坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第174回 こころとからだの動く場所

ほぼにちは。

ミッセイです。

この前、
お葬式でお寺を空けている時に、
栄福寺に戻ってくると、

ブラジルでこの「坊さん」を、
ずっと読んでくれていた、
僕と同い年ぐらいの女の子が、
それをきっかけにして、
お遍路をはじめて、

「今日、お参りさせて頂きました。」

というメモ書きを、
ばあちゃんに預けてくれていました。

インターネットが、
国境を越えるというのは、
もう、当たり前すぎて、
だれもあまり、
話題にしたりしませんが、

こういうことがあると、
力強さを超えて、
本当に不思議な感覚を、
受けとります。

もちろん、
すごく、うれしかったです。

少し前に、
「ほぼ日」を通じてメールをくれた、
テレビドキュメンタリーのスタッフが、
東京から栄福寺にやって来て、

「どうして、四国遍路に、
 こんなに人が集まっているんだろう?

 しかも、若い人や歩く人が、
 すごく多いのは、どうしてだろう?」

ということを、
話し合っていたんですが、
(うん、インタビューというよりは、
 いい意味でミーティングみたいな感じだった。)

僕はこういう時によく、

「自分の体を使って、
 山を移動したり、海を見たりすることが、
 “自分”というものにわりと深く触れる、
 いい機会になるのかな?」

ということを考えていました。
“身体性”みたいなことですね。

でも今回、自分で、

「それだったら、
 ハイキングでもいいんですよね。」

と言って、
うーんと、なってしまったんですが、

「身体」と「精神」とか、
「からだ」と「こころ」って、
よく分けて考えられるけれど、

同じものでもあるよね。

例えば「こころ」の代表選手に、
あげられるような、
「脳」って、
「身体」ですしね。

「こころ」と「からだ」が、
分けることの出来ない同じものでもあり、
同じ場所にあることも、
結構大切なことのような気がします。

そして僕は、
四国遍路という舞台は、
このふたつが、
うまく同じ所にあるなぁ、と思ったんです。

山や海や街を移動する肉体と、

「仏教のお寺」
というなにかしら、
自然と個人の感情を、
いろんな形で刺激するような存在が、

「一緒の所」

に存在しています。

これは、
本当におもしろいなぁと思います。
「生き物」みたいだよね。

そんな構造を思い浮かべると、
お寺というメディアが、
提出したとしたら、
おもしろそうなアイデアが、
いくつか、浮かんできそうな気がします。


こういった取材の時は、
よく、

「観光遍路」

についての話になります。
(今回は、ならなかったけれど。)

歩き遍路こそ真の遍路の形で、
団体バスでワイワイ、ガヤガヤ、
しているお遍路さんは、
いかがなもんですか?

という話です。

僕も個人として、
歩き遍路に憧れの気持ちを持っていますし、
静かなお寺の雰囲気がとても好きなのですが、

「観光」にたくさん、
しかも繰り返し来るって事は、
それが「楽しい」ってことだよね。

「楽しい」

って、考えてみたら、
すごいことなんじゃないかな。

神聖とか荘厳とかもいいものだけど、

「楽しい」って、
馬鹿にしてると、
とんでもなく損すると思うな。

そういう意味では、
歩き遍路も苦しさを含んだ、

「楽しいもの」

であると僕は思います。

お互いの、

「うれしい楽しみ」

を攻撃するよりは、
自分の楽しいことをしながら、

「おまえも、楽しそうだなぁ。
 オレには、よくわからんけど。」

ぐらいの雰囲気が、
僕は理想のような気がします。

理想論かもしれないけれど、
理想を思い描かないことには、
始まらないこともあるよね、きっと。


ミッセイ


お知らせ。
四国88カ所のお寺が88枚の切手になります。
原画の撮影は「坊さん」の文章の中でも、
何度か登場した三好和義さんです。

栄福寺は11月5日発売の第一集、
20ヶ寺の中に収録されます。
(紅葉が綺麗な秋の風景)

全国の郵便局でも、
通信販売の申し込みが出来るようですよ。

詳しくは、こちらまで。
シンメディアという出版社刊行の
『季刊 巡礼マガジン』
というシブイ名前の雑誌で、
「おもいだす空海」という連載を、
最新号の31号から始めました。
(ほぼ日を読んだ編集者の方から、
 お話を頂きました。)

空海の著作の言葉に、
僕が短いコメントと、
写真を添えるという、
見開き2ページでの連載です。

手に取られる機会があれば、
ちらっと覗いてみてください。


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2004-10-06-WED

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