坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

165回 空を、裏返してみた。

ほぼにちは。

ミッセイです。

少し前に、
あるお坊さんが、

「戒律っていうと、
 “あたえられる決まりごと”
 のような印象の言葉だけど、
 “戒”っていうのは、
 自分から決心してなにかを守ろうとする、
 決意のような“意志”でもあるんです。」

という事をきいて、
なんだか、かっこいいなとおもいました。

また、声明を教えて頂いているお寺でも、
「律」の話になり、

「律にも色々、タイプがあって、
 たとえば着るものでも、
 絶対、この素材じゃないと駄目!
 (木綿だったかな?)
 という律もあるけれど、

 もらったものなら、
 絹とかを身につけてもいい、
 後世に成立した律もあるんだよ。」

という話を聞いていました。
その中で、

「でも、どの律を受けるかは、
 “授かる”ものではなくて、
 自分で決めるものだったんです。」

ということでした。
僕は、知らなかったので、
ただ「はー、そうですかー。」
と心の中で連発していたのですが、

昔の仏教の中でも、
自律的な側面、
自分という個人が決定する(べき)もの、
というのは、多かったんだね。
おもしろいと思いました。


個人的な話になりますが、
27歳になりました。

誕生日だし、
何か今までにしたことないことを、
はじめたいなぁ。

と思っていたのですが、
お寺にいましたし、
なんにも思いつかなかったので、

お祝いメールをくれた友達に、

「何も思いつかなかったので、
 出家することにしました。」

というアホなメールを、
送ったりしていたのですが、

ひとつ、自分に、
「アイデア」をプレゼントしようと思いました。

それは、

「空(くう)を裏返す」

というアイデアです。

高野山で行われる予定の、
若いお坊さん達による法会の、
キャッチコピーやポスター案を考えて欲しい。
と言われて、
(この連載を読んでいるお坊さんは、
 僕が広告塾に通っていたことを知っているので、
 たまにこういうことを、
 させてもらえるようになりました。)
徳島に向かっていた車の中で、
なんとなく思いついたアイデアなんです。

「空」(くう)という言葉を知っていますか?

たぶん、この連載でも何度か、
この言葉が出てきたと思うんですが、

「般若心経」などで登場する、

「一切皆空」
(すべては、空である)

は、よく知られた言葉ですね。

「あらゆるものには、
 実体も本質も自我(アートマン)も、
 ない。」

すごく短く言うと、
そんな感じの意味だと思います。

でも、そのあとで、
必ずといっていいほど、
付け加えられるのが、

「いわゆる無ではない。
 そして有であり、無でもある。」

という、これぞ禅問答!

とでも言うべき、
まぁ、ちょっと難しい言葉です。

つまり、

「空というのは単純な
 存在否定では、
 ないんです。」

ということですね。

でも、僕は

「裏返す」

ために、ここで、一度、
あえて、単純に空を見てみたいんです。

「あなたは、いません。僕は、いません。
 机はありません。ビルはありません。
 山はありません。」

そして、それを、“裏返して”
すべての存在を「ある」として、
見つめてみると、

僕の中で立ち上がってくる存在がありました。
それは、“感情”や“思い”のようなものです。

そして、それらが、
実際に手に触れることのできる“体”(からだ)でした。

「思いには体があり、
 それ自身が動き行動ができます。」

「思い出には体があり、
 僕達は“それ”と、
 話をすることができます。」

「死んだ人には体があり、
 僕達はその
 存在に触れることができます。」
 
「アイデアには体があり、
 時々、空を飛びます。」

「言葉には体があり、
 発された場所にいない人にも、
 届き、体の中に入っていきます。」

ふだん、

“実体のないもの”

とされてるものを、
ルールとして、
100パーセント

“ある”

と信じることで、

「立ち上がってきた」

もの達に、
僕はルールとしてではなくて、
実感として、

「あっ、あるわ。」

と思いました。

「ない
 とされるものだって、
 あるんだから、

 ある
 とされるものだって、
 ないのかもしれないな。」

と感じ、

「あ、空なのかな。」

と思いました。
空を裏返したら、空が出てきた、と思いました。

僕は、この空の、

「一見、実体がないように見えるものに、
 存在とか力があるように思われること。」

「悪しき(あえてこの言葉使いますが。)
 行動だけではなくて、
 悪しき思いにも、
 悪しきものはしっかりと宿る。」

というアイデアを、
27歳の自分へのプレゼントにしたいと思います。

なんか、ちょっと恥ずかしい気もしますが、
高野山に住んでいた大学生時代は、
ジーンズのロールアップした部分に、
「コギト エルゴ スム」
(ラテン語で“我思う、故に我あり”
 西洋哲学を専攻していた友達に教えてもらった。)
とマジックで書いていた、
恥知らずですので、怖いものはないです。


臨床の立場で、
心理療法に携わっている人などの、
本を読んだりしていると、

「本気じゃないと、絶対ばれます。」

という言葉が、
頻繁に出てきたりするけれど、
 
もしかしたら、
そういう実感も、
今回の話に少し関係した、
話かもしれないよね。


ミッセイ

ミッセイさんからのお知らせ。
シンメディアという出版社刊行の
『季刊 巡礼マガジン』
というシブイ名前の雑誌で、
「おもいだす空海」という連載を、
最新号の31号から始めました。
(ほぼ日を読んだ編集者の方から、
 お話を頂きました。)

空海の著作の言葉に、
僕が短いコメントと、
写真を添えるという、
見開き2ページでの連載です。

手に取られる機会があれば、
ちらっと覗いてみてください。


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2004-06-27-SUN

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