坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第160回 半分あげる。

ほぼにちは。

ミッセイです。

この前、
僕が納経所に座っていたら、
近くに住んでいるという人が、
お参りにこられて、
すこし話しました。

家族が体調を崩してしまったらしいのですが、
いいお医者さんが見つかった、
ということでした。

「よかったですねぇ。」

「うん。
 それで、
 前のおっさん(じいちゃんのこと)に、
 話を聞いていた、
 ここのお地蔵さんにも拝みにきたの。」

“名医とお地蔵さん”

という取り合わせが、
なんとなく、
おもしろいなと思ったのですが、

もし自分の家族とか、
大切に思っている人が、
病気やケガをしたとしても、

僕も同じように、
名医を捜し、拝むだろうなぁと思い、

「そういうもんかもなぁ。」

と思いました。


最近、僕はケチだなぁ。

とよく思います。

元々、知っていたのですが、

「あらまぁ、ほんと、ケチだなぁ。」

と思うことが多いんです。

例をあげると、
恥をかきそうなので、
止めておきますが、

僕はケチです。

ケチな人は案外多いと、想像します。


ケチについて考えていると、
自分と他人(他)という事を考えていました。

他人という人達の、
数の多さに、驚くことがあります。

なにせ、
全部というか全員というか、
みんなから、
自分というたったの1個を引くと
他人だもんね。
これは、すごく多い。

他人は、とても数が多いです。

自分という事について、
考える時、
その少なさに驚いたりします。

ひとつしかないもんね。

これはすごい。

ひとつしかないものなんて、
ほとんど知らないし、
知っているものも、
僕のものじゃないです。

自分はとても、少ないです。


僕にとっての宗教は、

「どういう風に生きようか?」

という相談ごとみたいなものだから、

自分と他人(他)ということは、
大きなテーマのひとつになると思います。

そして僕は、坊さんだから、
そのことについて、考えます。

僕は自分を捨てるのが怖いです。
1分でも、怖いです。

ケチだから。
こわがりだから。
小さいから。

僕は、あなたから愛されないのが怖いです。

何故だかわからないけれど、
それは、すごく、怖いです。

でも、僕達は、
時々自分を離れなければいけないし、
ほおっておいても、離れる時がある。

そして、
あなたに
愛されないことに、
慣れなきゃいけない。

僕は、毎日、言おうと思う。

「半分あげる。
 僕のこと、半分あげる。

 気が向いたなら、半分頂戴。

 いやだったら、いらないので、
 よろしかったら、なにか、ください。」

つまり僕は、半分いらない。
僕は僕を、半分いらない。

あなたのことを、半分、いらない。


そして、また、半分あげる。

なにか、ちょうだい。

なければ、いいよ。

いやなら、いいよ。

そうであっても、半分あげる。

とにかく僕は、
半分を唱える。


ミッセイ


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2004-05-03-MON

BACK
戻る