坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第158回 しみを残す。

ほぼにちは。

ミッセイです。

以前に写真をのせた栄福寺の桜も、
新緑に変わりました。



ほんとに、山桜って咲いてるのは一瞬だったよ。

でも、入れ替わるようにして、
大師堂の裏では、
小さな桜が花を咲かせました。



えーっと、ほぼ日読者の皆様には、
玄関からも入っていただいて、

これが母親が玄関にいけている、
野いちごの花ですね。



左側にいけている小さな花をみて、
僕はお好み焼き屋さんに行くと、
普通に食べる一枚と、
とっても小さい一枚を作って、
ちゃんとソースと青のりをかけて、

「お先にー。」

と焼き初めて2分ぐらいで、
それを食べるのを習慣にしているのですが、
(とても快感な習慣だと思うのに、
 人生の中で誰にもマネをされたことがないです。)

それを思いましたねー。
血は争えないと思いました。
乳児期の記憶がそうさせるのでしょうか。

栄福寺に絶え間なく咲く花の多くは、
じいちゃんが植えたり育てたりしたものだけど、
(野いちごもそうらしいです。)
もしかしたら、じいちゃんは、
自分が死んだ後も、
この花が咲くことを、
なんとなく考えたことが、
あったのかもしれないね。

そんな風に思いました。


僕は、大概のことでは、
人と言い合いをすることはないし、

「できることならば、
 あまり怒られたくないものだ。」

と思って、生きております。
力強さに欠けるのかもしれませんが、
正直に言って、
今でもそういう傾向はあると思います。

ほんの十数年前までは、
講堂の天井裏に忍び込んで
天井を落としてしまったり、
たくさん怒られましたが。
(木工用ボンドを持って、
 図画工作の時間に友達と直しに行ったら、
 優しい女性の先生に殴られた。)

でも、一度、
住職の仕事の中で、
すごい怒られたことがあります。

ある石像が、
栄福寺の境内に建立された時、
どこに誰の名前を入れるかで、

あーでもない、こーでもない、

と長い長い話をみんなでしていました。

それは当然、
住職でもある僕の名前の話にも
及んできて、

どこに、

「現住 密成」

と刻むか、

あーだろう、こーだろう。

と話していました。
僕のいないところで、
僕の近くで。

そこで、なんとなく僕は、

「僕の名前は、どこにも彫らなくても構わないんですよ。」

と言いました。
ずいぶん、今より
「仏教的に考えると」
ということを、厳密に考えすぎていた時期でした。

会話は止まり、
何とも言えない静寂が訪れました。
なんとなく想像できると思います。

その時、たまたま寄進者の方が、
懇意にされている
僧侶の方が同席されていて、

「お金を出してくださって、
 建立してくださるんだから、
 自分の名前を彫らなくてもいい、
 なんて事は、
 口が裂けても言ってはいけない。」

と怒られました。

僕には、仏教の考えと照らし合わせても、
もしかしたら、
自分の方が正しいという側面もあるんじゃない?

という思いもありましたが、

「あーそうですね。すいません。」

と言いました。
(悪い癖かもしれません。)

そんなこともあって、

「名を残す」

ということに対して、
僕自身、
そんなに執着しないタイプなんだなー。

と思っていました。
(少なくとも住職という仕事に関しては。)

でもね、
最近、久しぶりに会った友達と、
話をしていて思ったんです。

僕は、
自分の写真と絵本の入った
一冊の本の原稿を
今、作っていて、

今までのように、
手作りの本を一冊作るんじゃなくて、
印刷所に出して、
何冊か製本してもらおうと思ってるんだ。

という話をしていました。

「なんかね、
 自分が生きていて、
 こんなに“本”という存在が好きで、
 
 それを作ることのできる人生と、
 作ることのできない人生だったら、

 多少、無理をしてでも、
 作ってみるべきだ。
 作れるんだから。
 って思ったんだよ。

 そっちの人生の方がオレ、好き。」

そんな話をしながら、
飲み放題の
ミスタードーナツのコーヒーを、
何杯も飲みました。
コーヒーの味なんかわからないほどに。

帰ってから、
どうしてそんなに作りたいんだろう?

本の事を考えるたびに、
こんなに、
ドキドキしてしまうのはなんでだろう?

と考えてみました。

「好き」

っていうのは、
大きいとても大切な要素だろうけど、

どこかに、僕という人間の本能のどこかに、

「生きていたことの、
 “染み”みたいなものを、
 ここに残しておきたいのかなー。」

と思いました。

じいちゃんが花を植えたように。

いつかは消えてなくなるとしても。

「僕は、こんなものを、こんな風にみてたんだ。」

ってことを。

そして、
たくさんの時間を
前にも後ろにも感じることのできる
“お寺”という存在に、

「名を残したい。感情を残したい。」

と思っている、
多くの人達の感情が、
かなりリアルな物として、
すっと僕の体に染みこんでくる気がしました。

それに僕がうまい形で、
手を添えることができるならば、
それは、本当に“いいこと”だなぁ。

と思いました。
たぶん、僕にとっても。

そして、
僕がお寺に残す仕事も、

「現住 密成」

とここに記してくれると、うれしいな。

と、はっきり言えるような仕事を、
求めるべきなんじゃない?
と思いました。

自分がうれしくなるように、
楽しい気分になるように、

イニシアティブを恐れることなく選択して、
染みを残せばいいんだ。

と思いました。

少なくても今は選択するだけで、
イニシアティブをとれる立場にあるんだから、

もっと、もっと、もっと、
うれしいこと、おもしろいこと、信じたことに、
目を向けて、手を動かして、いきたいです。

そこで、怒られたとしても、
それが、そいつの生き方だ。

そして僕は、
自分が本当に求めたものは、
誰かも求めているに違いない。

という事を、

もう一度、
感じて、信じていきたいと思います。


ミッセイ

追伸
と、ここまで書いたところで、
以前に大反響の仏前結婚式を紹介した
高知の先輩のお坊さんから、
ハッピーなメールが今、来たので、
無断転用します。

「件名 うぉー」

「産まれたー!!
 ついに産まれたで。
 3010グラムの元気な赤ちゃん。
 出てきた瞬間おちんちんがなかった!
 なんと女の子やった。
 かわいいよーたまらんねぇー!!
 立ち会ったけど、
 ・ ・・(奥さんの名前)のがんばりと
 産まれた瞬間で
 涙がちょちょぎれたで。
 報告でした〜
 Vブイ」

すごいねー。

「出てきた瞬間おちんちんがなかった。
 なんと女の子やった。」

っていうのが、いいなー。
はははは。

女性の方はぜひ、座右の銘にしてください。

おめでとう!!


このページへの激励や感想などは、
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postman@1101.comに送ってください。

2004-04-18-SUN

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