坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第162回 わかるから好き。

ほぼにちは。

ミッセイです。

栄福寺には、秋になったら
綺麗に紅葉する、
もみじの木があるのですが、
(去年は色が、なぜかくすんでいたのですが。)



もみじって、新緑もすごく、気持ちいいですよ。



いい季節になって、
四国を巡礼される人の数も、
ぐっと多くなってきました。

四国をお参りする人って、
多くの人が、

長生きだったり、御利益だったり、
亡くなった人の菩提であったり、

「よくは、わからない。」

はっきりとしない、
不思議なものをどこか感じて、
お参りしていると思うんですが、

こんなにも多くの人が、

「よくはわからない、不思議なもの。」

を、感じながら、
それを求めて、
四国までお参りに来られるというのは、

「そういうものなのだなぁ。」

と、おもしろい感覚を受け取ったりしました。


お参りに来られる方にも、
いろーんな方がおられて、
今日来たおじいさんは、

「ここの仏足石は、ホンモノじゃないね!」

と言い放って、
プイッと帰ったりしたりする人もいます。

そこで、

「骨董屋じゃねーぞ!」

ともちろん、僕は言わないのですが、
(骨董屋さんに行くのは好きです。)

「お寺に存在するもので、
 あなたの言われる“本物”という定義は、
 おそらく有効ではないと考えます。」

と議論をふっかけようという気も、
チラッとしたりするのですが、

「たぶん、僕らの価値観は、共有できないかな。」

と思ってしまって、
なにも言いませんでした。

「はぁー。」

ぐらいは言いますが。

で、ちょっと思ったんですが、

「好き、とか心地いい。」

というものって、
いろんな側面があるんだろうけれど、

「わかる。」

ということと深く関係しているのかな?
と、あらためて思いました。
(最近よく考えていたんです。)

もちろん、最初に書いたように、

「わからない、不思議なもの」

に惹きつけられる感覚も
同時にたくさんありますが、

ひとつの大きな側面として、

「相手の価値観とか考えている事が、
 とても、わかる。」

というのは、大きな“好き”の源だと思ったんです。

好き、というと、

恋愛とか、
対人関係を思い浮かべやすいと思うのですが、
それだけではなくて、
いろいろな場面で、

「好き、心地いい」

を発生させるのは、
生活することの大きな要素でしょうし、
いろんな仕事の基本だと思います。

だから、たぶん、

「嫌い。」

とか、

「やだなー。」

と思う少なくない部分は、

「それが、何なのか、わからない。」

という感覚が結構あるのかな。
って思いました。
(ややっこしいですが、
 「わからないのが、よくわかる」
 という状態も、よくあるとおもいます。)

それを考えると、

「かんたんに書く。
 わかるように話す。」

なんてことは、
些細なことに見えて、

人に何かを伝える上での、
そうとう重要な部分なんじゃないかと思います。


お坊さんの修行では、

「我、・・・なり。」

とかっていうイメージで、
自分が“何か”であること
強く思い浮かべりすることが、よくあります。

これも、

「何かを、実感として、“わかる”」

を目的のひとつにしてるんじゃないかな。


でも、

「“好き”は“わかる”。」

なんて言うと、

「じゃー、やっぱり出る杭の杭は、よくないのかな?」

と考えたのですが、
(思わずやってしまうって、
 かっこよく感じることが多いですから。)

どこにでもあるようものが、

買ってもらったり、
わざわざ訪れてもらったり、
大きな感情のうねりを、
発生させるのは難しいのだから、

群れから飛び出して、

「あっ、ここにあった!」

と大切に貴重に思ってもらうことは、
すごく必要だと思うんです。
求めてもらいたいと思ったとしたら。

ただ、そこにある感覚って、
なんとなくですが、
受け手の人が、

「言葉にはしにくいんだけど、言いたいこと。
 元々、見えているはずのもの。」

を、

「この感覚ってあるんじゃない?
 やっぱり、そう?
 なんか、うれしい!」

という感じに近いと思うんです。


僕は、この感覚を、漠然とつかんでから、
実はというと、
本を最後まで読み切る確率が増えました。

元々かなり低いですし、
今でも高くないんですが、

「相手の言うことを真剣にわかろうとする。」

ということは、
もしかして、すごくおもしろいことなのかな?

と思いました。

宗教関係のいくつかの書物は、
いわゆる難解なものも多くて、
読み物として、

「どうしようもなく興味をそそる。」

ものじゃない場合も、
僕はあるので、
この感覚は、便利に使っていこうと思います。

もちろん、

「相手の言葉や、伝えたいことに、
 体や耳を澄ませる。」

というとは、
もっと、とても大きな、
なにかを含んだ話題だと思います。

これって、注意深さも、
たくさん、
必要となる話なんでしょうけれど。


ミッセイ


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2004-05-16-SUN

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