坊さん。 57番札所24歳住職7転8起の日々。 |
第210回 ラダックへ! (ヒンドゥー寺院とイスラム寺院を訪れる、 川遊びの子供の笑顔、旅の終わり。) ほぼにちは。 ミッセイです。 ラダックに続いて、 インドのスリナガルを訪れています。 (旅シリーズ最終回です。) ラダックを訪れている途中、 写真でしか見たことのなかった、 チベット密教の坊さん達や、 マンダラに見とれながらも、 ふと思った事があります。 「せっかくインドにいるんだから、 僕達の知らない宗教を拝んでいる、 生のシーンにも出会ってみたいな。」 ということです。 仏教でない宗教の姿を、 急にとても見たくなったんです。 「それは またいつか、かな。」 と思っていたのですが、 この旅の予定の最後に、 スリナガルのヒンドゥー教の寺院と、 イスラム寺院を訪れることになっていました。 (ラダック以外の予定は、 あんまり気にしていなかった。) 最初に訪れたヒンドゥー寺院は、 とてもお参りの多い所で、 ここでも僕は、 同じくお参りの多い四国遍路の事を思い出し、 なんとなく、 うれしい気分になりました。 ( なかなか厳しい坂を上って、 (でもラダックと違って、 息が切れないのがありがたい。) 上にある寺院を目指します。 坂道の途中では、 露天商達が巡拝者におみやげを売っています。 このあたりも四国遍路と同じです。 ここで、 おみやげを売っていた兄弟は、 山頂のお寺でもまた会いました。 店番を誰かに任せて、 自分たちもお参りに来たのかもしれませんね。 ここのお寺の入り口の、 セキュリティーチェックは、 緊張感がすごかったです。 宗教施設は標的になりやすいのかもしれません。 でも上にはライフルを持った、 穏やかそうで切迫感のない人がいたので、 「写真、撮っていいですか?」 と聞くと、 わざわざ怖い顔をしてくれました。 サンキュー。 雰囲気出てますよ。 石を積み上げたような、 お寺の中では、 ( 眉間に筆でオレンジの色を付けてもらう、 儀式のようなことをしていました。 仏教の坊さんの僕は、 なんとなく断りましたが、 どんな意味があるんだろうね。 寺院の入り口では、 参拝の家族の多くが記念写真を撮っていました。 この場所でも、 お参りはひとつの楽しみの場所のようです。 家族旅行自体も、 多くの家族にとって、 とても特別な存在なのかもしれないね。 そして その特別な旅行に、 当然のようにお寺に行くんだろうな。 ちなみに、 僕はインドの人から見ると、 ネパール人に見えるみたいです。 続いて、 大きなイスラム寺院に向かいました。 近くには、 大きな遺跡もあって、 歴史があるお寺のようです。 でも僕達は、 ヒンドゥー教徒の、 インド人達と行動していたので、 中には入ることは、 一応、止めておくことになりました。 でも、 参拝道の途中で出会う、 イスラム教徒の人達は、 物静かで、 知的な雰囲気の人達が多いと感じました。 どんなコミュニティーにも、 色々な人達がいることを、 僕達はいつも思い浮かべなきゃいけないって思います。 自分たちのためにも。 お寺から戻った僕達は、 今回の旅行での 最初で最後の遊びと言ってもいい、 ダル湖でのボート周遊に向かいました。 短い遊びだと思っていたんですが、 船はどんどん、 現地の人達が生活している場所まで 進んでいきます。 そこでは、 湖畔に家を構えた人達が、 湖を生活の場所として暮らしていました。 そして、 その時、 男の子の子供達が、 何人か乗ったボートが、 僕達のボートをすっと抜き去りました。 帰国した後、 その時の写真を現像してみると、 僕はこの写真に含まれたなにかが、 すごく好きになりました。 みんなが、 すごくうれしそうな顔をしているんです。 なんで、こんなにうれしいのだろう。 ごちそうが家で待っているからだろうか? どこか楽しい目的地に向かっているのだろうか? そうかもしれない。 でも、 彼らの笑顔の理由はたぶん、 そうじゃない。 子供達は、 船が動いているのが、うれしかったんだと思う。 船が自分の力と友達の力を借りて、 全速力で走っていることに、 心から体の底から笑っていたのだと思う。 「行こう、クルー!」 僕は、この写真を見ながら、 微笑んで、そうつぶやいていました。 誰かに言ったのかな? 僕に言ったのだろうか。 インドを離れる日がやって来ました。 夕方のデリーの空港は、 どこかセンチメンタルな雰囲気です。 まぁ、早く帰りたいんだけど。 (ご飯が合わなかった。) デリーのバザールを散策して、 再び空港に到着すると、 出発前の慌ただしい雰囲気です。 やっぱり少しさみしい。 でも、 僕達はインドを後にします、もちろん。 タイを経由した日本への帰路、 飛行機の窓から、 驚くような美しい島が見えました。 台湾沖の島のようです。 「また、どこかに行きたいなぁ。」 そんなことを、 考えながら関西空港に到着。 栄福寺の人達に、 無地帰国を報告するため電話をかける。 すると、 帰国したまさにその日、 家の近所の檀家のおじいさんが亡くなっていた。 (1年近く栄福寺のお葬式はなかったんだけど。) おとなしい柴犬をかわいがっていた、 穏やかなおじいさん。 びっくりする暇もなく、 戒名を考えながら、 電車に乗り四国へ帰る。 途中で食べた、 ダシのきいた親子丼のうまさに涙する。 夜遅くに栄福寺に着き、 翌日の午前中のお葬式で、 おじいさんに引導を渡す。 僕は栄福寺に帰ってきました。 ミッセイ (旅シリーズ、終わりです。)
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2005-09-28-WED
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