第171回 朝の本願寺と沈香
ほぼにちは。
ミッセイです。
今年も京都に通っています。
「理趣経」(りしゅきょう)というお経の講義と、
そのお経に基づいた修法(理趣法)の伝授を受けるためです。
といっても、2年で八会(はちえ、そういう言い方をします。)
の比較的ゆったりとした、スケジュールです。
一会が二日にわたっての講義なので、
京都駅のすぐ近くにあって便利な、
おなじみニュー銀閣インに泊まることにしました。
朝ご飯を近くのスターバックスで食べて、
東本願寺まで散歩してみると、
ラッキーなことにお堂でお坊さんが、
法話をしていたので、
聞いてみることにしました。
その時の話が、今でも、
なんとなく心に残っています。
「私の寺の檀家さんに90歳を超えている、
おじいさんがいるのですが、
その人が、今年のお盆に私に言うんです。
和尚さん、この歳まで生きていると、
私“つじつま”があってきました。」
つじつま?と思って興味が出てきた所で、
僕の時間が危なくなってきたので、
退堂させてもらったんですが、
(なにせ「本願寺で法話聞いてて、遅れました!」とは言いにくい。)
「つじつま」って、なんかおもしろいね。
僕達は、自分の思い描いた夢だったり、
なれそうもない自分であったり、
わりと「遠くのもの」に対して
憧れを持ちやすいと思うんですが、
「自分が自分であるための、
つじつまを合わせる作業。」
だと“生きること”を考えてみると、
腑に落ちる部分があるような気がします。
でも、僕は最近、
作家の処女作とか、
ミュージシャンのデビューアルバムが、
わりと好きな場合が多いことに気付いて、
「なんでだろう?」
と考えていたんですが、
自分では、
「もどかしさ」と「無責任さ」に、
あるんじゃないかと勝手に思っています。
まだうまく言えない、
発したいことは山程あると思うのに、
このまま終わるかもしれない、
「もどかしさ」
とりあえず言っちゃうもんね、
ははは、気持ちよかった!!という
「無責任さ」
このあたりに、
僕は「いいなー」と思ってしまいます。
そんなことを考えていると、
「一生つじつまなんか、合わないだろうなぁ。」
なんて思うし、
それでいいと思うのですが、
僕達はいくつか欠けたジグゾーパズルで、
1日中遊ぶ子供みたいだね。
欠けてるから遊ばない、のではなくて、
だから出来る遊び、
みたいなものがあるといいな。
「つじつまがあってきた。」
おじいさんが、見ているのはどんな光景なんだろうね。
ところで私、
京都で買い物をしました!
数珠を取った後の「沈香」(じんこう)の木です。
最初見た時は、「蜂の巣」かと思いました。
沈香は、
お香に使うけっこう高価な香木です。
しかも数珠に使うのは、
黒っぽい特に香りの強い部分が多いらしいんです。
でも、“残り”は見かけも悪いし、
使いにくいので、比較的手頃な価格で手に入るんみたいなんです。
ずっとお堂や部屋で焚くためのいいお香を探していた、
僕としては、うれしい買い物でした。
帰ってすぐいろんな所で焚いて遊んでいたのですが、
納経所で焚いていると、
「ガソリンの匂いがしません?」
とお遍路さんに声をかけられました。
ガソリン・・・。
でも次の日に違う人から、
「ここはお香の匂いがしますね。
なんというお香か、教えて頂けますか?」
と聞かれたり、好みがはっきり分かれるみたいです。
(というか前日、焚き過ぎただけかな。)
ちなみに京都から一緒に帰ったお坊さんは、
修行道場で沈香を焚いていると、
「カレーだ。」
とよく思ったそうです。
ミッセイ
ミッセイさんからのお知らせ。 |
シンメディアという出版社刊行の
『季刊 巡礼マガジン』
というシブイ名前の雑誌で、
「おもいだす空海」という連載を、
最新号の31号から始めました。
(ほぼ日を読んだ編集者の方から、
お話を頂きました。)
空海の著作の言葉に、
僕が短いコメントと、
写真を添えるという、
見開き2ページでの連載です。
手に取られる機会があれば、
ちらっと覗いてみてください。 |
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