坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第181回 とうぜん両方+我慢ならん

ほぼにちは。

ミッセイです。

誰かの本を読んだり、
読者の人からメールをもらったり、
自分の知らなかった
ブッダのアイデアに触れたりする時に、

僕は、時々、
この『坊さん』で書いた自分の文章を思い出して、
読み返したりするんですが、

自分の書いた文章の中でも、

「第133回 とうぜん両方」

という回をよく思い出します。

僕は、
たぶんこの回で、

「ひとつのことが、
 うまく言えたり、
 説明できたりしたとしたら、
 
 その全く逆の、
 正反対の事柄も、
 結構、
“ホントのこと”
 だったりするので、
 
 矛盾を抱えているような気がしても、
 あまり気にしなくても、
 いいという気がします。
 
 まったく、
 正反対にも思えるような感情が、
 “両方”とも、
 必要とする場合があると思うんです。」

ということを、
書いたような気がしています。
(あえて今は読み返さないけれど。)

このことを、
今でも本当によく思い出して、
少なくても、

「僕」

という限られた個人の中では、
これは、どうやら、
本当に近いことだろうなぁ、
という感想を持っています。

例えば、

よく言われるような、

人間にとって、

「孤独」のような個の状態が大切なのか、

「仲間」や「チーム」や「家族」のような、
集合が大切なのか、

という話も、
色々な角度から語れる話だけれども、
(僕もよく書いてますね。)

「両方おもしろい」

に、決まってるんです。
僕にとっては。

「仲間」や「他人」を考える時、
僕は最近よく、

「笑う」

ということを、
テーマにして考えます。

「ひとりごと」

を頻繁に言う人は、
まぁ、たまにいますが、

「ひとりで笑う」

人って、ほとんどいませんよね。
微笑むことはあっても、
声をあげてひとりで笑う人は、
ほとんどいません。

「誰か」としか、
僕達は、笑わないんです。

漫画やテレビを見て笑ったとしても、
そこには、
間接的な他人(この場合、作者ですよね。)
が目の前にいて、
二人で笑っているわけです。

たぶん、
感情をふるわせて、
ビートを組んだり、
メロディーを奏でるには、

「個人」と「個人」による、
予想のつきにくい不協和音のようなものが、
とても便利なものとして、
使われていると思うんです。

多くのミュージシャン達が、
バンドによる「合奏」という形態に、
こだわっているのは、
そのへんの気持ちよさや必然があるんじゃないかな。

でもね、
そこで僕は、
したり顔で、

「もはや個人主義の時代は、
 既に終焉を迎えたように思えてならない。

 これからの時代を、
 突き動かしていくのは、
 むしろ、結びつきの文化ではないか。」

とは、言いたくないんです。

アイルランドの歌手の言葉だったと思うけれど、

「人生において、
 もっとも素晴らしい瞬間は、
 たいがい、
 あなたがひとりの時に訪れる。」

こんな言葉にも、
やはり心が震えてしょうがない
自分を、何度も発見してしまうんです。

あなただって、
そうじゃないですか?

***

たぶん、結論はないんです。

人によって違うだろうし、
ある人にとっては、
正解なのかもしれないけれど、

多くの人にとって、
多くの事柄は、

たくさんの
対極的な要素を同時に抱えた状態が、

選択することも許されないほど、
自然な状態のような気がします。

***

僕が、
四国札所の住職として、
信者さんやメディアやお遍路さんから、

発言を求められる多くの場合、

「結論」
が求められているような気がします。

でも、
たぶん、
もっと大切なことは、

「色々な要素を増やすこと。」

「そのバランスの基準値をあいまいに設定すること。」

「場面によって、
 そのバランスを変化させること。」

のような気がすごくします。

***

でもこの考え方って、
なかなか短い時間では、
伝えられないし、

「わかったぁぁ。
 感動しましたー!」

という気持ちよさ、
カタルシスのようなものが、
とても、少ないんです。

だって、

「両方ありじゃないですか?
 あなたが勝手に決めない方がいいですよ。」

って、言ってるわけですから。

でも、僕は、

「両方あり」

と言い続けるだけではなくて、
その、両方の
ひとつ、
ひとつってどんなものなのか?

それは、どんな場面で発生しやすいのか?

ってことなんかを、
考えて人に曖昧にでも、
伝えることができたとしたら、

坊さんとして、
また、
僕というひとりの個人として、
おもしろい役割になるんじゃないかな、
って思ったりします。

***

「例外的にこれだけは、なし。」

というのを思いつくのも、
おもしろい事だろうなぁ。

空海さんや釈尊や親鸞さんや
キリストさんなんかの、

大きなシーンを作り上げた
グループを形成した人達は、
既存のグループや思想に対して、

「我慢ならん」

なにかを確実に抱えた人達なので、
そういうものを、
いくつか並べていくと、
彼らがどんなことを、
言いたかったのか、
浮かび上がりやすい気がします。

僕達、ひとりひとりにとっても、
結局、どんな状態に対して、

「一番、我慢ならん」

のか。

そういうことを、
考えるのって、よさそうだなぁ。

「イヤなことを
 たくさん揃える。」

みたいな。

あっ、

「とうぜん両方」

的な生き方の、
不便利さや伝わりにくさなんかの、
ジレンマを少しずつ壊していくのは、
例外的な、

「我慢ならん」

「絶対イヤ」

なことを見つけて、
リストアップして、
整理することかもしれない。

おー、なんか、おもしろそう。

みんなもあるんじゃない?
そういうの。

僕は、たくさんありそう。

***

あいまいな僕がずっと欲しがってた、
強度って、

もしかしたら、このあたりにあるんだろうか?


ミッセイ

お知らせ。
四国88カ所のお寺が88枚の切手になります。
原画の撮影は「坊さん」の文章の中でも、
何度か登場した三好和義さんです。

栄福寺は11月5日発売の第一集、
20ヶ寺の中に収録されます。
(紅葉が綺麗な秋の風景)

全国の郵便局でも、
通信販売の申し込みが出来るようですよ。

詳しくは、こちらまで。
シンメディアという出版社刊行の
『季刊 巡礼マガジン』
というシブイ名前の雑誌で、
「おもいだす空海」という連載を、
最新号の31号から始めました。
(ほぼ日を読んだ編集者の方から、
 お話を頂きました。)

空海の著作の言葉に、
僕が短いコメントと、
写真を添えるという、
見開き2ページでの連載です。

手に取られる機会があれば、
ちらっと覗いてみてください。


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2004-12-05-SUN

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