第178回 千葉での一周忌で
ほぼにちは。
ミッセイです。
以前、
千葉でお葬式をしたことを、
書いたと思うのですが、
その方の一周忌に行ってきました。
法事の前日、
東京駅に着いて、
市川のホテルに荷物を置いて、
新宿に出てみたのですが、
何度訪れても、
やっぱりこの街は、
僕が住んでいる街とずいぶん違います。
栄福寺周辺
ずいぶん街を歩いてから、
地下鉄のホームの排水溝に、
緑色のコケが、自生しているのを見て、
あー、久しぶりに自然の緑色を見たな。
と思いました。
こんな言い方をすると、
「四国の方が素晴らしい」
みたいな感じに聞こえるかもしれないけれど、
僕は、この、
「違う感じ」
が、好きで、
この街を訪れるのがすごく好きです。
しかも四国に住んでいる僕達も、
驚くほど「東京」という街が、
企画し作り出したものを、
消費することで、生活しています。
テレビ、本、雑誌、空気清浄機、トヨタクラウン・・・。
そういう意味で東京というのは、
すごく特殊な街で、
四国に住む僕にとってさえも、
好むと好まざるとにかかわらず、
既に僕達の身体の一部になっているので、
「再会」という感覚さえするんです。
たぶん、多くの人にとって、
そうなんじゃないかな。
逆に東京に住んでいる人は、
「四国遍路」
みたいな場所を経験したり、
「夕日」を見たり
「恋」
なんかをすることで、
自分のあらゆる部分が、
自然であることを、
気持ちよく思うのかもしれないね。
***
新宿から、
すぐ近くの初台、
東京オペラシティで、
「やさしく誠実であることは、
ラディカルでかっこいい事なのかな?」
の回ですこし言葉を取り上げた、
ヴォルフガング・ティルマンスの
写真展に行ってみました。
そこで、僕は、
「切実であること。」
の意味を、深く思い、確認しました。
僕がいろんな事を考える上で、
とても大切にしている言葉は、
「切実であること。」
という言葉です。
宗教という言葉は、
今の時代、よくない意味で、
よく使われます。
「それじゃあ、宗教になってしまう。」
「あいつ、宗教っぽいな。」
その感覚は、僕にもよくわかる感覚で、
坊さんでなければ、
僕自身、
そういう言葉をよく使うと思います。
でも、
宗教的に生きるということは、
生きる上で、
切実な何かに触れようとすること。
そういう風に僕は考えるようになりました。
宗教以外も、
そのための方法はたくさんあるであろう事を、
前提にしてね。
「宗教」という言葉は、
わりに新しい言葉なんだから、
なにか、もっと新しい言葉でも言えればいいのにな。
ロックからパンクが出てきたみたいにね。
***
法事では、
せっかく高い交通費を払ってもらって、
呼んでくださっているんだから、
すこしでも役に立って欲しい、
という気分でいつもより長く話しました。
一番時間をさいたのは、
「死を想う」
という古くから仏教で、
言われる言葉です。
なにかを決める時、
なにかを修正する時、
なにかから離れる時、
死という、
地点からそれを見ることが、
少しでも可能であるとしたら、
それは、
結構大きな、
判断のための大きな要素になるのかもしれない。
僕自身、最近、
とてもよく考える言葉なので、
そんな話をしました。
死というのが、
うまく想像できないとしたら、
死に至るような病床の中で、
「うん、あれは、あーして、間違いではなかったな。」
って思えるようなことなんだろうな。
難しいことかもしれないけれど、
なにか、
とっても大切なリトル・モアを求めるには、
いい方法かもしれないと思います。
ミッセイ
お知らせ。 |
四国88カ所のお寺が88枚の切手になります。
原画の撮影は「坊さん」の文章の中でも、
何度か登場した三好和義さんです。
栄福寺は11月5日発売の第一集、
20ヶ寺の中に収録されます。
(紅葉が綺麗な秋の風景)
全国の郵便局でも、
通信販売の申し込みが出来るようですよ。
詳しくは、こちらまで。 |
シンメディアという出版社刊行の
『季刊 巡礼マガジン』
というシブイ名前の雑誌で、
「おもいだす空海」という連載を、
最新号の31号から始めました。
(ほぼ日を読んだ編集者の方から、
お話を頂きました。)
空海の著作の言葉に、
僕が短いコメントと、
写真を添えるという、
見開き2ページでの連載です。
手に取られる機会があれば、
ちらっと覗いてみてください。 |
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