第193回 冥福を
ほぼにちは。
ミッセイです。
友人のお父さんが、
亡くなったので、
お通夜に行って来ました。
キリスト教の会(前夜式)で、
僕は初めてだったのですが、
残された人達が心から送ろうとするのが、
本当によく伝わってくる会でした。
キリスト教やそこに集った人達にも、
すごくいい雰囲気を感じました。
故人の冥福を心から祈りたいと思います。
そして、
残された僕達は、
できるかぎりの祝いのようなものを
見つけたいと思います。
その場所では、
故人の愛唱歌をうたい、
好きだった聖書の一節を引用していました。
その引用された聖書の中で、
「空の鳥をよくみなさい。
種も蒔かず、
刈り入れもせず、
倉に納めもしない。
だが、
天の父は鳥を養ってくださる。」
という部分を読んで、
しばらくその言葉の持つ
意味を考えたりしたりしました。
入院していた病室のベットの上で、
彼が書いた最後の文章を、
神父さんが紹介していたのですが、
「手が動かなくなると、
手を動かすということがわかる。
耳がきこえないと、
きこえるということがわかる。」
という言葉は、
本当にそうだろうなと思いました。
僕は、
いつかなくすものを、
いくつか想像し、
それをつかってなにかを味わおうとする、
自分に対する興味と誠実さを、
すこしでも持ちあわせたい。
その、
「最後の手紙」
は、
聖書の言葉や、
愛するものへの言葉が、
散りばめられた、
品のいい故人が偲ばれる文章だったのですが、
自分の愛する息子には、
ただひと言、
「ばかになれよ。」
と結んでいました。
僕はお葬式を通して、
いくつかの死を、
人よりも知っているような気が、
少ししていましたが、
友人が触れた死を想像し、
その感情を思うと、
自分は死のことなんて、
まったく知らないんだなと思います。
心から冥福を祈願します。
そして、
直接お会いすることはなかったですが、
死を通して、また息子さんを通して、
あなたの生涯にわずかでも関われたことを、
うれしく思います。
息子さんや僕が少しでも、
いい顔で笑えたなら、
それが一番の供養だと僕は感じます。
合掌をします。
ミッセイ
お知らせ。 |
四国88カ所のお寺が88枚の切手になります。
原画の撮影は「坊さん」の文章の中でも、
何度か登場した三好和義さんです。
栄福寺は11月5日発売の第一集、
20ヶ寺の中に収録されます。
(紅葉が綺麗な秋の風景)
全国の郵便局でも、
通信販売の申し込みが出来るようですよ。
詳しくは、こちらまで。 |
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