代の持つ性格と、
合わなくなってしまってる
面も多いと思います。

あっ、ホントはそれを
精神を残したまま“翻訳”するのが
坊さんの仕事のひとつなのかな。
「魂の翻訳作業」
なんていうと、カッコつけ過ぎか。
でも、大事だろうね。

「法律」と「宗教の価値観」を、
同じ土俵で考えること自体、
たぶん、馬鹿に見えるぐらい
乱暴な話でしょうけれど、
たぶんクロスする部分は、
少しは存在すると思うんです。

そして、
他の話題もたくさん含んだ話だと考えます。

日本にたくさんのお寺が、
歴然と残ってるのって、
結構このあたりと、無関係じゃないのかもなぁ。

「視座」が狭められることは、
たぶん、本当に危なっかしくて、
たいがい不快なことなので、
世間とか社会の「視座」が、
固まっているように見える時、
静かにメッセージを伝えられる人になりたいです。
少なくともメッセージを持ち、
家族や友人に話したい。

それは、一見、

「メッセージ」

の形に見えないことも、多いような気がします。

それもたぶん、かっこいい、
「ヘビーメッセンジャー」
ってヤツだと僕は思うよ。


ミッセイ


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2004-01-04-SUN

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