坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第150回 僕の元気は不思議なお婆さんで回る。

ほぼにちは。

ミッセイです。

今日、
僕は新年の御挨拶に、
檀家さんの家を回っていました。

お正月の3日、4日に分けて、
余裕を持って回ろうかな、
と思っていたんですが、
4日にお葬式ができたので、
今日(書いてるのは3日です。)
朝の8時から夕方の6時まで
時間いっぱいに回って、
15件ぐらい回れました。

年々、いい意味でペースが落ちています。
なぜかというと、
ちょっとずつ相手の人と、
知り合い度が高くなっていくから、
少しずつ「場が持つ」
ようになってくるんだよね。

だいたいは家に上がって、
仏壇で短いお経をあげて、
今年の暦と栄福寺の御祈祷のお札や、
法事の案内なんかを
各家庭に渡します。

この「家にあがる」というのは、
なんだか、
とても不思議な感覚なんです。

普通、相当よく知った人じゃないと、
「家の中」には上がりませんよね。

でも「お坊さん」は、
ズカズカと家にあがり、
お経をあげます。

そして、
それが自然な風景として、
違和感なく成立しています。

そして、仏壇には
火のともったロウソクにはさまれて、
亡くなった人の
少し変色しかかった写真や、
名前や戒名が並んでいます。

これって、実はというと、
本当におもしろい感覚なんです。

そして、
かなり、いろんな要素の含まれる
感覚だと思うんですが、
「いい」か「わるい」かと聞かれると、

「いい」感覚なんです。

みんなにも、
一回、
お坊さんを経験してもらいたいぐらいです。
(ちょっと無理か。)

年に1、2回しか顔を合わせない人の、
「家」に上がって、

見たことのない食器や家具、
洗濯物、
机に並んだご馳走をひょい
と飛び越えて、

親戚で宴会をしたり、
老人が1人で過ごしたりしている、
その空間で何分かを過ごすのを、
連続でこなしていると、

人が生きて「時間を過ごす」ということが、
どういうことなのか?

もちろん、
そんなことのほとんどは、
わかるわけはないんだけど、

かなりの成分の
客観性みたいなものを伴って、
体にすっと、
なにかが染み込んでくるような
感覚を感じる気がします。

その風景は、
例えば子供のイノシシを、
何匹か仕留めた家に
手を引かれて上げてもらって、

「骨付きは、なかなか、ないから。
 そこらでは、ないから。
 
 おっさん(坊さん)は
 撃ってないから、いいんだよ。

 食べて、食べて。さぁさぁ。」

「あ、おいしーです。」

という風景だったり、

年末にキンキキッズ
のコンサートに
東京に連れていってもらった
興奮が冷めやらない、
幼稚園児に、

「これ、
 白檀っていう木の数珠をおろしたんだよ。 

 いい匂いするから、匂ってみる?」

という感じでおばあちゃんが、
お茶を用意してくれているスキに、
遊んだりする風景でもあります。
(この子は白檀にハマって、
 おばあちゃんが帰ってきてからも、
 「ねぇ、もう一回、かがせて。」
 と言ってきて、かわいかった。)

あ、でも、今挙げた風景が、
「おもしろい感覚」ということではないんです。

むしろ反対とも言える部分もあります。

普通のあまり知らない家に、
何軒も何軒も訪れて、
何事もなく、
会話を交わし、
お経をあげて帰る。

というのが、
僕にとても
「おもしろい感覚」を
感じさせるんです。

で、今回、
一番、不思議な感慨を
僕が受け止めたのは、
ある一人暮らしのおばあさんの家でした。

多分前にも書いたことのある、
おばあさんです。

必ず会話に
その場面の「モノマネ」が登場します。

このおばあさんのことが、
僕はわりと好きなんです。

また、今回も不思議な元気をもらいました。

おばあさんは、
前のようには元気でありません。

重い病気をして、
家に帰ってきた今でも、
たくさんの薬を服用しています。

この前、お盆で僕が家に行った時は、
大きなアルミの薬箱を取り出して、
それがなんの薬であるか、
ひとつ、ひとつ、
僕に説明してくれました。
長かった。永遠かと思われるぐらい。

そして、僕は気付いたのですが、
このおばあさんは、
「モノマネ」をしているわけではないんです。

それに気が付いたのは、
今日、おばあさんが、
友達の娘の旦那さんが、
料理人から警察官になることを、
決心するシーンを、再現していた時です。

「もうしんどい。
 もーイヤや。
 いやや。イヤや。イヤや。
 料理なんかしんどいっ!」

見たわけないんだよー。
おばあさんがそのシーンを。

あばあさんが、
やっているのは「モノマネ」ではなくて、
「劇」だったんです。

もちろん、そんなことは、
重要な話ではないんですが、
そもそも、
このおばあさんにまつわる話には、
一見、重要な話は一切ないんです。

このおばあさんは、
話の節々で、

「ウチのことは、死んだおとーちゃんが、
 ずーっと、見守ってくれてる。」

と言ってみたり、
終戦直後のいい話があったり、
たまにホロリとさせてくれるんですが、

その間に、
驚くような価値観の話が、
かなりの分量で、はさまれます。
(ちょっと、ここでは書けない。)

そして、僕はまた、
とても、元気になってしまったんです。

なんなんだろう?

このおばあさん、
僕にとって、
本当に不思議な、おばあさんだなぁ。

不思議なおばあさんに
しょっちゅう会えるだけでも、
坊さんっておもしろい。

笑ってしまうような
話だけど、
これは多分、本当の話です。

「元気の原因」みたいなものを、
この後の車の中で、
ずっと考えていたんですが、
やっぱり意味不明でした。

でも、なんとなく、

「ほとんど全部が穴なんだから、
 いつもより深く
 掘ればいいのかな。
 穴なんだから。」

と、そのあとずっと
思いました。

まぁ、

「やろうか!」

ということです。

それは、
おばあさんの話ではなくて、
単に僕がそう思ったんだけどね。

なんだか不思議な1日でした。
そして、いい1日だった。

ミッセイ

2004-01-09-FRI

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